第4話 事件の黒幕

 それだけ話すと橘は、大きく息をついて身体をよろめかせた。肩の傷は軽くない。こうして話しているのも辛いのだろう。


「わかった。よく休め、彦右衛門」


 なにが分かったのか絵都には要領を得なかったが、兵庫とふたりお見舞いの言葉を述べると、早々と橘の屋敷を辞した。


 帰り道――


「大事に至らずようございました」

「痛々しいお姿でしたね」

「床を上げるのは、いつ頃になりましょうか」

 

 そう話すのは絵都ばかりで、懐手ふところでをして先をゆく兵庫は、聞いているのかいないのか、うんともすんとも言わない。痩せた肩を揺らしながらずんずん歩いてゆく。


「絵都」

「はい」


 その兵庫が口を開いたのは、そろそろ道場の屋根が見えようかというところまで戻ってきた時だった。


「ようやくが動きはじめたようだ」

「……と申されますと」

「長崎での一件、忘れたわけではあるまい」


 兵庫のいう「長崎での一件」とは、この春、藩主に伴って長崎へ向かった藩主の正室、尚姫なおひめの身に降りかかった事件である。彼女の殺害を図ったこの事件は、後添のちぞいいである尚姫と藩主との婚儀を快く思わない、藩内攘夷派の陰謀とみられている。


「長崎で奥方さまを害し損ねたが、反攘夷派の本丸である。筆頭家老・橘厳慎たちばなげんしんを直接狙ってきたのに違いない」


 兵庫のいう「あの方」とは、藩主の叔父で、前藩主の庶兄にあたる宝川茂実たからがわもちざね、通称「奇妙公」と呼ばれる人物で、藩内攘夷派の中心人物である。


「それでは……」

「今回の件も板野が――、板野新二郎が裏で糸を引いている可能性が高い」


 奇妙公の懐刀として、その側近くに仕えている元御徒組、板野新二郎は、兵庫の下で剣名を高めた斎道場の俊才で絵都とも縁浅からぬ人物である。


「長崎で出会ったそうだな。おまえも用心しろ」


 やつは得体が知れぬ――と兵庫は続けたのだったが、それを聞いているはずの絵都はうわの空だった。


 びんからおとがいへ汗が伝う。青い空は広く、湧き上がる入道雲は真っ白だ。ほこりを含んだ風は熱く、絵都の頬をなぶってゆく。


 あの人が……新二郎どのが帰ってきている。

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