第3話 夕刻の闘争

 兵庫のお供として訪ねた橘の屋敷では、いつもより長い時間待たされた。二杯目のお茶が冷めてしまう頃になって通された部屋はいつもの座敷でなく、ずっと屋敷の奥、橘の寝所だった。


「人をたてて呼んで来させるつもりだったのだが――耳が早いな」


 絵都たちがお見舞いの言葉をかける間もなく橘はしゃべりだした。声には張りがあって意外と元気そうだったが、その身は布団の上に半身を起こすのが精一杯という有様。顔は、半紙に覆われたように真っ白だった。


「こんなに早く兵庫の耳に入ったということは……、城下の噂となっているに違いないな」


 話す途中に時折顔をしかめる瞬間がある。けがが痛むのだろう。


「……下城の途中、襲われたというのは確かか」

「まったく面目ない。大見得きってお城を出たというのに……殿に合わせる顔もない」

「何者だ、おぬしを襲ったのは」

「わからん。しかし――」


 相当に剣がつかえる男たちだったという。覆面はしていても、狭い城下のことである、それが藩士であれば、どこかで見たことがあると気づくものだ。あれほどの腕を持った藩士に橘は覚えがない――ということは


「家中の者ではないと思う」

「……」


 重い沈黙が手負の主人と客のあいだに落ちた。


「それはともかく、ご無事でよろしゅうございました」

「いや、絵都どの。無事というか、命拾いしたといったところが本当だ。あの幸運がなければ、お手前らはわしの死体と対面していたところだ」

「まあ」


 襲撃者はふたりだった。見上げるような巨漢と、敏捷な小男といった印象だったという。しかし、そのときの橘は寸毫すんごうも慌ててはいなかった。かつては、“斎道場の小天狗”と異名をとったほどの達人である。剣をとって余人に劣るとは考えていなかった。


 だが、このときの相手は違った。斬りかかってきたのは巨漢の男一人だけだったのだが、尋常でない遣い手だったのである。


「一度打ち合わせただけでわしの手が痺れた。返す刀も早く、肩を切り裂かれた。たまらず刀を落としたわしは、つぎの瞬間観念したよ。


 そのときだ、ひとりの男が屋敷角の四辻を曲がって姿を現したのは。見張りだったのだろう小男の方が駆け寄って斬りつけたが、男は見事な抜き打ちでその刀を弾き飛ばした。


 男は大声で助けを求めながら、駆け寄ってくると巨漢の男と斬り結んだ。道に人が出てくる人の気配がした。こうなると襲撃者は浮き足だち、しっぽを巻いて逃げ出したよ」


「助けてくれたのは?」

「それも……わからん。武士だ。屋敷に駆け込んで異変を告げるとそのまま立ち去ってしまった」

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