第109話 娘2人

「私にとって、秋も夏も大切な娘です。ですが、秋を見るといつまで経っても亡くなった時の悲しみがこみ上げて来てどうしようもないんです。先生は姫さんのことをどう感じられているのか聞かせていただけませんか?」


 茅野夫人が夏の方を気にしながら恐る恐る告解する。

 丈太郎は彼女の方に向き直り、少し考えてから答えた。


「私と姫、奥さんと秋さんでは関係性が違いますし、私はいつも姫を目にしている訳ではありません。その前提で私の個人的な意見としてお答えしますが、それはごく普通のことで、我々の年代になればみんな形こそ違うものの多かれ少なかれ過去の悲しみの上に今の幸せを築いているものだと思います。」

「その過去を思い返す回数とその生々しさが負担になっているというお話なのでしょうが、それが薄れてゆくことを悲しく思う人もいます。それが大切な過去なら尚更です。それぞれの人にそれぞれの悲しみがあるんです。苦しいからといって秋さんを忘れたいのではないのでしょう?」


「もちろん、そんなことは考えられません。私が秋を喪ったことに拘り過ぎているということですか?」


「いいえ、拘るというのとは違うと思います。秋さんが亡くなった時の事だけを考えるのではなく、その前後の年月や周りとの関係も含めて、もっと広い範囲でご自分の中に受け入れてはいかがでしょうか?」

「私にとって姫は、小さな時から付きまとって私を愛してくれたかわいい友人の妹ですが、姉の川田にとっては同じかわいい妹でも、健気で勇敢な自慢の妹です。秋さんもあなたの大切な娘さんであると同時に、旦那さんの愛しい娘で夏さんの大好きなお姉ちゃんでもある筈です。普通であれば、もう画像や動画でしか会えない彼女がたとえ体だけでもいつも一緒に居てくれるのです。夏さんも一人娘ではなく今の秋さんと一緒に育ってきた筈です。」


 隣の夏はキョロキョロと丈太郎と茅野夫人を見比べているが、その向こうの茅野氏は、夏からお盆を取り上げて月を見ながら手酌で飲んでいる。


「はい、秋は『夏が寂しくないように自分の体を残して欲しい』と言っていました。」


「今の夏さんはあなた方ご夫婦と秋さんの愛情で育まれたのだと思います。そしてそれはこれからも同じでしょう。今は従来の価値観のせいで秋さんの体がずっとそこにあるという現実に、『あなたの中の現実』が、適合し切れていないのだと思います。」


「母さま。私はずっとお姉ちゃんと一緒だよ。私がおばあちゃんになったら、孫に『おばあちゃんが若かった時はこんなに綺麗だったんだよ。』ってお姉ちゃんを見せるの。」


 夏はそう言うと茅野氏から徳利を取り上げて空になっている丈太郎のお猪口に注いでくれた。


「女性は我々男より、昔のことをたくさん憶えていると言います。あなたはご主人より秋さんとの楽しい思い出をたくさん持っている筈ですよ?」


 茅野夫人が茅野氏に問いかける。


「あなたは秋を見るとき悲しくならないんですか?」


 今の秋を否定することになるために言えなかった言葉だろう。


「悲しさもあるが、それよりも秋が居てくれたという嬉しさの方が大きい。」


「母さま。私もそうだよ。」



「もっと家族で話さないといけませんね。」


 茅野夫人が恥ずかしそうに言う。


「秋さんがそこに居ることが自然に思えるようになるのが理想ですね。一度川田と話されることをお勧めします。彼女の場合、多分に狂気が含まれていますが従来の価値観を捨てるという意味で参考になると思います。」


「ありがとうございました。せっかくの月見酒をお邪魔して申し訳ありませんでした。」


 茅野夫人は頭を下げると後ろを向いて立ち上がる。


「いいえ、風流からは外れますが、多くの神話で月の女神は死を司りますから、この場にふさわしい話題だったと思いますよ。」


「ありがとうございます。お先に失礼します。」



「夏。父さんたちはこれからサウナで男同士の話をするから、お前も上がりなさい。」


「うん。母さまのことは任せて。」




「ありがとうございました。勝手に決めてすみません。サウナで夏の感想を聞かせてもらえませんか?」


 夏がお盆を持って浴室から出たのを確認すると、茅野氏が先程の発言を詫びた。

 サウナに移動して話を続ける。


「性教育をというお話でしたが、そちらの方ではあまりお役に立てたとは思えません。」


「やはり小娘が相手では体が反応しませんか?」


「いえ、そういう意味ではシャワーを浴びている時に、生きている女子高生の裸を見るのは初めてだと気付いて、うかつにも勃起してしまったのでお役に立てたかもしれませんが・・・。」


「奔放な娘なので、せめて男の体の反応だけでも見せておければと期待していたんです。」


 自分で見せる訳にはいかないだろうが、夏は茅野氏に似たのではないだろうか?


「あの年代の女の子は気まぐれな野良猫みたいなものですが、夏さんはかなり毛並みの良い野良猫だと思いますよ。お姉さんや入院患者さんと接する中でいろいろな事を考える機会があったのでしょう。奔放に見えて大切なところはしっかり押さえているんじゃないですか?」


「親の欲目でなければいいのですが・・・。」


「先程もしっかり察してくれたじゃありませんか。まあ女性としての心の方はまだまだ未発達みたいですから、焦らずに見守ってあげてください。」


「未発達とは?」


「今まで処置室で私の作業を手伝ってくれた女性たちとは私と一緒に裸でいる時の体の反応が違うということです。」


 丈太郎は綾とミュージアムスタッフたちの名誉のために表現をぼかしたが、言いたいことは伝わった様だ。


「まだまだ子供ですか・・・。」


 茅野氏は少し嬉しそうに呟いた。



 その後、サウナ談義になったが、ホスピスでもサウナは施設として認められないので後付けしたために水風呂は作れなかったということだった。

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