第105話 報告
栄養注射をしてから綺麗になった秋を抱き上げ作業台の下から出した『型』に納めると処置室を出て、シャワーで自分たちに付いた血も洗い流して船を降りた。
陽は傾き始めているが、夕食にはまだ早い。
「父さまと母さまを呼んでくるから、先生はさっきの部屋で待っててください。」
夏がホスピスに入らずに駆けてゆく。
病院内は走れないからだろうか?
丈太郎が昼に茅野夫妻に会った部屋に入ると先客が居た。
白衣を纏った20代後半に見える母性を感じられる女性だ。
彼女は少し驚いた顔で立ち上がり、
「花園先生。お疲れ様でした。初めまして今日の当直医の松本真紀です。」
と名乗った。
「え?ああ。初めまして。」
丈太郎は久しぶりに本名で呼ばれて驚く。
「ふふっ。私、大学で先生がいらっしゃった研究室の後輩なんですよ。お茶をお淹れしますね。」
丈太郎の後輩ということはユミの後輩でもある。
「ここでは本間丈太郎でお願いします。」
丈太郎が少し身構えていると、
「伝説の先輩を見てみたかっただけですからそんなに警戒しないでください。」
と言われた。
「伝説って言うなら川田の方だろう?」
丈太郎が紅茶を一口飲んで訊ねる。
真紀は丈太郎の手元を見ながら、
「川田先輩のはどちらかと言うと裏で伝わっている伝説です。先生は今も使われている教材映像に出演されているので表の伝説の人なんです。」
「手技の手際が良すぎて指の細さを根拠に合成映像だって噂があるぐらいなんですよ。今日、手を見せてもらってやっと合成じゃないって確信が持てました。」
と答えた。
「この手は今も役に立ってくれているよ。」
「繊細な手がセクシーだって憧れる女子学生も多いんですよ?」
「みんな何年前の映像か知らないのか?」
「それを聞いて残念がるんですけど、先生お若いから、大学に今の写真を持って行ったらひと騒動起こるでしょうね。」
「そうか?うちで医者が必要になったらスカウトに行くかな。」
2人で雑談をしていると、夏が茅野夫妻を連れて帰ってきた。
「先生。ありがとうございました。夏はお役に立てましたか?」
「お手本が居てくれて助かりました。どうも私は審美眼に欠けるようなので・・・。夏さんから120点をもらいましたから、ご期待を裏切らないと思います。」
「夏がとても喜んでいました。明日秋に会うのが楽しみです。」
「母さまには姉妹並んで比べてもらうんです。」
「ところで、どうして真紀ちゃん先生がここに居るの?サボり?」
「さすがに理事長の前でサボりません!ちゃんと婦長に言ってあります。」
「本間先生は大学の研究室の先輩なので顔を見に来たんです。」
「真紀ちゃん先生の方が先輩に見えるね。」
「夏ちゃん。そういうことは本人の前で言うんじゃありません。」
どうもこの2人は仲良しのようだ。
「先生。夕食まで少し時間がありますが、どうなさいます?」
丈太郎は少し考える。
船から釣りをするには時間が足りないし、漁業権の問題もある。
「この近くに温泉施設はありますか?」
「この辺はかなり深く掘らないと出ないんですよ。もし良かったらホスピスの大浴場を使われませんか?2,000m掘った源泉かけ流しのヒノキ風呂があるんです。多分この時間なら入院患者さんは入っていませんから貸切ですよ。」
「それは是非拝見したいですね。」
「じゃあ私が背中を流してあげるよ。」
「混浴なんですか?」
「基本、介助付きでの入浴ですから何人かまとめての時間割制です。夏は昔から時々乱入している様ですが・・・。」
「ちゃんとお手伝いもしています!」
「そういう訳で慣れたものです。夏に案内させましょう。サウナもありますよ。」
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