#2
「お姉ちゃんっ」
わたしの胸に走って飛び込んできたのは妹の日向だ。
日向は胸からすぐに顔を離し、キラキラした目をして言う。
「さっき一輪車こげたの」
彼女の頭をそっと撫でる。キューティクルが完璧なこの髪の毛をサラサラと触ることが好きだった。
「すごいね、日向」
と言って、わたしは中腰になり彼女と目線を合わせる。
「ねえお姉ちゃん」
「ん?」
「刺された時、痛かった?」
彼女は包丁を右手に持ち、笑いながら言った。
「…い、…い、……おい!」
肩を強く揺すられ目を開ける。
「あ、気が付いたみたい」
女の子の声だ。声のする方を見ると、ぼんやりと声の主が見えた。
「全く、なんでこのタイミングで転送するんだ、宇佐は」
さっきとは違って男の声だ。もっと近い。
「わあ!」
その男性から逃れるようにわたしは地面に手をついた。
「ふふふ、ピュアねー。
女の子は上品に手を口に当てて笑っている。視点があってきて分かったが、この子は自分と同い年くらいの女の子だった。大人びた振る舞いとは違い、ぱつんと切った前髪、乱れのない綺麗な黒髪のボブヘアがむしろ彼女を年下に感じさせる。
「な、なんなんですかっ」
わたしは彼らを交互に見ながら言う。
「詳しい話はあとだ。ひとまずみんなと合流しよう」
大と呼ばれた男性はスッと立ち上がり、銀縁の眼鏡を手の甲でクイッと上げながら言った。
女の子がわたしの左腕を掴んで立たせ、そのまま腕を組む。そして、ニコッと微笑み、
「わたしは
「は、はぁ…」
腕を引っ張られながら早足で歩きだす。
「そうしたら、早速。自分の身体が宙に浮くイメージをしてみて。重力が無くなったみたいに、宙を自由自在に飛べるイメージね」
「え、なに?」
「いいからいいから。とにかく今は時間がないのよ」
十子や大の歩幅が大きくなる。
戸惑いながらも言われた通りに想像する。身体が軽くなり、地面では無く、空へ向かって歩いていくように。
するとそれが現実になる。十子や大も地面から足が離れ、宙の道を歩いている。
「うそっ」
反射的に十子にしがみつく。そして段々身体に重力が戻ってくる感覚がある。
「あーだめだめ。イメージ解くと…重ーい!」
宙に浮かぶ十子にぶら下がっていしまっていた。
「最初は怖いのも無理ないよ。気持ちはとてもわかるの。ただね、いまはそうも言ってられないのよ」
十子は振り絞るような声で言った。
「で、でも…。なんか上手くできなくなっちゃったんですっ」
10mくらいだろうか。もうそれくらいの高さまで身体は浮いている。ここから落ちたらケガだけでは済まないかもしれない。
「もう無理です…」
腕が限界だった。風にも煽られ、これ以上しがみついていることが厳しい。
そうか。もう既に死んでいるのなら、これくらい落ちても…。
「とにかく頑張ってもう一度浮かんで!落ちたらケガだけじゃすまないよ」
彼女はわたしの考えていることを見透かしたように言った。
次の瞬間、突然腕が楽になった。腕に血流が駆け足で巡っている様だった。
「お前らいい加減にしないか」
大がわたしと十子の首根っこを持ち、凄まじいスピードで宙を駆けていく。
今まで体験したどんな絶叫マシーンよりも一番怖くて声が出ない。
「全く、大ちゃんは、これが若者の成長の機会を奪っているとは思わんのかね」
大の右手で掴まれている十子は暢気に腕を組みながら言っている。
「有事にそんなことは言ってられん」
チャイムが鳴り響いている。先程ウサギたちと聞いた音よりも大きく聞こえる。
「そうだ!この事宇佐から聞いてる?」
彼女は人差し指で宙を指す。恐らくこのチャイムの事だろうか。
小刻みに首を横に振るわたしを見て、少し笑いながら
「魂が逆流して来ちゃってるのよ、天界から」
「逆流…?」
「そ。本当はわたし達死神が集めてきた魂は、天界へ送られ、そこから転生していくのよ。でも、それがどういうわけだかこっちの死神界に戻ってきちゃってるの」
「…何でですか?」
「それがなんか分かってないみたいなのよねー」
十子は顎に手を当て、うーんと唸った。
「理由は分からずともイレギュラーには対応しなくてはならない。だから我々は流れ出た魂を押し戻してやるんだ」
大は顎を使ってわたしに前方を見るように促した。
夕焼けのような色の空の一部から白い綿毛のような丸いモノが凄い勢いで流れてきている。その周りを宙に浮いた人々が忙しなく動き回っていた。
「あ、おーい!」
十子が叫んだ。そんなに大きな声では無いのに、どこまでも届きそうな通る声をしている。
彼女に呼ばれて振り返ったのは、プロレスラーのような巨体の男と小学校中学年くらいの男の子だった。
「お、大に十子…と、新人さんだな。にしてもお前らいたずらした猫みたいだな」
男が豪快にがははと笑っているのにわたしは苦笑いで応えた。
「おっせーぞ。第一今回は量が半端ねえってのに暢気に新人のお迎えかよ。しかもどんだけ時間かかってんだ」
血気盛んな男の子だ。わたしの方を睨むようにしてみるので反射的に反対側に目を逸らした。
「悪い。意外に遠いところに転送されててな。そうだ、もうそろそろ一人で立てるか?」
大はわたしを掴む手の力を緩める。それと同時にわたしの身体も地面に向かって近づく。
「無理です無理です」
「んだてめぇ。まだ
男の子が今にも掴みかかってきそうな戦闘態勢で言った。
「まあまあ、
男は遥という男の子の頭をわしゃわしゃと撫でた。遥は今度は男に向かって戦闘態勢を取っていた。
「そういや、新人さんよぉ。名前はなんていうんだ?」
男は大声で聞いてきた。いや、これが彼のデフォルトの音量なのだろうか。
「えっと…それって、さっき教室で登録したやつですか?」
大の手首を両手で持ちながらわたしは返答する。
「ん?そうだな。まあ単純に自分の名前よ」
『はーい、あなたはヘンテコさんでーす』
先程の記憶が鮮明によみがえり、答えづらい。
「…テコです」
「テコ?珍しい名前だな。俺は
「…おねがいします」
「よし、テコ。今日からここが君の所属するチームだ」
大が言う。
1人1人の顔を見回してみる。全部で4人。わたしを入れて5人。
「魂運搬専門チーム。死神の世界へようこそ」
十子が中腰でこちらに手を差し伸べる。その手を取ると、重力が自分の身体から消え去っていく感覚があった。
「お!もう完璧ね」
彼女はにこりとして言った。
「にしても十子、なんださっきの。『魂運搬専門チーム』って絶妙にダセぇ」
「いいじゃなーい。ちょっとかっこいいかなーって思ったんだもん」
遥と十子がギャーギャーと言いあっている。
「これは日常茶飯事だから徐々に慣れてってな」
将が腰に手を当て彼らを見守りながら言った。
「さて、5人そろったことだし、テコのデビュー戦と行こうか」
大の呼びかけに皆が頷く。
「遥と将は前線で、僕はサポートに回る。十子はそれよりも後ろで流れからはみ出たモノをテコと一緒に対応してくれ」
「っしゃあ!行くぜ」
「まだだ、遥」
「んだよ大。早く狩りたくてうずうずしてるんだ」
「『狩る』はやめろ。あくまで『運搬』だ。ただの逆流だから危険は伴わないとは思うが、くれぐれも無理はするなよ」
「またそれかよ、わーってるよ」
せっつく遥を窘め、大が少し前屈みになりながら、
「この件、最近頻繁に起きていると思わないか?必ず何か裏がある。原因がはっきりしない内はあまり冒険するな」
チームにだけ聞こえるように少し小声で言った。
「そうだな。遥は俺と連携を取っていこう」
将はそう言って、遥と共に魂が流れ出ている中心点に向かって行った。
「十子、テコを頼む。初歩的なことから教えてやってほしい。あと、テコ。十子と離れないように。わからなかったら必ず十子に判断を仰げ。以上」
そう言って大も将たちの後を追って行ってしまった。
「なんだかすごいですね」
「大?まあ、彼が一応リーダーだし、こういうの得意なんだと思うよ」
リーダーか。確かに大は30歳くらいの、少し年が離れているように感じていたので意外では無かった。
「よし、そうしたらまずは
「
「見た方が早いかな」
一瞬で十子の足下から風が沸き出し、彼女の頭まで吹き抜けていく。
右手には彼女の身長と同じくらいの裁ちばさみが握られていた。
「どう?」
と言いながら彼女はそのはさみをいとも簡単に肩に乗せた。
「それが十子さんの武器、ってことですか?」
「そ。
この世界はイメージで作られているのだろうか。だが、先程宙立のイメージがまだ残っている分今回はやりやすかった。
自分の中心から熱いものが腕から手へ流れてくる。すると、右手にあの虫取り網が握られていた。出来た安心感と十子と自分の武器の対比に自然とため息が出る。
「…それがテコちゃんの武器?」
「えーっと……はい……」
「……変わってるけど、イカすね。そのビビッドな色とか」
「……ありがとうございます?」
「さ、実践実践っと!」
「……はい」
わたし達も中心点へと向かって行く。
近づいて分かったが、夕焼けの空が大きくひび割れていた。その割れ目から魂が漏れ出していた。ひび割れを修復している死神たちもいて、前線はとにかく大変そうだということは少し遠くからでも理解できた。
「ここら辺かな。あ、ほら。そこに浮かんでいるのも魂だよ」
十子が裁ちばさみで両断すると、その魂は消滅した。
「消えちゃいましたけど、大丈夫なんですか?」
「うん。わたし達死神の武器は移動樹の涙が練りこまれてるの。わたしもよく知らないんだけど、移動樹の涙って言うのがどうも天界に魂を運んでくれる力があるみたい」
十子はわたしの武器を見て、
「テコちゃんはどうするんだろうね。捕まえればいいのかしら」
と首を横に倒していった。
「わかんないですけど…やってみます」
虫を捕まえる要領で追いかけてみるが、フワフワと綿毛のような魂は意外と素早く、なかなか捕まらない。
「はぁはぁ」
「がんばれ!ほら、他の同期も頑張ってるよ」
「同期…?」
確かに何人も近くで武器を振り回している人がいる。
「なんであの人たちが同期なんですか?」
十子に尋ねると、彼女は自分の額をトントンと指さした。
「新人の間はね、みんな赤い鉢巻をするんだよ。テコちゃんみたいに」
「え?」
自分の額を触ると確かに紐をまいている感触がある。だが、あまりにも付けている感覚がなく、馴染みすぎてはいないか。
「全然気づきませんでした」
「ふふふ。わかる。新人期が過ぎたら取れるから、頑張りたまへよー」
彼女は笑った。
循環-シルクレシオン- 一瀬サイ @say_ichinose
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