第24話 祖父と鬼

かつて一度だけ、鬼というものを視たことがある。小学校低学年の春先の事だ。夜の九時。夕飯も風呂も済ませ自分の寝床に向かおうとしたとき、一階の仏間に、目の前に、それは全く唐突に現れたのだ。


私はどちらかといえば「視える」タチの人間で、物心付いた頃から私の視界は普通よりも少しばかり人口が多かった。それから今日に至るまで、色々なものを目にしたり感じたりしてきたが、鬼を見たのは後にも先にもこの時の一度きりである。

 

その様相は鮮明に覚えている。


しかし、子供の視点だから少しばかり誇張されて脳に焼き付いているかもしれない。天井すれすれの高さだったと記憶しているから、その身の丈は二メートルを優に超えていた。


鳶色のもじゃもじゃとした短髪から、角のようなものが一つ覗いていて、目は大きく、鋭い眼光を放っていた。膨らんだ赤ら顔で、大きな丸鼻、阿吽の吽のように真一文字に結んだ口。上半身は裸で、下は縄文時代の人間が着ていたような、汚れた茶色い布か毛皮かを纏っていたと思う。


鬼に男女の区別があるのかは分からないが、外見を総合して判断すると、恐らく男の鬼である。

 


漫画や御伽噺にでも出てきそうな鬼だったから、あれは鬼だと私は思っているのだ。所謂『鬼』と聞いて、大衆が頭に思い浮かべるような鬼ではあったが、こうして怪談と称して話をする程には不気味であり、今思い返してみても「普通の鬼」ではなかったのだ。

 


まず体格は屈強な鬼のイメージとはかけ離れ、人間だとしたらずいぶんと健康面が心配になるような細さだった。丈だけはあり、中でも頭だけが際立って大きいのだからなんとも不釣合いである。


そして金棒こそ持っていなかったものの、貧弱な長い四肢の先、鬼の手と足はまた巨大で、黒く長い爪を持っていた。首から下、末端以外だけが急激に痩せてしまっているという、見目にもあまり好印象とはいえなかった。彼への感想を一言述べるならこれに尽きる。


「不気味」


そのあべこべなバランスと、全体の大きさも相まって、当時の私は強い恐怖を覚えた。それまでにも、この世のものではないものを視ることは度々あったし、『パーツ』も視たことはあったのだが、完全な異形にはまだ慣れていなかった。


恐らく、今またあの鬼に出会う事があったならば、目を輝かせてインタビューでも試みるかもしれないが、幼少期の私には些か刺激が強すぎたのである。

 


半分泣きそうになりながら、父親に「鬼がいる」と訴えたのだが、怪訝な顔をされ、早く寝ろと言われただけであった。


元より、心霊とかオカルトとかいうものにあまり興味を示さない父である。一方、祖父は「ああ、鬼さんが来てらっせるんかあ」とにこにこしていた。何か知っていたのか、それとも子供の可愛い冗談だと思われたのかは今となってはわからない。

 

私は、とにもかくにも見つからないようにしながら、物陰から鬼の様子を伺っていたのだが、当の鬼は何をする訳でもなく、ただ家の中をうろうろとしていただけだった。そして、ひとしきり我が家を散策し終わると、また唐突に目の前で、ふっと消えたのだった。

 


子供の頃聞かされる御伽噺や説話では、往々にして鬼は悪役である。人に悪さをし、物を盗んだり壊したりして困らせる。有名な桃太郎では見事にその鬼は成敗される。鬼は怖いもの、悪いものであるという子供にとっての常識が当時の私に、余計に恐怖を抱かせたのだと思う。


それから暫くは、毎夜あの鬼がくるのではないかとビクビクしながら過ごしていたが、結局そんなことはなく、今に至るまでその姿を再び見たことは無い。


ただ節分の日の夜、窓の外へ豆を放り投げていたときに数度、咆哮のような声が遠くから聞こえてくるということがあった。


オオオオン、オオンと。鬼かどうかは判らないが、閑静な住宅街に似つかわしくない、猛々しいものであったことを記憶している。

 

ただ、その声も最後に聞いたのは六年前の節分の日である。

実はその日、家で祖父が亡くなった。


元々、年に一度は脳やら心臓やら肺やらと大きな手術をして、そして「手は尽くしましたが」とか「今夜が峠」と神妙な面持ちで言う医師を嘲笑うかのように、一晩で一気に回復して退院するということを何度も繰り返し、いつしか掛かりつけの病院の医療チームに「不死身」とまで呼ばれた豪傑な祖父である。


挙句「普通の方なら危ない状態ですが、きっとおじい様なら大丈夫でしょう」とまで言われたのだから、タフなのかそうでないのかわからないと笑い話になった。

 


そんな祖父が、私が学校から帰ると寝床で亡くなっていた。老衰であった。父と私と祖父との三人暮らしだったため、当時家には祖父しか居なかった。誰も居ない家での死亡となると事件性が疑われるからというので、まず救急がきて、警察がきて、検死の医師がきて、葬儀屋がきて、と大騒ぎになった。


なんとか夜に落ち着き、死化粧を施してもらった祖父を部屋に寝かせた頃、祖父方の家系で代々お世話になっているお寺の方がやってきた。数人の親族と父と私の前で、枕経をあげてくださったのだが、その時、これまで幾度か聞いたあの咆哮が、我が身がビリビリする程の音量で部屋に響いたのだ。


しかし、周りは誰も気にすることなく読経を続けている。あんなに大きな声が聞こえない筈は無いのに。怖いというよりも、その時は不思議に思う気持ちのほうが強かった。

 

それ以来、節分の日になっても声を聞く事は無くなったのだが、結局私が視た鬼と、その声とが関係あるのか否かは未だにわからない。


しかし、もしあの声が鬼のものだったのなら、最期に挨拶をしてくれるほどの関係が祖父との間にあったのだろうか。豪傑な祖父と、貧弱で不気味な鬼は何処かで逢瀬でも重ねていたのだろうか。


誰に聞く事もできないが、「ああ、鬼さんかあ」と、にこにこ笑った祖父を思い出すと、もしかしたら、と考えることもある。           



執筆時期:2015年

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