第15話 春の酒

ぼんやり車窓を眺めながら電車に揺られているうちに、目的の街に着いていた。



着物姿の馴染む街。カラコロ、カランと石畳に響く下駄の音色が心地よい。小雨の日には風情のある番傘が咲く。おしろいに紅をさし、髷を結った美しい姿は、この街だからこそよく溶け込む。


趣のある茶屋へ入ると、人懐っこい微笑みを浮かべたおばあさんが団子とお茶を差し出してくれる。なんとも美しい街だ。


これらは随分心地がよくて、気付けばこの街に来るのは何度目か。もともと一人旅は好きな性分で若い頃から出歩いてはいたが、社会人になり財布が多少膨らんでからはその頻度もぐっと増えていた。仕事の帰り、ふとした休日、四季の祭りの日…「そうだ、京都へ行こう」なんて標語はまさに自分にぴったりだった。


僅かな荷物を背負い、雅の欠片もないホームをすり抜けて路線を変えた。すっかり決まったコースになっていて、道順を覚えた身体は考えずともすいすい動く。その景色が近づくにつれ、おぼろげな記憶の中の祖父がまた来たのかと苦笑する。


中書島から十石舟の乗り場がある弁天橋に向けて歩き出すと、住宅街の足元にちらほらと春が咲いているのが見て取れた。


弁天から観月橋を振り返ると、両岸に立ち並ぶ桜がアーチのように咲いている。酒造裏に小物屋を構えていたという祖父は、毎年この桜をみていたのだろう。


祖父との別れは随分と早かったが、豪傑で優しかった祖父と幼い頃ここでみた景色は忘れられず、数年間に渡り探し続けたものだ。小物屋があったとされる場所にはおとなしい色合いの家々が並んでいる。姿はないが記憶は残る。時間の流れとはそういうものだろうか。


人通りの少ない橋の上。

カシュッと小気味良い音が響く。


「じいちゃん、今年の酒はどうだい」


応える声もないままに、酔いもしないほど軽い酒を喉に流し込んだ。川縁の桜が一枚、また一枚と水面に落ちては小さな渦をこえていくのが見えた。




執筆時期:2013年

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