第13話 怪奇クラブのおわりかた

黒い幕を垂らしたような空に満月がくっきりと光る夜のことである。都会の片隅にある小さなバーに、幾つもの影法師が集まり蠢いていた。



彼らは、怪奇クラブのメンバーである。



字の通り、奇怪なものに興味を持ち、あるいは好み、あるいは体験し、人知れず不思議な世界を愛する…そういう連中だ。



メンバーは時折こうして集まっては、自分の持ちうる様々な情報と奇怪な体験談を語り合い、最後に投票でいちばん怖い話をきめ、それを語ったものはささやかな景品を受け取ることが出来る。


今夜は、今年最後の彼らの集いでもあった。最後といっても何か変わったことがあるわけではない。いつものように鬱々と、そして静かな熱気の中で語り合うだけだ。司会進行役の簡単な挨拶が済まされ、見るからに陰気な男が最初に話し始めた。


彼がこのクラブに参加するのは初めてのことである。そう、クラブとはいえメンバーが決まっているわけではない。殆どは見知った顔のメンバーだったが、時たま、どこからか催しのうわさを聞きつけて転がり込む人間がいるのだ。今日の場合は新しい顔がふたりいる。



「はじめまして…あんまりこうして皆さんの前で話すのは得意じゃないんですけどね。まあ聞いてくださいよ。僕はね、長年タクシーの運転手をしているんですがね、とうとう乗せちまったんですよ。すぐそこ、平和堂公園の筋の道でね。


ああ、あれは忘れもしない今年の夏のことです。深夜も三時に近くなった頃、ほらあそこ、無料の駐車スペースがあるでしょう。皆さんは知らないでしょうが、あそこは深夜になるとタクシーの休憩所みたいになってるんです。トイレも近くにあるし、真っ暗闇だし、人目につかずに眠れるから腹さえ空いてなければコンビニよりもずっといい。


その日、最後に乗せた客は酔っ払いでしてね。行き先が二転三転とするし、降ろそうとすると喚くしで、正直クタクタに疲れていたんですよ。それで一眠りしようとあそこへ車を走らせていたときに…横道で若い女に止められたんです。随分思いつめてるような顔していましてね。無視するわけにもいかないし、彼女を乗せたんですよ。「本郷まで行ってくれ」というので、シメた。と思いましたね。あのあたりはいくらでも迂回できますから…おっと、これは内緒ですよ。へへ。


いわれたとおりに車を走らせたんですが、さすがにあんな場所で拾った女でしょう。有名なタクシー怪談くらいは知ってますからね。流石に警戒してバックミラーでちょくちょく確認してたんですけども、まあ、消える様子はない。どうも寝てたみたいでね。起こすのも悪いかと思ったから途中からは運転に集中したんですが…駅に近づいたときにふと見たら…誰もいないんですよ。


女が持っていた荷物もない。忽然と、全部消えちまったんだ。シートはぐっしょりぬれちゃあいなかったけどね。それでも、ありゃ幽霊に違いない。私は幽霊を乗せちまったんですよ」



 男の一本調子な語りが終わった。内容自体はいたって聞き飽きたようなものだったが、現実味のある地名を出されると、妙な心地もするものだ。男が時折、ひきつるように笑いながら語るのもいやに雰囲気が出ていたといえる。男が黙るのと同時に周りがざわざわと討論を始める。



こういうところに入り浸るような人間だけに浅はかならぬ知識を持つ変わり者ばかりである。司会者がほどほどのところでその場を制し次へと促すと、男の横に座っていた若い男性が語り始めた。これも、運転手同様に今日はじめて参加したメンバーであった。



彼はここから一番近い市立病院の医師だと名乗り、そして受け持った患者の腕がいつの間にか四本に増えていたといういささか理解しがたい体験を語った。店内はBGMも消されており、話し手の声以外は何も聞こえない。



一時間ほどかけて、司会者の進行によりメンバーの話があらかた語りつくされ、意見交換や分析が終了すると、いよいよ複数の話の中から最も怖い話を投票で決めることとなった。どの話もそれなりに恐ろしいものばかりである。先ほどまでの彼らの抑えたような表情はいくらか明るくなり、近くの者と何を選ぶかと話し合う声が徐々に大きくなってきていた。その時、今まで下を向いてカウンター内でグラスを拭いていたバーテンが突然に口を開いた。





「もっと、怖い話がありますよ」



バーテンは既に五十は超えていようかという恰幅のいい男性だった。渋く落ち着いた雰囲気は客にも好評だったが、今日はやけに陰鬱な雰囲気をたたえていた。



「皆さんのそういう話。いつもながら実に見事だ。よくもそんなに怪奇の種が転がっているものだと些か感心させられますよ。でも、今日は私も飛びきり恐ろしい話を持ってるんです。よければ聞いてくださいませんかね」



それを聞くとメンバーは一斉にバーテンを見つめた。普段は寡黙なこのバーテンが何を話してくれるのだろうと期待を顔にありありと浮かべている。それらを一瞥すると再びうつむきがちにバーテンは話し始めた。



「実はねえ、この店、大赤字なんですよ。私は儲けたくて色んな事業に手をだしましてね。ことごとく失敗でしたよ。特に別荘経営なんてものは大失敗でしてね。数千万の借金を作ってしまいました。なんとか取り返そうと株にも手を出しまして。しかし結局それもダメ。傷口に塩を塗るようなもんでした。おしまいです、本当におしまいなんですよ。こんな借金まみれにしちゃってね、最近なんてもう会っちゃいないけど、それでも家族に申し訳なくてね。もう死ぬ以外ないんですよ。でも私は無類の寂しがり屋でしてね。よくこの店に来てくださっていたあなた方と一緒にあの世に行きたいんですよ…」



言葉を失ったメンバー達は何も言えずバーテンを凝視した。何かの冗談だろうと訴えかけるような目線だった。バーテンはその視線に答えるように、口元を歪ませた。




――壮絶な爆音が轟いたのはわずか数秒後だった。



 

数日後、病院のベッドの上でようやくバーテンは意識を回復させた。かけつけた医師にうわ言のように何事かを訴えかけたが、相手はバーテンの肩に手を添えて穏やかに言った。



「奇跡ですねえ。全く奇跡です。あの爆発の中で生きていらっしゃったなんて」

「あ、ああ、あの、客は。あのお客の方々は?」

「本当にお気の毒です。お店にいた方はお亡くなりになりました」



バーテンは起き上がろうとして異変に気付いた。手にも足にも感覚がない。鉛をぶら下げているように全身が重くて仕方がない。


「手が動きません…身体も、ああ、手が…」


真っ青な顔で悲痛にバーテンが訴える。


「お気の毒です」


静かにそう答える医師に、バーテンの目が向けられ大きく見開かれた。


「痛ましい限りですよ、本当に。全くあの店に爆弾を仕掛けたのは一体誰なんでしょうね、本当に酷い人間ですよ。実に酷い。そうは思いませんか」



医師の声はやけにぐにゃぐにゃと歪んで聞こえた。どうしてだ。どうして私は助かってしまったんだ。もう何も出来ない。息をすることしか。こんな悲惨な生き方なんて出来るものか。こんな生き方。

 


「あんたも終わりですよ」



ふと、そんな言葉が降ってくると同時に、医師が背を向けて部屋から出て行こうとした。呼び止めかけて、気付いた。あの医者は、そうだ。クラブに転がり込んできた若い男ではなかったか。客は全員死んだのではなかったのか。混乱する頭を枕に埋めると、耳元で沢山の声が嘲笑っているような心地がした。あの時の、彼らの陰鬱な声が「お前も終わりだ」と嘲笑っている。




執筆時期:2014年

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