第3話 美冬のはなし

「さすがに、もう陽が早いねえ」


細く白い手をこすり合わせながら、隣で美冬がぽつりといった。


高台の公園に備え付けられた錆だらけのジャングルジムから眼下に望む街は、十二月に入ってから、より一層煌いている。



昔から、なんとなくこのジャングルジムが好きで、お金のない頃のデートといえば、ここの天辺から街を見下ろしながら、二人で夕暮れまで語り明かしたものだった。近所の子供たちに囃され、鉄の棒に尻が食い込んで痛くなっても、二人で寄り添っていられれば良かったのだ。


それは今も変わらない。ただ、この季節は流石に少しつらいものがある。気温だけではなく、凍てついた鉄の棒のせいだ。



「僕は冬は苦手だ。寒いから」



そう答えてから、子供みたいな言い方だったと気付いた。


なんだか恥ずかしくなって首元のマフラーに顔を半分うずめる。そんな僕に対して、美冬は透き通るような目を空に向けたままいった。


「私はね、最近好きになったんだ」

「どうして? 寒がりのくせに」

「陽が落ちるのが早くなったら、早く夏目くんに会えるから」


しんとした公園で、美冬の声が僅かに弾んだ。


ほんのりと、彼女の頬が色づいたように見えたのは、すぐ側の電灯がついたからだろうか。




今の僕たちの関係が正しいのかどうか、僕には到底分からなかった。


だが、隣に美冬がいてくれることが幸せだということは確かだ。



一日の半分だけ、二人に与えられた時間。美冬は、陽が落ちると同時に僕の側に現れて、寄り添ってくれる。そして朝がくるといつの間にか居なくなってしまう。それでもその日の日没にはまた、僕のところにきてくれる。



互いの身体で愛し合うことはしない。それどころか、キスだって、華奢なその手を握り締める事だって、柔らかな髪に触れることすらかなわない。



触れられるほど近くに寄り添う彼女は、果てしなく遠いところへと、心も身体もいってしまったのだから。


それは、やはり悲しいことだった。


温もりを与えてはくれないその身体は、遠くの景色を僅かに透かしていた。一見寒そうなその手は、かじかむことも霜焼けに赤らむこともない。寒いとすら、感じていないのだろう。


この真冬の日没後にも関わらず、隣にいる美冬は七部袖のワンピースを一枚、身に纏っていた。濃淡さまざまな青色の花があしらわれた裾が、彼女の身動きにあわせ、風に吹かれる花畑のように、ゆらゆらと揺れている。



愛らしい美冬のその姿は、最後に会った去年の春の日から何一つ変わらない。



「今年のクリスマスは、何をくれるの?」


不意に、美冬がこちらを向いて言った。


「何って」


何を、あげようか。

何が、あげられるのだろうか。

何も、あげられないのだろうか。


意地の悪い質問だときっと美冬もわかっているのだろう。僕の目を覗き込んでいる寂しい微笑みに、後の言葉がなかなか出てこない。



「冗談。何もいらないよ。夏目くんがいてくれるなら、それで」



小さく優しい笑い声が耳をくすぐった。



去年のクリスマスは婚約の指輪を渡した。

その前は、ネックレスを。

その前は、確か美冬が欲しがっていた小説を。

その前は、互いのはじめてを。

その前は…なんだったっけ。



今、君にはもうあげられる物がない。


触れ合うことすらできない君に、一体何を送ればいいというのか。僕にできるのは、せいぜい君の体温を忘れないようにすることくらい。そして、もっともっと君の近くにいけるように日々を生きることくらい。



美冬。君はいつまでここにいてくれるだろう。



願うことならば、この日々がいつまでもいつまでも続きますように。そして早く君に触れられるようになりますように。矛盾してるなんてことは、わかってるんだ。



僕は、いつまでこの関係を続けていくべきなのだろう。



答えを何一つ持ち合わせない僕は、誤魔化すように、透けた唇を求めてみた。丁度はらりと落ちてきた初雪が、唇の上で熱く燃えたような気がした。



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