Epilogue: Moon ■■■■■r
ここにいる
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Epilogue: Moon ■■■■■r
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がたん。ごとん。規則正しいステップは段々と軽やかな音に変わる。がたん。ごとん。から、ぴっ。ぴっ。
ああ、心電図だ。ふと思い出した瞬間、自分が暗闇の中にいると気がついた。真っ暗だ。すっかり慣れたけれど。でももしかしたら、まだ幕が開いていないだけなのかも。
そっと目を開いてみた。
■■がそこにあった。
天井がそこにあった。
■い■が飛び込んでくる。
白い光が飛び込んでくる。
■で■に■■てみる。
掌で頬に触れてみる。
■■■。
温かい。
少しずつ、世界が再構成されていくのを感じる。
ふと頭を倒すと、そこに誰かいた。
「お母さん……?」
滲んだ水彩画のように映る景色が、じんわりと形を帯びてくる。お母さんがベッドの横に座っていた。
「ああ、小夜、良かった……」
お母さんは私を思いっきり強く抱きしめた。その声も、表情も、感触も、はっきりとこの体が認識している。
美影ちゃんは、私の五感を再び繋ぎ直してくれたのだ。あの夢が夢のままで無いのなら。いや、あれは本当に美影ちゃんのはずだ。
「美影ちゃんは……」
しばらくぶりの発声ゆえ、かさかさに枯れた声色だったがぎりぎり伝わったようだ。お母さんが脇へどくと、患者が運ばれるときに使う担架が見えた。白と灰色と鉄の色。その上で、美影ちゃんは眠っていた。
「やっぱり、そうなんだ」
手を伸ばしてみても、彼女までは届かない。おまけに体を動かすのも久しぶりだから物凄く痛い。けれど関係ない、私はただ貴方に触れていたいんだ。
「小夜、久しぶり」
声をする方へ視線を移すと、美影ちゃんよりも背が高くて大人びた女性が立っていた。目元は泣きはらしたように赤くなっていて、睨んではいないけれどそこに複雑な感情が見て取れた。
「新音ちゃん?」
こくん、と首が縦に振られた。やっぱりそうだ。美影ちゃんほどよく知る人ではないけれど、彼女が一番親しくしていた相手だというのは覚えていた。でもこうして新音ちゃん、と呼ぶのは多分初めてだ。
私は忘れまいと刻み込んだ列車の出来事を思い返し、囁かれた伝言を引っ張り出した。
「あの、美影ちゃんから伝言があるの」
彼女は一瞬、どうして、と眉を潜めたけれど、眠り続ける美影ちゃんを見て、新音ちゃんをはっきりと視認できている私を見て、納得したように小さく頷いた。
「百年後にまた会おう、って言ってた」
ぷ、と息を吹き出して、新音ちゃんはつかつか歩き出し、横たわる美影ちゃんの髪を撫でた。
この言葉にどんな意味が込められているのかを、私は知らない。どうしてこの言葉がそんなに優しい笑顔を与えるのかを、私は知らない。
二人の間にはきっと、計り知れない物語が含まれているのだろう。それがちょっと、羨ましく思えた。
「それまで元気にしてるんだよ」
儚げな、あるいは優しげな笑みを添えて新音ちゃんは病室の扉に手をかけた。
「えっ、もう夜じゃん! 私見送るよ」
シーツを引っ剥がそうとする私を制し、
「寝ときな、まだ動けないでしょ」
と断られた。美影ちゃんに続いてせっかく久しぶりに会えたのだから、何かお話したい。
ふんぬ、と無理やり上体を起こそうとする私を見て、観念したように車椅子を持ってきてくれた。
お母さんが椅子を引き、私は新音ちゃんを見送るためにエレベーターで地上階まで降りてきた。
「飲み物買うから待ってて」
ロビーで新音ちゃんは自販機に立ち寄った。私も飲みたい、と言うとお母さんが小銭を手渡してくれた。何せ喉がからからだった。
「何飲みたいの」
尋ねられて、カフェオレと答えようと思った。けれどふと、違うものが飲みたくもなった。私の中で二つの意見が同時に浮かび上がった。それも相反する選択肢が。
これは非常に興味深い。そういえば、あの子がよく飲んでいた。
「ブラックコーヒー」
そう言うとお母さんが私の方をぎょっとした顔で見た。
「えっ、小夜、ブラックにするの」
コーヒーでも紅茶でも、お母さんお手製のハーブティーであっても、私は必ず砂糖を入れる。そんな甘党ド真ん中の私がブラックコーヒーを選ぶことがよほど不思議だったらしい。
「何、普段飲まないの?」
ボタンに指を添えながら、新音ちゃんが聞く。
「え、ええ……この子物凄く甘党だから」
「一方の美影ちゃんはブラック派だよね」
そう言ってにかっと歯を見せると、新音ちゃんはかちりとボタンを押した。ぼとん、と真っ黒の缶が落ちたけれど、彼女は自販機を見つめたまま静止していた。
ぴぴぴぴぴ、ぱらぱっぱー。何やら賑やかな音楽が流れている。それを気に留めず、缶を取り出して私へと近づいた。私をじっと見る。その瞳の真ん中に私が反射している。
「そこに、いるの」
彼女がどこまで状況を理解しているかは分からない。ここは病院なのだから、美影ちゃんが深い睡眠状態にあることは分かっているだろう。
しかし私と彼女とが夢の世界で繋がった事までは誰も知り得ないし、信じ得ないだろう。
けれど新音ちゃんは、そんなお伽噺のような結末に辿り着いたのかもしれない。あるいは、美影ちゃんは今もなおこの世界に息づいているのだと信じたいのかもしれない。
私がブラックコーヒーを選んだことが、夢の世界からはるばると届いた美影ちゃんからのアマゾンお急ぎ便だとは限らない。
けれど、もしも。無意識と意識の境界で、私を支える存在になってくれたのだとしたら。私の為に彼女は長く遠き船出に出発したのだと告げたのなら。
彼女は信じてくれるだろうか。
私は信じたよ、貴方はここにいる。
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