やるせない
帆波は美影とのやり取りを簡潔に話した。
自身は仕事の関係で中々お見舞いに行けないから、たまに彼女とのやり取りを聞かせてほしいと。
「あの子も寂しがっているだろうから」。初めて病室へ向かう車の中で囁かれた言葉が、すでに大きな楔として打ち込まれていたのだ。
贖罪を増幅させる、恐るべき毒薬。
「……美影とどんな会話をしていたんです」
「別に、ただ小夜の様子を聞いていただけよ」
「私の分まで話してあげて、なんて言っていませんよね」
それは、と言い淀む。
彼女は知っている。本当の悪意とは言葉でも態度でもなく、その行間に潜んでいる。言葉を発し終えたあとの小さな吐息。ほんの僅かに上ずる声色。瞬間的に訪れる会話の間。
そういった装飾を施しながら、「私の分まで」なんていう言葉をかけたら、彼女はどう受け取るだろう。
「罪の意識をそこで償え」
極端な結論だが、無意識にそれに近い考えに辿り着くかもしれない。毎日通っているのは自分だけ。実の母親よりも多く、かつて小夜を虐めていた自分が関係を深めていく。
それは何のために? 友情? それとも贖罪? 答えの出ない思考の螺旋に囚われる。
「元気そうで良かった」
時には嬉しい報告を。
「あの子の力になりたい」
時には前向きな愛情を。
「どうすれば良かったの」
時には背負う必要のない罪悪感を。
遠回しに引き出し、それを話すよう誘導した。私はそう予想した。そしてそんな最悪のコミュニケーションとは、どうやらおおよそ本当に起きていたらしい。
目を伏せて居心地の悪そうな表情をする帆波を、とりあえず一発殴りたかった。
「尽くしてもらうことで、償ってもらいたかった。それ以上の意図はなかったの」
「ならあんたは、今の美影の姿を見ても申し訳ないと思わないの? 写真見せようか」
「それでも一人の親として、娘を傷つけた人を許したくはなかったの」
「黙れよ」
叫びながらぬいぐるみを地面に叩きつける。投げてから我に返って、こればかりは八つ当たりだと気がついた。小夜の想い出に罪はない。しかし拾い上げる余裕もない。
「親としての務めと個人の感情とを天秤にかけるなよ。娘より自分の怒りのほうが大事なの?」
「馬鹿言わないで」
今度は帆波が叫んだ。廊下で看護師が立ち止まって様子を伺っている。一瞬視線を送ると、すぐに引っ込んだ。もう少し頼れる人を呼んでくるかもしれない。早めに決着をつけなければ。
「私は世界中の誰より、小夜を愛しているわ」
「ならどうして――ああ、そうか」
今まさに合点がいったようにため息をつく。感情を逆撫でするのは言葉じゃない。
「貴方は諦めていたんですね、小夜のことを」
病室に来て初めての静寂。足音も点滴のキャスターが地面を叩く音も遠くにあった。
帆波は膝をついて声を吐き出した。
「諦めるしかないじゃない……」
それが全てだった。彼女はとっくに、結末を覚悟していた。実の親すらも感じられなくなる、そんな絶望的な未来を直視出来なかったのだ。
その恐怖を否定することは出来ない。私だってきっと、愛する人がそうなれば同じように逃げ回ったかもしれない。
そういう意味では、帆波一人を責めることは出来ない。誰しもがどうしようもない感情を抱えたまま、呼吸をしたくて藻掻いていただけだ。
何なのだろう、このやるせない気持ちは。
そろそろ別の看護師が仲裁に来るだろうか、と廊下を見て、私は息を呑んだ。
「美影……?」
扉に寄りかかりながら、美影が立っていた。虚ろな目で、私でも帆波でもなくある一点を見ていた。
呆気にとられた私達は動くこともできず、ふらふらと歩み寄る美影を見ていた。
地面に落ちたぬいぐるみを拾い上げて、彼女は囁いた。
「小夜、■■■■■■■■■」
あまりにもか細く、繊細な言葉は私の耳には届かなかった。
ふと糸が切れたように、月光が雲に覆われるように、最後のひとひらが舞い降りるように。
美影は倒れた。
ごちん、と鈍い音を立てて。
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