噛み潰したい

 部屋を出て、携帯の地図アプリを開く。

 示された住所には電車で向かわなければならない。あの子はどんな気持ちで電車に揺られただろうか。その場所の前に立つまでに、どれほど時間がかかっただろうか。

 初めて小夜のことで相談を受けたとき、私は美影を心配する言葉ばかりを選んだ。それは半分本心だけれど、もう一つ意図があった。

 美影とは別のものを意識から外したかったからだ。会話の合間に、私はそれとなく聞き出していた。世間話の一部のようにして。

 きっと貴方は覚えていないだろうし、会うことも無いと思っているだろう。

 残念ながら貴方と違って私はせっかちなのだ。


「立派な家じゃん」


 小夜の家の前で、一人呟いた。

 聞き出していたのは、彼女の住所。

 かつて美影が住所を探していた際、私は知らないと答えた。それは本当に知らなかったし、仮に知っていたとしても教えるつもりは無かった。ただ遊びに行きたいわけじゃないのは声色から明らかだったから。

 その後誰から聞き出したかなんて私は知り得ないし、それから何年も経ったとなれば連絡先が生きているかも分からない。

 だから直接聞くことにした。出来るだけ意識されないように。覚えてしまえば、私が美影と小夜の関係を引き裂くのではないかという考えに到達するだろうから。

 御名答。私はこれから、貴方の呪いを断ち切りに行く。ピンポーン。


「新音さんね、中へどうぞ」


 小夜のお母さんは、彼女に似て作り笑いが苦手なようだ。外観に負けないくらい内装も綺麗で、少し驚いた。


「美影ちゃんは元気?」


 差し出されたハーブティーを一口啜り、カップをそっとお皿の上に置いて間を作った。


「その事でお話したい事があるんです」


 わざわざ小夜の親族に会いに来た理由は二つある。一つは小夜の事について、美影以外の人から話を聞きたかった。美影を守るためとはいえ、彼女の話だけを聞いていても解決策や問題点は見つからない。小夜により近い存在にも現状を聞かなければならないと判断した。

 二つ目はより踏み込んだもの。これを話すには出来るだけ一つ目の問答で私との距離を縮めなければならない。それほどにセンシティブな問いかけとなる。


「あの、小夜のお母さんは――」


「名前で、帆波で良いわ」


「ああ、そうでしたね……帆波さん、御影は今難しい状態にあります」


「具体的には?」


「ここしばらくは私の部屋に泊めていますが、食事も睡眠もままならないです」


「そう……それで……」


「まずは小夜の事についてお聞かせください。彼女が原因だと言いたいわけではありませんが、お見舞いに通い続けた事でああなったのは事実ですから」


 やや頭を巡らせるように視線が上を向く。帆波さんはやがてぽつり、ぽつりと一つずつ言葉を零し出した。

 ある日突然、美影が家に来たこと。その会話。

 その後、小夜の病室へ連れて行ったこと。そのやり取り。

 それから毎日のようにお見舞いに来てくれたこと。母よりも多く過ごした時間。

 何よりも小夜の病状についても。もう喪われてしまった現実。


 話し終えるまで、私はじっと彼女の表情を観察していた。そこに嘘は含まれていない。しかし美影から聞かされていた話と帆波さんからたった今聞いた話、そのどちらにも共通する「違和感」が存在することが分かった。

 美影が話す小夜との日常について、「違和感」となり得るそれを話す必要は確かに無い。しかし帆波さんが話す場合にはそれは話す必要がある。

 嘘はついていない。ならば答えはもう一方。帆波さんは何かを隠している。それを暴くのはやはり、二つ目の問いにあるのだろう。


「そうですか、美影は思っていた以上に後悔していたんですね」


 小夜を小突いて怪我をさせていた事は知らなかった。私からすれば皆で虐めていた出来事しか知らないから、なぜ彼女一人でそれを抱えようとしていたのかが分からなかったのだけれど、これで合点がいった。突き転がした直後に彼女が長期入院を始めたことは完全な偶然だが、誤解し責任を抱いてしまうのも無理はない。


「はじめはすぐ来なくなると思っていました。だって美影ちゃんには沢山お友達がいるでしょうし、小夜一人に費やせる時間は限られていますから」


「でも小夜が全てを喪うまで、あの子はずっと通い続けていました」


「ええ。正直びっくりした。正確に言うと、昏睡状態になってからもしばらくはお見舞いを続けてくれたわ」


「もし良ければ、小夜の病室を教えてもらえませんか? 私も一度お見舞いに行きたかったので」


 少し熱の抜けたハーブティーを一気に流し込み、先に立ち上がった。時間が惜しい。あまり長い時間、美影を一人にしたくはないから。

 急かされるように帆波さんも慌てて立ち上がった。私は嫌な女のままでいい。どうせ私は満たされている。喪われてしまう怖さなど知らずにここまで来てしまった。

 せめて美影の抱いた恐怖を、私もともに噛み潰したい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る