Chapter 3: Fly To The Moon

私なんだよ

―――――――^v―――――――

Chapter 3: Fly To The Moon

―――――――^v―――――――



 突然首元を掴まれ、私は驚いて目を覚ました。

 向かい合って寝ていた美影の手が、私の襟元を掴んでいた。彼女は寝汗で濡れた髪の毛が張り付いたまま、私を呆然とした表情で見ていた。

 この汗は夏のせいじゃない。


「悪い夢でも見たの」


 と尋ねると、


「分かんない……ごめん、新音」


 手を引っ込めた。ここしばらく、美影は私の部屋で寝泊まりしている。そうしてほしいと私が頼んだからだ。お互い一人暮らしだから気兼ねなく泊まり泊まらせられるけれど、単純な交友とは今回ばかりは異なる。

 ここ数ヶ月で美影は十キロ以上痩せた。元々線の細い子だというのに、今では病人のようにやつれている。そしてその事を自覚できていない。

 原因は分かっている。小夜だ。彼女とあまりに深く関わりすぎた。何度も引き留めようとしたけれど、美影はずっと病院へ通い続けた。

 一度小夜の姿を見に行ったのも、彼女が抱え込んで耐えられるものなのかを知りたかったからだ。しかし行かなくとも分かりきっていた。美影は臆病で悲観的で、そして誰よりも自責の念が強すぎる。

 自分を責め、否定し続ける事で安心を得ている。最悪を想像すれば、それよりマシな未来しか来ないと信じているのだろう。

 けれどあの姿は、想像し得るどんなものよりも絶望的だった。だからいつかこうなると覚悟はしていたし、そのための準備はしていた。


 おそらく大学には休学届を出したのだろう。そしてそのことを彼女の両親は知らないでいる。いや、知る必要が無いのだろう。

 どうして美影は生き辛い道ばかり選ぶのだろう。私の部屋に止まるようになってから美影はあまり眠れなくなっているようだった。

 目の前でボロボロになっていく貴方を見ていると、私の無力を痛感する。

 あの時、私が止めていれば。いいや違う。私があんなことを言わなければ。


 私なりの気遣いだったのだろう。

 本当は美影が何をしたいのか、しかしその選択の先を考えてしまい怯えていることも分かっていた。分かっていて背中を押した。

 美影、貴方は覚えていないだろうけれど。


「小夜ってウザいよね」


 そう言ったのは私なんだよ。

 貴方はあの時、小夜を虐めた贖罪として通い続けていたのだろうけれど。

 罰せられるべきは私なんだよ。

 そしてその事実を告白し、貴方を開放する勇気すらない、本物の臆病者は私なんだよ。

 私はただ、赤子のように怯えながら目を閉じる貴方を抱きしめることしかできない。



「これから出かけるけど、何かいる?」


 朝になって、布団にくるまる背中に声をかけた。今日は休みだから時間はいくらでも作ることができる。

 彼女はもぞもぞと首を振って答えた。シーツと髪が擦れ合う音を聞きながら、「そう」とだけ答えた。


「あと少しで……」


 ぽつりと零れ落ちた言葉に、私は振り返らなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る