夢を見る

 新音の懇願を理解しつつも、それでも私は通い続けた。私と小夜、二人で奏でる沈黙の時間を噛み続けた。それは二十歳まで続いて、そして全て台無しになった。


 ぶーん。ぶーん。心臓よりも主張する振動がポケットで暴れる。


「美影、もうやめて」


 今が何月であるかも興味から失せた夜、新音からのメッセージに返信することをやめた。

 人生には孤独という楔が備えられている。こんなにも尊く、痛みを伴う機能が予め組み込まれているのなら。

 もはや疑う必要はない。

 連鎖よ続け、貴方のもとまで。


 

 ――枯れ落ちた花弁を拾い上げて、窓の外へ投げた。七月の風は生温く、余り肌触りの良いものとは思えない。けれど私は空気を吸い込んで、その味をぎゅっと噛み締めた。


「おはよう、小夜さや


 今は午後三時頃だけれど、たとえ何時であってもそう話しかけると決めている。

 彼女は眠っている。あるいは目覚めている。その差異は私の目では判別がつかない。ただ目を閉じていることだけは確かだ。

 散らばった前髪を指先でつまみ、そっと綺麗な形に整える。ぴくりとも動かないものだから、時々生きているかどうか分からなくなる。

 だからその小さな身体を抱きしめる。心臓の音。擦れる肌の感触。小さく上下する胸。髪の毛の甘い香り。そして、そっと触れる唇の感触。


 彼女は間違いなく生きている。十五歳の夏から始まった交流は、二十歳になった夏もまだ続けている。ただし、今はもう一方的な交流を。


 彼女は天国への階梯に脚を掛けた。しかしその事に彼女自身が気づいていない。気づけるはずもない。階段があること、脚を上げていること、それらを彼女は知ることが出来ない。

 瞳も耳も鼻も舌も、みんな捧げてしまったはずなのに。金銀財宝は貰えなかった。ああ、地球を動かす脚本家はなんて意地の悪い奴だろうか。


 始めは目を。

 続いて耳を。

 そして鼻を。

 さらに舌を。

 最後に肌を。

 彼女は喪った。

 彼女はとことんまでに不幸へ堕ちてゆく。

 何よりも哀しいのは、その痛みを私が引き受けられない事。出来ることなら貴方こそが生きるべきなのに。

 

 また一つ、花弁を拾い上げた。小さなサボテンは花を付けては散らしてゆく。その可愛らしい花弁たちは、もう届いてほしい人の目には映らない。隣で真っ白に光る兎のぬいぐるみが、もの言いたげに首を傾げていた。


 ぶーん。ぶーん。心臓よりも主張する振動がポケットで暴れる。


「私、どうすれば良かったの」


 泣き叫びたくてたまらないのに、涙なんて出てくれない。貴方の前で泣けるほど、私は器用に自分を曝け出せない。

 私はただ、勝手に罪を刻み続ける。きっと私にも落ち度があるんだ。そう思い込む事で、本当の本当に最悪な未来を想像し続ける事でしか、私は私を慰められない。



 私は今日も電車に揺られる夢を見る。

 しかしそこはもう一人ではなかった。

 私の他にもうひとり。

 誰かが私の向かい側にある座席に座っている。

 振り向く勇気はない。

 私を見る私もまた、そちらに視線を移す事はしない。

 誰が私を見ているのだろう。何の為にそこにいるのだろう。

 せめて何か、伝えてくれはしないだろうか。私は貴方の何者であるのかを。私達の列車はどこへ向かうの?

 そこにいるのは貴方なのか。あるいは私自身なのか。それとも全く別の、例えば……。

 これは途方も無い空想の庭か、あるいは奇跡を紡ぐ偽りの夜旅か。いずれにせよ、私が言うべき科白セリフは一つだけ。ここから連鎖を始めよう。


「多分だけど、ハズレ」

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