再会

 それは金曜日の出来事だった。

 週が明けて月曜日、小夜は学校に来なかった。次の日も来なかったし、それは卒業式まで続いた。病気で休んでいる。それ以上の理由は誰も教えてくれなかった。

 ごちん。あの鈍い音が繰り返し再生される。

 家のインターフォンが鳴るたび怖かった。


「貴方の娘さんのせいで、小夜は入院しました」


 そんなシナリオが頭を駆け巡って、布団にくるまって息を沈めていた。

 なんとか高校には合格したけれど、私は新たな学校での友達作りよりも小夜がどうなったかしか興味がなかった。

 だからまず新音に連絡した。何でかは知らないけれど、彼女は聞けば大体の事は答えてくれる、頭のいい奴だったから。しかし彼女は小夜の家の住所を知らなかった。

 次にクラス名簿を引っ張り出して、小夜と交流のありそうな奴に片っ端から連絡した。何人かとのぎこちない会話が続き、ようやく住所を知る者にたどり着けた。

 私がヤンキーに片足突っ込んだ輩だと知っているからか少し怯えてはいたけれど、きちんと所在を教えてくれた。

 

 しかし、実際に彼女の家に行くまで時間がかかった。行こうとすると過呼吸になってしまうからだ。

 何度も家の近くの公園で座り込んだ。降りるはずの駅を何度も乗り過ごした。どんな顔で行けばいい? どんな言葉を伝えたらいい?

 高校最初の夏休みが来て、これはいよいよ腹を括らなきゃならないとようやく決意した。

 グループの奴らを呼ぼうかとも考えたけれど、これは一人でやらなきゃいけない、と震える膝を叱りつけた。叱ってくれるのは小心者の私だけ。


 家はそこそこ立派な佇まいで、車庫にある車もピカピカの新車だった。住所を見た時点で予想はついていたけれど、中々裕福な家庭らしい。

 インターフォンを鳴らしてしばらくすると、女性の声がした。柔らかくて心が絆されるような、素敵な声だった。


「あの、私――」


 小夜さんの友達で。そう言おうとして恐ろしくなった。友達? そんな関係なわけがない。彼女が学校に来られなくなった原因は私にあるかもしれないのに、何でそんな嘘をつこうとする?


 一瞬の沈黙の後、我に返って説明した。

 同じ学校で。何度か話もして。急に来なくなったから心配で。出来るだけ嘘はつきたくなかったけれど、この瞬間に真実を話す勇気もなくて。ただ秘めていた思いを伝えた。


「わざわざありがとう。良ければ中に入って」


 通されたリビングはやたらとキラキラしていて、ドラマのセットに立ったような気分だった。こんな素敵な家にいて、彼女は何を隠すことがあったのだろう。

 出されたティーカップに何が煎れられていたのかもよく覚えていない。味なんて分かるはずもなかった。カップを持つ手は震えていた。


「あの、小夜のお母さん、その……」


帆波ほなみって名前なの。帆波さんで良いのよ」


 胃が焼けるように痛い。

 涙よりも先に謝罪の慟哭が漏れそうなくらいに感情は入り乱れていた。

 帆波さんは私の手を取り、大丈夫、と囁いた。もしかしてこの人は、もうすべてを知っているのではないか。恐ろしいというよりも、何て優しいのだと衝撃を受けた。

 堰き止められていた喉が途端に開かれ、私は一気に抑え込んでいた言葉を吐き出した。

 彼女を虐めていたこと。彼女の事を恐れていたこと。そして彼女を突き倒してしまったこと。

 帆波さんは小さく頷きながら、最後まで黙って聞いていた。


「話してくれてありがとう」


 あの時の小夜と異なり、それは本物の笑顔だった。


「美影ちゃんって名前はあの子から時々聞いていたの。だからてっきり仲がいいのかと思っていたのだけど……そんな事があったのね」


「えっ、知らなかったんですか」


「もちろん。悩み事があっても話さない性格だから」


「お、怒らないんですか……?」


「親として怒りたい気持ちはあるけれど、謝罪の気持ちは十分伝わったもの。それに勘違いしているのよ」


 とん、とん、と細長い人差し指が机を叩き、しばしの思考を経て帆波さんは口を開いた。


「あの子の病気は、貴方のせいじゃないの」


 せっかくだから行きましょう、とピカピカの新車に乗せられ病院へ向かった。ふかふかのシートや電気自動車の静けさに怯えながら、市内の大病院に到着した。


「あの子も寂しがっているでしょうから、会ってほしいの」


 長期入院病棟の広い個室の並ぶエリアに連れられた。想像の中の病院と異なる温かい雰囲気の内装を見て、本当に裕福な家庭なのだと思い知らされる。こんな場所に何年も入院するのなら、莫大なお金がかかるはずだから。


「あ、お母さん」


 扉を開いた瞬間、中から彼女の声がした。

 私はびくりと身を跳ねさせ、その場に立ち竦んだ。

 動けなくなった私に気づいて、帆波さんは部屋から顔を出した。


「どうしたの?」


「あっあの、すみません……すみません、その……」


「大丈夫よ、ゆっくりで良いから」


 私はその場にうずくまり、大丈夫、大丈夫、と呟いた。呟くたびに過呼吸を起こしそうな予感が飛来したけれど、ここまで来て逃げるわけには行かなかった。

 扉に手をかけ、床を見つめたまま部屋に入った。どんな言葉をぶつけられるだろう。投げられるものがあるなら投げてほしい。出来るだけ固くて痛いやつを。ごちん、で済まないような物なら尚良かった。けれど。


「あれぇ、美影ちゃん! どうしたの」


 彼女は笑っていた。恐る恐るその顔を見た。

 見たことのない笑顔の形をしていた。優しくて、柔らかくて、母親似の笑顔。

 嘘じゃない。本当に喜んでいる。なにより彼女は私の事を覚えていた。

 私は彼女のベッドまで駆けて、シーツをぎゅっと掴んだ。


「ごめんなさい、小夜……ごめん……本当にごめん」


 泣きじゃくる私の頭を撫でて、彼女は言った。


「たんこぶにはならなかったよ。ちょっと痛かったけど」


 それが小夜との再会だった。

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