たんこぶ
何かを隠している。それが初めての印象だった。中学校一年生、同じクラスの連中をぐるっと見渡した時、真っ先に目が止まったのが小夜だった。
別になんてことない、素朴で引っ込み思案な女の子。よくいるタイプのはずだった。話しかければ答えるし、泣いたり怒ったりするよりもぐっと一人堪えるような、損をしそうな性格だった。
けれど私は考えた。ぽつりぽつり話す友達はいるようだけれど、心から笑い合って仲良くしていそうな相手がいなかった。かといって本を読んだり絵を描いたり、内側の世界に籠もる姿も少なかった。
例えば休憩時間にぼうっと外を眺めたり、手を洗おうとしてじっと流れる水を見つめていたり、とにかく不思議な行動が多かった。
一ヶ月経ち、二ヶ月経ち、ちっとも人柄が見えてこないものだから段々と苛立ってきた。
変な行動に腹を立てたからじゃない。明らかに何かを隠しながら生きているようにしか見えなかったからだ。
継母と戦う事もなく、不幸な日常をたやすく受け入れるシンデレラが嫌いだった。悪意の一つも知らず、純粋無垢な掌で林檎を手に取る白雪姫が嫌いだった。
誰しも悲劇を抱えていて、誰もが戦い続けている。可哀想な私、なんて生き方が嫌いだった。
だから私は。いや、正確には小学生のころから親友である
何人かのグループで群れていて、いつも誰かの噂話に興じていた下らない日々で、誰かが提案すると他の全員が同調する。そんなどうしようもない張り子の集団だった。そのうちの誰かが言ったのだった。
「小夜ってウザいよね」
そんな風な言葉を投げた。覚えていないけれど、多分私が言った。そう思っている。よね、という語尾には強制的な同意が含まれている。無論一斉にああだこうだと無理やりな理由を述べていく。
そうして愚かな日々が始まった。とはいえ私達は他人を傷つけるプロではない。表面上は嘲笑いながらちょっかいを出すけれど、常に相手や周りの顔色を観察していた。
どこまでなら笑って許されるか。どんな事をすれば冗談で済まなくなるのか。最初の二週間くらいは彼女と同じくらいこちらも緊張していたと思う。だから何だという話だけれど。
実際に何をやったかなど、いちいち思い出す価値もない。机に誹謗中傷を書いたとか、授業中にゴミを投げつけるとか、誰でも思いつく程度のものだ。
靴に画鋲だとか、トイレに閉じ込めて水を浴びせるなんて事はしなかった。大事を起こす勇気すらなかったのだし、何より私は小夜を恐れていたからだ。
怒ることも泣くこともなく、心から笑う姿も殆ど見たことがない。そんな感情の底が読めない人間に出会ったのが初めてだったからだ。
何を考えているのか、何を隠し持っているのか、想像上の小夜は常にその輪郭があやふやだった。
教師たちの目にも止まらないような些細ないたずら。それは二年生で彼女と違うクラスになった事で一旦は止んだ。三年生になって受験の季節が始まり、私はグループの連中と距離を置くようになっていた。
殆どが地域内の普通校を選ぶ中で、私は私立高校を目指していたからだ。新音もまた受験組だったが、プライベートを楽しむ余裕があったのか関係を維持し続けていた。
私はとてもそんな余裕などなく、落ちたらどうしようという不安ばかりが溜まっていた。つくづく小心者なのだ。
そのストレスがピークに達した時、放課後の廊下でしばらくぶりに小夜を見た。クラスが違うと存外すれ違う回数は少なくなる。
彼女は二年で更に陰りが深まっていて、正直目があった瞬間は小さく息を呑んだ。
けれど彼女は余所行きの笑顔をすぐに貼り付けて、視線を逸した。屈辱的だった。私のした事など何とも思っていないような、ただのエキストラのような扱いに愕然とした。
あんなに必死に彼女の心をかき乱そうとしたのに、奥底にある暗闇はほんのさざ波すら起きていなかったのだ。
だから私は声をかけた。
「ねえ小夜、あんたは受験受けるの」
「あ、美影ちゃん……そうだけど、何で?」
「いや、お互い大変だけど頑張ろうって言いたくて」
そう言って彼女の手を掴んだ。少しだけ気が緩んだように見えた。私はこんなにも頭の中が爆発しそうだし、他の人たちも少なからずピリピリしている。こんな空間に居続ければ、ちょっとした刺激でいとも容易く感情が露呈する。
私はただただ知りたかった。どんな怒り方をするのかって。どんな泣き方をするのかって。知って安心したかった。
どんな秘密を抱えているかは知らないし、無理に教えてくれなくていい。でもせめて本当の感情を見て一人の人間として心に留めたかった。
ああ、やっぱり臆病者なんだな。
私は彼女の脚を払った。ふわ、と一瞬身体が宙を浮いた。手を握っていれば、精々尻もちをつく程度だろうと思っていた。けれど人が躓く時というのは、片手で支えられるほど軽い衝撃では済まされない。
掴んでいた手がするりと抜けて、小夜は思い切り床に倒れ込んだ。
ごちん、と鈍い音を立てて。
私はどんな顔をしていただろう。慌てて心配するようじゃ駄目だ。例のグループの誰かがいるかもしれない。だからちょっとからかっただけだと陽気に振る舞わなければならない。
手を伸ばそうとして、引っ込めて、やっぱり差し出して、彼女をぐいと起こした。
「あは、ごめんごめん。そんな豪快にコケると思わなかった」
怒り散らしたり泣き出したりすればどれほど救われただろう。悪い行いをすれば叱られるのが当然だ。そういうシステムの中にいたかった。
けれど小夜は。
「たんこぶって言うと可愛らしいけど、皮下血腫って言うと途端に怖いよね」
そんな事を呟きながら、すたすたと去っていった。相変わらず、張り付いた笑顔を保ったままで。
私なんて眼中に無いように。当たり前だ、絡んだところで得することは何もない。彼女が正しい。
取り残された私は行き場のない恐怖をやり込める為、壁を蹴り上げた。じいんと足の裏が痛かった。
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