第十六話 ひと時の安らぎ

~ 2004年8月11日、水曜日 ~


 私は恋人のマンションで司法試験の勉強をしていました。今日はアルバイトがないようで勉強をしています間、貴斗もずっと同じ空間にいてくれました。

「キャッ!」

 集中していましたら貴斗が急に背後からお抱きつきになりますものでビックリし、その様な声を上げてしまいました。

「たっ、貴斗、急にどうしたのですか?」

「俺なりの愛情表現」

「ばっ、馬鹿」

 彼は私にそのような事を言いいますからか顔の温度が上昇してしまったのす。

 今まで彼、そんな積極的な事をしてはくれませんでしたのに。

 春香が目覚めてくれたおかげで、彼の中で何かがお変わりしたのでしょうか?なんだか嬉しい予感です。

「ごめん、気悪くした?」

 彼の顔を見る事は出来ませんでしたけど、心配そうな声でその様に口にして下さいました。

「急に、でしたから・・・」

「どうだ、勉強、進んでいるか?」

「頑張っていますけど、ドレだけ出来ているか自分では判断できません」

「まぁっ、それなら仕方がない。それよりそろそろ夕食にしようか」

 彼にそう言われましたので壁に掛けてありました時計を確認・・・、午後7時32分。

「いっけなぁ~~~い、もうこんな時間なのですね、急いで準備いたします」

 すでにご夕食時になっていましたのに気付いて慌ててそちらの支度を始めようとしたのですが。

「オカズは詩織お前だ」

 彼は優しい瞳で見詰めながらそう口にしたのです。

「あっ」

 彼のその様な表情とお言葉を聞いてしまいましたら先程以上に私の温度が上がってしまいました。なぜかしら、今日の彼はとても大胆、すごく嬉・・・、と思わされたのはほんの一瞬だけでした。

「・・・、じょ・う・だ・ん、冗談だよ、詩織。ハッハッハハハ」

「ぬぅあぁんですってぇ~~~~っ、たぁかとぉのぉ~っ・・・ばぁかぁぁああぁぁあぁぁぁっぁっ!!!」

 彼は意図も簡単に私の期待を裏切ってくれました。

 お仕置きです!の手は自然にテーブルに置いてありました刑法の書を彼めがけスウィングしたのです。

 彼の腕が顔をガードしますけど物理の法則に適いまして、威力を増しました私のそれは彼に大打撃を与えたのです。

「じゅびばじぇん、グハッ」

 いい残しますと彼は倒れてしまったのです。やりすぎてしまいました。

〈ごめんネ貴斗〉

 アイスノンを取りにキッチンへと向かった。

 キッチンのテーブルには彼がご用意してくれたと思われます夕食がそこに奇麗に並べてあったのです。

 それを見た私は彼にした仕打ちに酷く後悔してしまいました。

 リヴィングに戻りまして、彼の頭を私の膝に乗せますと、タオルで巻いたアイスノンを彼のオデコに乗せるのです。

 それからおおよそ十数分、彼の目がやっとお開きになりました。

 彼を上から覗き込むようにしながら口を動かす。

「アッ、気がついたのですね、貴斗。ごめんなさい」

 先程の事を山より高く、海よりも深く反省して彼に謝りました。

「悪いのは俺の方だ、だからお前が謝る必要ない」

 こんな状態でも彼は私の事を心配して下さっていますようで、その様なお言葉を掛けてきたのです。

 私が悪いのにそんな事を言われてしまいましたら・・・。

「ゴメンな」

 そう言いまして彼は身体を私の膝からお起こしになられました。

「うぅん、もういいの。貴斗、夕食ご用意してくれていたのですね、有難うございます」

 私は彼がそうしてくれました事に感謝してそうお言葉にする。

「お前の料理ほど美味くないが、食べられない事ないだろう」

 最近、彼は料理に興味をお持になったのか、それとも私が司法試験を頑張っている為なのでしょうか?

 たまに料理を作ってくださいます。メニューのバリエーションは少ないですけれども彼は器用に包丁や鍋をお扱いになり、専ら中華料理を作ってくれるのです。

「ウン、貴斗の愛情がこもった料理ですものね」

 彼のその様な真心に対して恥ずかしながらも私は本心でそう口を動かしました。

「俺は嫌だぜ、幾ら愛情が篭っていても不味かったら、ぜぇ~~ったい、食わん・・・、その点、お前の料理は極が付くほど美味いから問題ない。今すぐにでもレストランのシェフ長に成れるのと違うか?」

 彼は一言、余計な言葉を口にしつつも私を褒めてくれました。でも、こうも貴斗が食に拘るのは実は昔の私の所為なのかもしれません。ですけど、その様なこと記憶喪失進行形の彼には気付かないのでしょうね。

「もぉ~~~、馬鹿なことを言っていないで早くお食事にしまショ」

 そう思いながら私は彼の作ってくださった料理が冷めてしまう前に彼をせかす様にしてそうお言葉にさせてもらったのです。


~ 2004年8月13日、金曜日、自宅 ~


 八神君にご協力する為、貴斗を私の家にお呼びしていました。

 来週の16日に皆様で春香のお見舞いに参りましょうといいます事になったのですけど貴斗、彼だけがそれをご承知しなかったのです。

 私も貴斗を春香に合わせたくはなかったのですけど、三年も経ちましてやっとお目覚めになりました彼女のそのお願いを無碍にするわけにも行かず、表面上は賛成していたのです。それと貴斗がお見舞いに行きたくないと申します理由は2つ。一つ彼は香澄と会いたくない。二つは現状の春香を見たくない。

 そして、今、八神君の秘策のシナリオどおり演じまして、彼に16日のお見舞いにご同行して頂きますのを承諾させる事に成功したのです。

「ホントですか、貴斗も一緒に行ってくれるノォですかぁ?」

「二言はない」

「ウフフフッ、本当に八神君が言った通りですね」

 今の貴斗の口癖になりつつありますそれを聞いて、つい口を滑らせてしまいました。

 失敗、失敗。一流アクトレスを演じるのは私に無理みたいです。

「なにっ!?」

「ゼェ~~~んブ、今までの演技ですよ」

 軽く笑いながらバレてしまいましたので正直にそう彼に言いました。

「だって泣いていたじゃないか?」

 彼がそうお聞きになりますので仕方がなく、涙袋(目薬)を見せした。貴斗って妬けてしまうほど女性の涙に弱いようで、この手はとても有効なのです。

「NO~~~俺はこんな子供騙しに騙されたのかぁ~~~!?ジーザス。行かない、絶対に行かない」

「ねぇ貴斗、二言はないのでしょ?」

「フッ、そんな事、言った覚えはない、世の中、証拠が無ければ全て偽り」

 どうしてか八神君が言いました通りに貴斗が行動をとりますので面白かったりします。スカートのポケットに忍ばせていましたCDR(コンパクト・デジタル・レコーダー)を手に取りマニュアル通りの操作をしてそれを貴斗にお聞かせするのです。

「貴斗、ハイこれ聞いてくださいねぇ」

『貴斗、私の事、本当に愛してくれて?』

『アッアァ~~~』

『ちゃんと言葉に出してくれないと気持ち伝わらないです』

『スッ、好きだよ、詩織だけを愛している」

『だからその・・・』

『分かったよ、行く、行きます、行かせて貰います、だから泣き止んでくれッ!』

『頼むよ、詩織!』

『ホントに貴斗も一緒に言ってくれるのですか?』

『二言はない』

「ハイ、これでおしまいです。八神君が『最後にアイツの事だ。証拠が無いと認めないだろう。何かに録音して置けば完璧だ!』って言ってこれを私に貸してくれたのですよ♪」

「・・・・・・シ・オ・リィーっ、それをぉ~~俺に寄越せぇ~~~っ!」

「いやですよぉ~~~?だって、貴斗、わたくしに」

 その様に口にしますと再び、CDRの再生ボタンを器用に押しまして、

『スッ、好きだよ、詩織だけを愛している』の部分だけをリピートさせ彼に捕まらないように中庭を逃げ回りました。

「何て滅多に言ってくれないのですもの」

「捕まれ、このヤロッ!」

 追いかけてきます彼は中庭の窪みに足を取られてしまい躓き、勢いよく前方へとお倒れになってしまいました。

「タッ、貴斗!」

 心配になって逃げる足を止め彼の方へと戻って行き、彼の目の前にしゃがみ込んだのです。彼の目から涙が零れている事を確認、

 可哀想になってつい幼き日の呼び名で、

「貴ちゃん、大丈夫?ヨシ、ヨシ」と言いながら彼の頭を優しくお撫でしたのです。

 只今私が口にいたしました呼び名、〝貴ちゃん〟とても懐かしい響き。

 小さい頃は親しみを込めて私はいつも彼をそう呼ばせていただきました。

 ですが、中学一年生の終わり頃、彼が〝人前で恥ずかしいからその名で呼ぶな〟と言われましてから貴斗君と呼ぶようになり今に至りましては彼を貴斗と呼ばせて頂いています。

 もし、現在人前で彼の事を〝貴ちゃん〟とお呼びしたら彼はどの様な表情をしてくださるのでしょうか?・・・、でも怖くてちょっと出来ませんけど。


~ 2004年8月15日、日曜日 ~

 全国水泳連盟記録会会場、聖陵大学付属学園高等部屋内プール場。

 今日この会場に実行委員として出席していました。

 私は役員の権限を生かし、貴斗と一緒に間近で翠ちゃんの応援を出来るように取り計らってもいました。

 彼女の事で一つだけ知らない事がありました。それは昨日、翠ちゃんが疲労の所為で倒れてしまったと言う事です。でも、翠ちゃんはその様な事がありました素振りなど見せず、今日も元気でお顔を見せてくれたのです。

 もう少しで午後の大会決勝戦が始まります。

 遂に翠ちゃんはここまで勝ち残ってきました。

 貴斗と私以外の翠ちゃんの知り合いは一般観客席の方で大会を観戦しています。

「貴斗、どうしてそんなにソワソワしているのですか?・・・、もしかして緊張でもしているの?」

「緊張なんってしてない!」

 私の言葉を否定しますように彼はその様に口にしました。確かに彼の表情にご緊張の色は見られません。

「ホラッ、貴斗、始まりますよ!」

『プッ、プッ、プッ、ポォ~ン!』

 私が彼にお言葉を告げますと同時にスタートの電子ブザーが周囲を取り巻き大きな音をたてました。

 選手達は一斉にスタートする。

 翠ちゃん、彼女は私より四倍も長い400m自由形の選手だったのです。

 彼女は去年、一昨年と優勝をお飾りになっていました。

 今日、彼女がまたご優勝になられれば、三年連続優勝といいます偉業を手にするのです。

 高校一年の時、私は一度だけ400m自由形に出場した事がありました。

 正選手が他の競技で大会中、怪我をおってしまい代理を頼まれたのです。

 その先輩は400m優勝経験者でしたのでとても私には荷が重かったのを覚えています。

 普通でしたら欠場と言いいます形でその枠は抹消となってしまうのですが私が他の種目の記録保持者といいます事で、特例で大会の出場権を得たのです。

 私は辛くも準優勝を手にしましたけれどその後、疲れの所為で一週間も体が言う事を聞いてくれませんでした。

 それほど大変な種目を翠ちゃんは三年間も頑張っていたのです。ですから、今年も彼女の努力が報われますよう祈りつつ最後の大会の応援し、それを観戦していました。

 ついにその結果が!

「ただ今の記録を発表します」

 記録の発表を確認しますと嬉しくなって隣に座っていました貴斗に抱きつきまして歓喜の言葉を上げました。

「やりましたねっ、翠ちゃん優勝ヨッ!」

「俺も冷や冷やした、最後は」

 大会終了後、私は後片付けをしなければなりませんでしたので貴斗にその事を告げまして、暫くお待ちしてもらう事にしたのです。

 私も仕事を終えまして、指定の場所で彼とご一緒に翠ちゃんを数分待っていましたら彼女が来られたようです。

「詩織先輩、貴斗さん!やりましタッ!」

 嬉しそうに言葉にしますと私に飛びついてきたのです。

「頑張りましたわね、優勝おめでとうございます」

 そうお褒めしながら翠ちゃんの頭を撫でて差し上げました。去年も一昨年も同じ事をしたのを覚えています。その可愛らしい翠ちゃんの行動は私との身長差が変わってしまいましても同じでした。

「よくやった、オメデト!」

「有難うございます」

 翠ちゃんは貴斗の賛美のお言葉を私の胸の中でお返しするのでした。そして更に彼女のお言葉が続くようです。それは・・・。

「たぁかっとさぁ~んっ、約束、覚えてます?」

 彼はそれをお聞きになりますとたじろぎながら後ろへと後退しました。そして、お惚け顔で貴斗は翠ちゃんに返事をお返しします。

「ハテ、約束?俺は約束、何ってしたつもり無い!」

「ひどいよぉ~~~、詩織お姉さま、貴斗さんあんな事、言ってます。グスゥン」

 彼女は可愛らしく嘘泣きの表情をお浮かべになりながら私に訴えてくださいました。ですから、その様な表情をおつくりする翠ちゃんがなんとなく愛らしくなってしまい援護したくなったのです。

「貴斗、男でしょ、それ位いいじゃないですか!」

 そう口にしました後、彼は色々とお言いになりましたが、いつもの様に最後はお笑いになって私達の望みを叶えてくれたのです。

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