第十二話 予 兆
あの人工の楽園で起こりましたドラスティックな出来事の数日後の私たちはといいますと・・・、大きな進展がありますと言うわけではなく、いつもと変わりません、日常を過ごしていたのでありました・・・。
しょっ、・・・、少?・・・、少々残念に思っております。
その様な事を思いながら、心の中で大きな溜息を吐く私。
私は大学に進学し、新しい年が明ける様になりましてから、週の約半分を貴斗と同棲をしておりました。
今日も彼のマンションで彼の帰りを待ちながら、夕食の準備をしているのです。
愚痴を零しながら、手を動かします私。
「貴斗ったらもう・・・、はぁ~~~」
「そんな溜息付いて、俺が、何だって、詩織?」
「えっ」
こんな時間に帰ってくる筈のありません、私の彼は、そう言葉にしますと、私が振り返る前に後ろから優しく、そして、強く抱き締めてくれる。
「たっ、たぁぁあぁ・・・、たかとぉ、どこを・・・、さわ・・・」
「やめて欲しいのか?」
「そっ、そんな事は・・・、なっ・・・、ないのですけど・・・」
彼はその言葉を聴きますと、エプロンの上からではなくて、その下に手を忍ばせて・・・、私の・・・や・・・を・・・あっ・・・、・・・ぁぁあ、愛撫してくれ始めたのです。
私は非常に恥ずかしい気持ちでしたが、そのまま、その身を貴斗にゆだねていたのです。
ですが、本当にこんなことが現実に、香澄の言っていましたとおりの格好をしていましただけなのに・・・。
いつもの私服の上から着用しますエプロン姿の変わりに、香澄から渡されましたメイド服を着ていただけですのに、本当に貴斗がこのような事をしてくださるとは、夢にも思っていませんでした。
私は彼の動かします手と呼応します様に、厭らしくも喘ぎ声を漏らしていました。
そんな私を見て嬉しそうに鼻で笑っていました。そんな姿の彼を見て余計に感じてしまう私。
それに、彼にこんな事をしてもらえるなんて本当に久しぶりなのですから。
「タカト、お願い、もう我慢できないの、おねがいします・・・」
「なにをだ?ちゃんと言葉にして見ろ」
「うぅぅぅうう、たかとのいじわるぅ~~~」
「ふっ、そんな顔するな、可愛い奴め」
そして・・・?
「詩織、なにぼーっとしている、熱でもあるのか?包丁を持ったまま、危ないじゃないか、まったく」
「えっ?えぇぇぇえぇぇ?・・・、はぁ・・・、貴斗、いつお戻りになられたのです。そっ、それと私はぜんぜん、なんともありませんから・・・」
取り繕いますように、一瞬、壁にかかっている時計を見まして、時間を確認してから、彼に振り向いていた体勢を戻す。
再び、包丁を動かし始めました。
現在、午後九時五十五分。いつもより少し帰りの早い貴斗。
「ただいま、今帰った。本当に大丈夫なのか?夕食作るの俺が代わっても良いぞ。司法試験大変なんだろう?」
「ですから、大丈夫です。貴斗こそ、疲れているのでしょうア・ル・バ・イ・トでぇ」
私は今まで頭の中にめぐっていました淫らな幻想を、彼に悟られないようにそのような言葉を返しながら、手を動かしていたのです。
先ほど見ていましたものは私のただの妄想だったようですね・・・。
はぁ、こんな想像してしまうのは矢張り、現実で貴斗が私を抱いてくれないからなのでしょうか・・・。
私の身体って彼にとってそんなに魅力ない物なの?そのような事を頭の中でめぐらせながら、心の中で大きな溜息を何度も吐いてしまう。
随分、遅い時間に二人とも夕食を共にする。
最近になりまして、貴斗は私が作ります料理をお褒めしてくれることが多くなっていました。
今も、お箸で私が作った者をお口の中にいれ、ゆっくりと味わいながら、呑み込むのです。
「美味しい」と言って下さって、鼻で笑うのでした。
ただでさえ、私がおつくりした物をこうして一緒に食べてくださるだけで、嬉しい事でありますのに、こうしてお褒めの言葉をいただけるなどと、今日の資格試験の勉強疲れもどこかへと消え去ってしまうのでした。
「片付けは俺がやる、それまでゆっくりしてろ、詩織」
「でっ、ですがぁ・・・」
「これくらいは俺にやらせろ。いいな?」
「でっ、では、よろしくお願いいたします、貴斗」
私が、彼にそのようにお答えしますと、鼻で小さく笑い、トレーに食器を乗せて、キッチンへと向かうのでした。
ダイニングから、鼻歌をしながら食器をお洗いする貴斗の背中をお眺めする。
大きく、広く、そして、温かみを感じます彼の背。
その様な彼を見ていますと、なぜでしょうか、心が凄く安らぐのです。
安らぐ気持ちのまま、ずっと、貴斗が食器を片付け終えるのを見詰めていたのでした。
それから、片づけが終わると、小さなトレーにティーカップとデザートらしきものを乗せて、戻って来たのです。
「詩織、お前、こういうの好きなんだろう?店長がくれた物なんだが、何せ俺は甘いの食べないしもって帰ってきた。名店のスイーツらしい」
貴斗はそのように言葉にしまして、ティーカップよりも先に、そちらを私に差し出してくださったのです。私はそれを確認しまして、
「うふっ、こちらはですね、フレ・ヨーゼと言いますお店のガトー・ブラン・エ・ルージュと申しますケーキです。それほど甘くありませんので、貴斗も、一口食べて見てはどうです?」
そう言葉にしまして、フォークでケーキの先を切りますと、彼にそれを向けていました。ですが、貴斗は目を瞑り、顔を小さく横に私の申し出を断って来たのでした。
「そうですか・・・」
残念そうな表情を作り、それを貴斗に見せますと、彼は申し訳ございませんと言います、表情をお返しくださったのです。
それからは、そのケーキをゆっくりと味わいますようにお食べしながら、彼と今日一日のお話を交わし、一緒にお風呂に入浴してくださいまして、二人して、ベッドの中にはいるのでした。
私は思うのです。
一緒に入浴してくださったときも彼は私を抱いてくださることはありませんでしたし、こうして、彼の傍で、床に就きましても、彼は何もしてくださらずに、眠りに落ちて行くのでした。
背中を向けていました、貴斗のそれに抱き付きまして、私も、不満に思いながら、眠りに誘われて行く。・・・、・・・、・・・、・・・、・・・、・・・、何時の頃でしょうか?
今まで微動だにしませんでした貴斗。彼の背中に張り付きますように就寝していました、私。彼の身体から発する熱と、苦しそうな呻き声に私は目を覚ました。
「たかとっ!、たかとぉおぉお、しっかりしてください。だいじょうぶ、たかと?ねえぇ」
苦しそうにしています、貴斗に呼びかけ、彼の額に手を当てるのでした。・・・、凄い熱。
私は直ぐにキッチンに向かい、タオルに巻きましたアイスノンとヒエピタ君、そして、洗面器に水を張り、その中にタオルを入れ、持ってまいりました。
それをお持ちする間、今日の夕食、手違いで彼を苦しめる何かをお作りしてしまったのではと、自己嫌悪の気分で貴斗の所へ戻って行くのです。
彼の容態に注意を払い、看護を始めたのです。苦しむ彼を看護しながら、何度も言葉をおかけします。ですが、私に気付いてくださる事はありません。
貴斗はしきりに苦しそうに両腕で抱え込むように胸の辺りを押さえていました。
発熱し続け、多くの汗を流す彼の身体。
暗がりの中で、目を凝らしまして、私は何度も、何度も、タオルを水に付けては絞り、水に付けては絞りを繰り返しまして、彼の名前をお呼びしながらその汗をぬぐっていたのです。その行為が、どれだけ続いたのでしょうか?
貴斗の苦しみは治まる兆しは見せず、より悪い方向へと向かっていたのです。
私は思い出す。こんなに苦しむ彼を眼にしますのは高校三年生の終わり以来。
苦しみ続ける彼、その理由を貴斗はその頃教えてくださった事があります、記憶喪失の所為ではないのかと。
貴斗の傍に出来るだけ多く居られるようになりましてからは、彼がこのように苦しみ、魘される様な事はありませんでしたし、嬉しい事に、そうならなくなりましたのも、私が彼の傍にいたからこそ、だと貴斗は言ってくださいました。
記憶喪失、それのいったい何が貴斗を苦しめているのでしょうか?
どのようにお考えしても私には理解出来ませんでした。
それに、彼の記憶が戻ってしまう事に私は恐れを感じずにはいられないのも一つ。
貴斗の記憶が戻りませんでもいいなどと思います浅はかな私・・・。
再び、彼の汗をおぬぐいしようと、背中を向けようとしたときの事です。
「俺を・・・、ぼくをぉ・・・・・・、独りにしないでよぉおおおぉおぉぉおお」
貴斗はそう叫び、ベッドの上でその大きな体を丸くして、何かにおびえているような姿を見せたのです。・・・、・・・、・・・、今確かに、彼は〝ボク″と口にしていました。それは紛れもありません、中学時代までの彼一人称。
なぜか、言いしれません嫌な事が頭に浮かんでしまいましたけれど、その様な事を思い出しながら、動かなくなってしまいました貴斗に直ぐに呼びかけます私。
「大丈夫ですっ、私が傍におりますから、どのような心配もございません。どのような事がありましても独りになどさせません・・・、・・・、・・・、たかとぉ~~~、大丈夫ですから、私がいますから・・・、お願いです」
何度か、似たようなお言葉を貴斗に向けますと、今まで閉じていました瞼が、少しだけ、開きまして、虚ろな目を、焦点のあっていませんその目を中に漂わせていたのです。
「タカト、ねぇ、たかと、私が、誰であるか、私が、詩織であることがお分かりになります?」
「おねがい・・・、ぼくをひとりに・・・・しないで」
「しっかりして、タカト、貴斗、たかと。大丈夫です、わたくしが貴方のお傍に付いておりますから、どのような事が起きましても貴方の傍についておりますから」
「しおり?」
ついに貴斗は囚われていました何らかの意識に開放されまして、私の名前を呼んでくださったのです。そして、彼は身体を起こそうとする。
「貴斗、苦しいのでしょう?お熱があるのですから体を起こさず横になって楽にしてください」
無理をして欲しくありませでしたので、その様な言葉をおかけしたのですが、彼は私の言うことを聞いてくださらず、体を起こし、照明を点灯させ、
「しおり・・・」
「ぇっ?」
貴斗は小さく、私の名前を呼んでくださると、強く抱き締めてくださった。私の存在を確かめるように・・・。
まるで、貴斗が、泣きじゃくる子供のように思えてしまうのです。
その時、私が返しました行動はいつも強がってばかりいます彼、その様な彼を優しく抱き締め返す事でした。
暫く長い抱擁が続く、その間私は色々な考えをめぐらしていたのです。無論、それは貴斗の事。
翌日の午後二時。本日の貴斗のアルバイトは夕方からでしたので今も私とご一緒に彼の住まいますマンションで過ごしておりました。
リヴィングのソファーに腰掛けます貴斗は私へ、
「詩織、何か一曲弾いて貰えないだろうか?」
「はい、喜んで」
私は微笑みながら彼に返答をしますと、寝室からヴァイオリンの納まっておりますケースを持って参りまして、それを開け楽器を取り出しました。
緩やかな動作で、ヴァイオリンを肩に乗せますと、それに張られています弦の具合と弓を軽く乗せまして、それを弾き音の出を確認しました。
調律をしなくとも大丈夫な事が判りますと、指板に添えます指先で弦を押さえまして、弓を弾き始めます。
今、弾き始めました旋律は私が作曲したもので『優風』といいます題名で英語名もあります。サンクティティー・ブレス(Sanctity breath)。
直訳してしまうと神聖な息吹になってしまいますが翻訳と直訳といいますものが必ずしも同意ではありませんのでご了承ください。
貴斗は私が今奏でています曲を深々と腰をかけておりますソファーの肘掛のそれに右手の肘を置きまして、軽く握っております拳に頬杖するような格好で視聴し下さっていました。
昔の貴斗は私がピアノやヴァイオリンを弾く事が出来ましてもお褒めしてくださることなどありませんでしたし、楽曲に関してまったく興味を惹いてくださいませんでしたのでしかたがなかったのですが、
今の貴斗はイージーリスニングを中心としましてクラッシクやモダンな楽曲を私と一緒に視聴してくださいますし、私が演奏できますことを凄く褒めてくださいまして、今の様に演奏を聞かせてほしいとお願いしてくださることも増えました。
貴斗が喜んでくださることが一つでも多く出来ますことは私にとってとても意義あるものでして心の底から嬉しく思うことです。
それに、私がこの様にして、貴斗に演奏をお聞かせしている間の彼の表情が非常に穏やかで優しい笑顔を私へ向けて下さるような気がして、弾いています私自身暖かい気持ちで演奏が出来るのです。
昨日の夜の貴斗の苦しみが、少しでも晴れますように私は穏やかで安らぎが伝わりますように心をこめて優雅に弦を弓で撫でていました。
優風。私の自作の中では曲調がもっとも長いものでして、大凡十一分二十七秒もあります。
今日は割りと穏やかで軽く涼しい風が外から吹き込みます私達が居る階層。
最後の一音が弾き終り、その音が風とともに過ぎました時、私は閉じていました瞳をゆっくりと開けまして、貴斗の方を目を移したのでした。
彼からの私を賛美してくださいます拍手はありません。ですが、私の心に彼のその態度へ、不満などの不の感情が沸き起こることはありませんでした。
今の彼の表情を見て私はそれだけで満足ですから。
貴斗、凄く安らいだ顔付きで寝に入っていたのでした。
穏やかな表情で眠っております彼を見まして私も安心を覚えました。
就寝中の彼は苦しそうな表情をしておりますことがしばしばあり、私はそのような顔をする貴斗を見るのが辛かったのです。
その表情を直して上げられません自分が悔しくて許せなかったのです。
ですが、私の演奏を聴きますことで貴斗のその表情を作らずに眠りに就いてくださること、それを知ってからは貴斗のその表情を見れますことは私にとって至極嬉しい事なったのでした。
私は足音を立てません様に静かに貴斗へ近づきまして、ゆっくりと床へ膝を下ろし、先ほどまで弓を握っておりました手で彼の頬に触れました。
それから、軟らかく、親指で彼の頬を撫でますと、自然に私の唇は彼の同じ場所へ触れておりました。
僅かな間だけ、貴斗の意思とは無関係に真に勝手ながら、キスをさせて頂いたのです。
とても短い間でしたので私のその行為に彼がお気づきになられて目を覚ます事はありませんでした。
それから、ヴァイオリンをしまいました私は独り司法試験の勉強に勤し、貴斗のアルバイトの時間三十分前に彼を起こさせていただきました。
貴斗は小さな呻きと共にまぶたをお擦りしながら、
「詩織すまなかったな。せっかく演奏をお願いしておきながら眠ってしまって」
私は記憶喪失であります今も昔も変わりません彼の性格を踏まえ、彼への返答を選び、それを伝えました。
「許して差し上げますわ。ですから、もう、お気になさらぬようにお願いします」
貴斗はゆっくりとソファーから立ち上がり、私の所まで歩んできますと、彼は私を優しく抱き寄せてくださいまして、頭を撫でてくださいました。それをしてくださりながら、
「ありがとう、詩織。それと途中で寝てしまったが、良い調べだった。また聴かせてくれるとありがたい・・・」
貴斗の抱擁とその言葉を耳にしただけで私は彼の胸の中でうっすらと頬を染めてしまいました。
他の人から見たら頬を染めますような事ではない些細な出来事なのでしょうけど、私にとっては嬉しい彼の厚意ですから私はその様な表情を作っていたのです。
少しでも貴斗の温盛を受け取りたかった私は時間の許してくださいます間、彼の胸の中へ頭を預けまして彼が、
「バイトの時間に遅刻したくないから」と言葉にしますまで私はその様にさせて頂きました。それから私は笑顔で、速い動作でお着替えをしました貴斗をお見送りをしたのです。
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