第七話 白銀のゲレンデ
~ 2002年12月22日、日曜日、冬休み ~
「ねぇ~、ねぇ~、貴斗さん、まだ着かないんですかぁ?」
「運転集中できない、騒ぐな、チビ。なんでぇ、オマエが助手席に座ってるんだ、まったく!」
「詩織先輩に広い後部座席を譲ってあげたんですぅ、それなのに。フエェーーーンっ、貴斗さんがチビっていいましたぁ、気にしてるのにぃ~っ!」
「嘘泣き、するなよ」
「アラ、アラ、貴斗君、言いすぎですよ、それにカリカリしていたら事故ってしまいますよ」
高速道路に乗って約二時間、私達は現在、貴斗君の運転するお車で新潟県、湯沢町、苗場プリンスホテルへと向かっていましたた。
貴斗君が私と翠ちゃんをスキーに誘ってくれたのです。彼、八神君にも声をお掛けしたらしいのですけど、八神君は〝用事があるんでパスする〟とご返答してきたみたいです。
* * *
~ 2002年12月9日、月曜日、第二外国語、ドイツ語教室 ~
「ねぇ、貴斗君、起きて、起きてくださいったら。授業、もう終わってしまいましたわよ。教室から出て早くお昼にしましょう?」
「ゥンハッ」と彼は寝ぼけ眼で私の方を見上げました。
「もぉ、なんですかそのお顔は?」
彼の頬を人差し指でプニョ、プニョと突っついてみました。
「ワッ、何すんだよ、詩織」
「お目覚めになってくれました?早く教室、出ましょう」
貴斗君にそうお聞かせして差し上げますと彼は私達以外誰も教室を見渡し、苦笑してから言葉を返してくれましす。
「ハハッ、俺達も行こうか、詩織」
彼は気不味そうな表情を見せてくれます。貴斗君、相変わらず文系の授業は居眠りしてばかりです。
私が授業内容やテスト対策を貴斗君に教えているからなんとか単位を落とさずに済んでいますけど・・・、なんだか小学、中学時代を思い起こしてしまいます。
彼のために何かして差し上げるのは嬉しい事なのですけど――――――――――――。
「ハァアァァァアっ!」
「どうしたんだ、詩織、急に溜息なんか吐いて?」
「少しは真面目に授業受けなさい」
「面白くもない授業に出るくらいだったら寝ていた方がましだ。それに詩織がいるから心配していない」
「頼っていただけるのはとても嬉しい事ですけど・・・、そんな事を言うのならもうお教えしてあげませんよ」
「別にいいぜ、だったら俺も物理や数学教えてやらないから」
「・・・・・・・・・、それは困ります」
高校の時に比べるとそちらの方は更に難しくなっており私も理解出来ない時がしばしば、その時は彼にいつも教えて貰っています。
「それでも、貴斗君と違いまして単位を落とす事はありませんので」
「グッ、分かったよ、少しは努力してやるよ」
「〝少しだけ〟ですか?」
「・・・、できるだけ」
「〝できるだけ〟ですか?」
「ワぁーーーったよ努力してやる」
「〝してやる〟ですか?」
「グッゥガぁーーーっ、変なところ突っつくな。詩織の言う事聞くから心配するな」
「はぁっ・・・・・・・・・、本当かしら」
貴斗君と私はそんな会話をしながら教室を出まして、大学内の陽当たりのよい芝生の上まで移動して来ました。そして、彼の為に作ってきたお弁当を広げました。
「ねぇ、貴斗君、『あぁ~~~ん』してくださいます?私が食べさせてあげますから」
恥ずかしげもなくそんな言葉を彼に口にする私。
「バカかっ?そんな事、恥ずかしくて出来るか!」
「ウゥ~~~貴斗君、私の事、バカって言ったぁ」
少々、涙交じりの顔で彼に向かって拗ねてみました。最近、演技で涙を少しだけ流せるようになっていたのです。それは貴斗君にはとても有効な手。それのお陰なのか?
「分かった、からそんな顔をするな、ただし、一回だけだぞ。人目が無くても恥ずかしいもんは恥ずかしいんだから」
「じゃ、ハイッ、あぁ~~んしてください」
彼は私の言葉に促されるようにお口を大きく開けてくれるのです。貴斗君の喉にお詰まりしない様にミニポテトベーコンロールを彼の口に運んで差し上げた。
『パクッ、モグ、モグ、モグ、ゴックンッ』
彼は口を閉じるとそれを良く噛み締め、味わってくれてから飲み込んでくれました。
「どうお味は美味しいかしら?」
「Goo!」
彼はそう言いながら右手の親指を立て、美味しいって示してくれたのです。
今度は違うおかずで彼に食べさせてあげたかったのですけど、断固拒否されてしまいました。また演技で不機嫌な表情を作ってお見せしましたが、そう何度も嘘泣きは通じませんでした。
昼食後、暫く休憩。その合間、急に貴斗君は何かを思い出したように話しかけてきました。
「なぁ、詩織、今月の22日から26日までの間、何か予定あるか?」
特に予定もなかったので即答で返事をする事にしました。
「その日は全部、貴斗君の為に予定をおあけしております」
「なにぃ、馬鹿なこと言ってんだ」と照れながら彼はそう返してきました。
「どうして、貴斗君そんな事をお聞きになるのかしら?」
「バイト先の店長に4泊5日のスキー宿泊券を4枚貰った」
「随分と羽振りがよい店長さんですね」と心底そう思いながら口を動かしました。
「遠慮したんだが、鹿島店長が是非にと」
多分、何時も彼が店長の無理を聞いているその御礼として、その宿泊券をくださったのに違いないと勝手に確信してみました。それでも気風が良すぎなくもないですね。
「それで、どうするんだ、詩織」
「貴斗君と一緒なら。ですが、残りの2枚はどうするのかしら?」
柏木君と香澄を誘いたい気分でしたが彼がその様な事をするはずがないと知っていました。
柏木君をお誘いする事があっても香澄が一緒という事はありえません。
貴斗君の交友関係から彼が誰をお誘いになるのか容易に予想できてしまいます。
「慎治と翠ちゃんにでも連絡する」
やはり彼の言葉は予想通りでした。どうしてかは貴斗君が今、香澄を酷くお嫌いになっていましたから。その理由を私は知る事、今は叶わないのです。
だって彼そのことになるととても不機嫌になるのですもの。その時の彼が怖くてお聞きする事はとても出来そうにありません。それに、八神君にご相談したのですけどもその事だけは彼もお語りにならない様で手を拱いているようでした。
* * *
その記憶の回想から騒がしい貴斗君の運転する車内へと戻ります。
彼は車に取り付けてあるカーナヴィをチラチラと確認していました。
「貴斗君、運転、大丈夫?」
彼が疲れていないか心配になってそうお尋ねしていました。
「今の処、大丈夫だ。次にインターチェンジで30分くらい休憩させてもらう」
「ワァーイ、インチェン、何か買ってたぁべよっと」
「ガキっ」
後ろに座っていたので良くは確認できませんでしたけれど彼は苦笑しながら翠ちゃんにそう言っていたように思えました。
「ガキでいいもんっ」
彼女の口調から不貞腐れる事も無く彼に言い返したように聞こえました。
途中、関越自動車道の昭和インターチェンジで休憩し、その後約五〇分、ノンストップで湯沢インターチェンジを経て苗場プリンスホテルへと向かいました。
ホテル到着後、彼は車を駐車場に停めホテルのフロントでチェックインを済ませます。
翠ちゃんと私は大人しく彼の行動に付き従うのでした。
「こちらがお部屋の鍵となります、何か御座いましたらフロントまでご連絡ください」
貴斗君はそれを聞き終わると鍵を受け取り、翠ちゃんと私をフロアインフォメーションボードの所までお導きくださいました。それから、私達にそれぞれ鍵をお渡ししてくれる・・・?私と貴斗君の部屋の番号が違うのはなぜです。
「貴斗君、私と部屋の番号が違うのはどうしてかしら?」
当然、貴斗君の恋人である私は彼と一緒の部屋だと思っていましたので。
「ハハッ、それじゃ、二人とも用意が出来たらそこのロビーで落ち合おう」
彼はそれだけ言うと苦笑しながら早々の立ち去ってしまいました。翠ちゃんと私はその場に取り残されてしまったのです。
「アッ、貴斗君待って!」
そういって彼を追いかけようとした時、そんな私は翠ちゃんの言葉で静止してしまった。
「先輩、私達の部屋は反対方向みたいですよ」
彼女はボードを拝見しながらお部屋の場所を教えてくれたのです。
「貴斗さん、照れ屋さんなんですね。詩織先輩、私達も移動しましょッ」
「貴斗君の意気地なし」
歩き出した翠ちゃんを追って私も与えられたお部屋へと向かいました。
早朝6時に三戸を発って約四時間、ここには10時半ば頃に到着。
翠ちゃんと私は各々の部屋に到着後、スキーウェアーに着替え部屋に届いていたスキー用具を持って、貴斗君に言われたロビーで彼をお待ちしました。
スキーの道具は彼の車に積む事が出来ないのを事前に知っていましたので宅配サービスでここまで送って貰っていました。
「詩織センパァ~~~イ、貴斗さん、遅いですねぇ~~~!」
彼女はロビーの柱に背を凭れながら私のそう言ってきます。
「はい、遅いですね」
そう翠ちゃんに言葉をお返しし、腕時計で時間を確認したのです。
11時3分。時間を確認してからさらに二七分が経過してしまいました。
「先輩、貴斗さんの部屋に行ってみようよ」
「そうですね」
相槌をお打ちしてから彼女とフロントにスキー用具をお預けして、彼の部屋へとそちらへお向かいに上がりました。
貴斗君の部屋をノックしたのですけれども応答が返ってきませんでした。
ドアノブに手を取って回してみます。
『カチャッ』と音供にノブが回りドアがお開きしました。
無用心?何時もの彼らしくない 恐る恐る、私達は彼の部屋へ足を踏み込んだのです。
「グゥ~~~、スピィーっ、ZZZ!」
「貴斗さん、寝ていますね」
翠ちゃんは静かで小さな声で私にそう確認をしてきました。
貴斗君はウェアーに着替えた状態でベッドにうつ伏せになって寝てしまっています。
「お眠りになっていますわね」
「詩織先輩、どうしましょうか?」
貴斗君、早朝から途中三〇分のご休憩を取っただけでずっと車を運転していました。
免許をお取りになってそれ程、日がお経ちしていません。ですから運転にお疲れになったのであろうと推測。
「暫くこのまま寝かせてあげましょう」
彼を労ってそう彼女に答えをお返ししました。
「そうですねぇ」
彼女も同意するようにお答えを返してくれたのです。
それからさらに約一時間が過ぎようとしていました。
「センパァ~~~イ、お腹すいてきましたぁ」
翠ちゃんのその様な言葉に苦笑してしまう。でも・・・、実は私もお腹が空いて来たところでした。すると彼女はお茶目な行動に出たのです。
「貴斗さん!いつまで寝てるんですかッ」
彼女は持っていたグローブで、
『ペシッ、ペシッ』と貴斗君のお背中の辺りを叩いたのです。
「フグァガガァーーーーーーっ!!!」
その様な奇声を上げながら目をお覚ましになり、彼はこちらを見たのです。
「ワリィ、俺、寝ちまったみたいだな」
彼は頭のてっぺんをお掻きになりながら謝ってきました。
「貴斗さん、お腹が空いたので食堂へ行きましょう」
彼の言葉を気にする風にもなく、翠ちゃんは無邪気に貴斗君をそうお誘いしていました。
彼は苦笑しながら彼女のそれにお答えするのです、
「あぁ、俺も腹がへっている、行こうか」と言って。
彼はそうお口にすると先に部屋を出て行く。そして、翠ちゃんと直ぐに彼の後を追ったのでした。
* * *
昼食をお取りし、小休止をした後、私たち三人は白樺平ゲレンデで間ご休憩を何回か入れながら、日が落ちるまで滑るのを楽しんでいました。
翠ちゃんも私もソコソコうまく滑ることができます。
貴斗君・・・、凄く上手。どうしてだか寂しいものを感じてしまいます。
だって中学生のころまでは・・・、彼が日本からいなくなるまで私、香澄、それと貴斗君の家族同士で毎年、北海道の私の親戚の経営するペンションに遊びに行っていたのです。
けれど、その時までは私や香澄の方が彼より上手に滑れていまして、私が貴斗君に滑り方をお教えしてあげたのですけど。今ではそれが出来ないのがとても残念に思います。
~ 2002年12月23日、月曜日 ~
今朝早く、私達は新雪の積もる中級者コースのゲレンデに立っていました。
その場から見える景色はとても雄大で見ているだけでも飽きません。そう言えば昔、北海道の雪山で凄く綺麗な朝焼けを見た事があります。
それは太陽が放つ光が一面の雪によって青紫に輝いていたのですよ。その時、それを貴斗君と一緒に見られたのが余計に嬉しかった。でも、今の彼にはその思い出が消えてしまっているのですよね。
彼とはいっぱい思い出を共有しているはずなのに今ではそれは私だけの物になってしまっています。とても悲しく寂しく思い今、見ている風景を眺めていました。
貴斗君、記憶喪失の今、私と共有してくださっている思い出、彼は今どの様に捉えて下さっているのでしょうか?
言葉に出してお聞きしたいのですけど、きっと彼は微笑んでくれるだけでお語りしてはくれないのでしょうけど。
「詩織、どうしたんだ?気分でも悪いのか?」
「アッエッ、その様な事ありません。ただ、綺麗な風景を見ていましたら昔の感傷に浸ってしまいましただけです」
「無理はしないでくれよ」
「貴斗さんってすっごぉ~~~く、詩織先輩には優しいんですねぇ~~~、妬けちゃいます」
「・・・・・・・・・」
彼女の言葉に彼は沈黙してしまい、顔を赤くしてそっぽを向いてしまいました。
「翠ちゃん、余り貴斗君をからかわないでくださいね」
今の貴斗君は恥じらいという感情をお持ちになってくれています。
記憶喪失の状態でお会いしたとき、しばらくあらゆる感情をお見せしてくれなかったし、中学生までの彼、香澄や私の前では恥じらいと言うお言葉とは無縁でしたのでその様な彼のお姿を見られる事を非常に嬉しく思っています。
「ハッ、ハァ~~~イッ、それじゃ一緒に滑りましょッか」
彼女の声に滑り出そうとしましたけど貴斗君は動こうとしませんでした。
「貴斗君、どうなさったのですか?早く滑りましょう」
「お前たちが先に行け」
「どうしてその様な事を言うのですか?若しかして私と滑るのがお嫌い?グスッン↓」
「先輩っ!一緒に滑ろうって言ったのにぃ~」
私は演技で嘘泣きのポーズを取ってお見せし、翠ちゃんは貴斗君に可愛らしく膨れながら文句を言っていました。
「べっ、別に嫌な訳じゃないって。ただ・・・、そうしてやりたいが一緒に滑ったらどうしても俺の方が先行してしまうだろ?だから、若し二人に何かあったとき直ぐに助けられない。ダカラ・・・、その・・・、先に行け、って言ったんだ」
鼻の頭を掻きながら恥ずかしそうに彼はそう言ってきました。
「もぉ、貴斗君ッたら何時も最初の言葉が少なすぎます。初めからそう言ってくだされば良いのに」
「そうですよぉ」
「わっ、悪かったよ・・・、以後気を付ける」
彼はそうお答えしてくれました。ですがそのお言葉が実証されるまではかなりの月日が要求される事になります。
貴斗君のお言葉に従わないと彼、何時になってもその場から動きそうもありませんでしたので翠ちゃんと一緒に先に滑り始める事にしました。
せっかく来たのに彼と一緒にシュプールを描けないなんてとっても残念です。
その後、何回か行ったり来たりする内に彼も私の望みを叶えてくれる様に滑るスピードを合わせてくれるようになりました。
お昼の休憩を取ってからまた何回か貴斗君と楽しく滑っていましたのに・・・、私、ドジしちゃいました。
マナー悪くゲレンデの中央に座っていたビギナーらしきスノーボーダーに気付くのが遅すぎて無理に避けようとしてしまいまして、バランスを崩し倒れてしまいましたのです。
「ハハッ、ころんじゃいました。せっかく今日まで転倒しないで滑れていたのに・・・」とその場で独り言。
「詩織ぃーーーっ、大丈夫かぁーーーっ!」
貴斗君が私の名前を叫びながら大急ぎで私が倒れているここへ来てくれたのです。
「だっ、大丈夫か、詩織?」
「ハハッ、貴斗君に格好悪い所を見られてしまいました」
「俺は大丈夫かと聞いたんだ」
少し叱る様な顔で彼はそう強い口調で言いますと、手を差し伸べてくれました。
「これくらい平気です」
彼の手を取ってからそうお答えしました。それを聞いた彼は心配そうなお顔をお向けになって私を起こしてくれたのです。彼に立たせてもらいました時、左足首に少しだけ痛みを感じました。
痛みで表情を変えると貴斗君は優しく落ち着いた声で私に言葉を掛けてくれる。
「詩織、何所を怪我した?」
「左の足首です」
それを聞くと素早く彼は持っているストックで私の板のビンディングを押し私のブーツから板をお外ししてくれました。
一瞬だけ抱きかかえられそして雪の上に座らされたのです。丁度緩やかな場所の隅っこの方でしたので外された私のスキー板が一人勝手に滑って行く事はありませんでした。
貴斗君もスキー板をお外しになり私の前にひざまずいて、さらに彼は手早く私の履いていた左のブーツを脱がしてくれました。
足首に手を添え痛みのある場所をお探ししてくれたのです。
「いたかったら直ぐに言ってくれ」
「ハイ」
それから直ぐに彼は足を丁寧に調べてくれたのです。
「イッ、痛い」
「ここなんだな」
彼は優しく聞き返し、またその場所に軽く触れたのです。
「今、貴斗君が触っている所が一番痛いです」
表情を歪めそう貴斗君にお伝えしますと彼は何所からか湿布を取り出し、それを幹部に貼り付けてくれました。手際よく包帯まで巻いてくれたのです。
「俺は医者じゃない。どれだけ悪くなっているか判らない。今日はもう戻って休もう。そしてちゃんと救急室で診てもらおうな」
「貴斗君、せっかく楽しんでいましたのにゴメンなさい」
『コツッン』
彼は私のオデコを本当に軽く小突いてから、
「馬鹿な事を言うな、お前が謝る事ではない」
優しい表情で言葉を返してくれました。そのような会話をしていますと一回滑り終わって、お戻りになった翠ちゃんまでここへ来てくれたのです。
「詩織先輩、大丈夫ですか?」
「お陰様で大事には至らなかったです」
「翠ちゃん、悪いが俺は詩織を背負って下まで滑ってコイツを置いてくる。そしたら直ぐに戻ってくるからそれまでコイツの道具、見ててくれないか?」
「ハッハァ~~~イッ、分かりましたぁ~~~、その代わり直ぐに戻ってきてくれなくちゃぁ拗ねちゃいますからねぇ」
「ご迷惑をおかけしてゴメンなさい、翠ちゃん」
「センパァ~~~イ、気にしないでくださいですぅ」
「悪いな、後でお礼はする」
「やったぁ~~~、期待してまってますねぇ」
「それじゃ、行くか詩織」
彼はそう言葉にして私の前にしゃがみこんだ。
「有難う、貴斗君」
彼の背中に抱きつました。
貴斗君は私が背中に乗った事を確認すると器用にスキー板をブーツに取り付けていました。それから彼は私をお背負いしながらも軽快なスピードで下まで滑って行く。
貴斗君のそれは私の知らない間に凄く上達。
そのお陰で今そんな彼の背中に私はベッタリと張り付いていました。
彼の背中でこうさせていただくのは小学校の低学年以来。とっても嬉しい気分です。
記憶喪失の貴斗君だけど彼の背の温かさは今も昔も変わらないご様子、それと私の事を優しく大切にしてくれる彼の気持ちも。
「貴斗君、大好き」とつい彼の耳元で静かに囁いてしまいました。
「うぅん?・・・、詩織、今なんか言ったか」
彼には私の言葉それはお聞こえしなかったようです。ですが、驚かれてしまいバランスを崩されては大変でしたので、彼の耳にお入りしませんで良かったのですど・・・、残念に思う私。そして、そうお思いした後さらに腕の力を入れて彼に抱きついてしまいました。
ホテルの戻った時、医務室で私の足を再度診てもらいました。
貴斗君の処置が良かった様で今日一日中安静にしていれば次の日からまた滑れるって言われたので本当に良かったです。
これでまた明日も彼と一緒に滑れます。
~ 2002年12月24日、火曜日の朝 ~
「オンセン、温泉♪?」
翠ちゃんは楽しそうに鼻をお鳴らしにながらそう口にしています。彼女と私は気分的に朝の露天風呂にお入りしようと思いまして、今そちらの方へと向かっています。
ここの温泉は怪我にもご効能があると聞いていましたので怪我してしまったおみ足にも、と思いまして。
「あっ、そう言えば今日イヴですね。詩織先輩は、ニュフフッ」
彼女は私の名前を口にすると変な笑いを浮かべていました。
「翠ちゃん、変なご想像しないでくださいね」
表情は穏やかにですけど目を据わらせ彼女にそうお聞かせして差し上げました。
「アハハッ、ごめんですぅ」
その様にお謝りになってくるのですが表情に反省のお色がみられません。
「ちゃんと反省しているのかしら」
彼女は私が申した言葉など無視してお言葉を続けていました。
「さっき、掲示板、見たんですけどぉ。今日の夜、ホテルでイヴのパーティーがあるって掲示されていましたよ。貴斗さんを誘ってパーティーに出たらドウですか?イヴの日くらい先輩達の関係を邪魔するほど野暮はしませんよ」
「おマセた事をお言いにならないの」
そう口にしてから彼女を軽く小突いたのです。
「アハッ、痛いですよぉ~~~」
お言葉とは裏腹に彼女は額をお押さえしながら笑っていました。
○o。.~ 入浴中 ~.。o○
『ゴシッ、ゴシッ、シュク、シュクッ。チャプッ、チャプッ、ジャジャァ~~~』
髪と体を隅々まで良く洗い体に付着したバブルをシャワーのお湯で流す。髪と体を流した後、髪の毛を纏めタオルで覆ってから温浅へと浸かったのでした。先にご入浴していた翠ちゃんは〝チャプッ、チャプッ〟と温浅の湯を弄んでいました。
「ふぅ~~~、気持ちいいですわねぇ」
「ハァ~~~イ、私もそう思いまぁ~~~っすぅ」
二人で湯にお浸かりし、暫くリラックスいたしました。そのようなさなか、翠ちゃんは私の身体を何度か覗いていました。
「うぅ~、詩織先輩、胸大きいですねぇ」
タオルで隠してあった自分のそれ見、私の胸と交互に確認しながら翠ちゃんはそう言ってきたのです。
「そんな事ないと思いますけど」
そうお答えするしかありませんでした。私自身、大きいとか小さいとか拘りしませんので。
「そんな事あります、私より大きいですぅ。私と比べて、詩織先輩は高一の時どうでしたか?」
少なくとも今の彼女より身長は高かったです。ただ、胸の方はどうかともうされましても?自分の胸を覗きながら考えてみました・・・、分かりません。
「ハハッ、覚えていませんわよ」
嘘ではないそのままの事を彼女にお答えしたのでした。
「今年の夏、私が優勝した大会記録、先輩が同じ高一の時取った準優勝の記録より少し遅いんですよ」
「そうでしたかしら?」
「ちゃんと調べたんですから。どうして、私より重そうな先輩が私より速かったのか疑問です」
「失礼な事をお口にするのねぇ、翠ちゃん」
軽く目を細め彼女を見てそう答えをお返ししました。
「ハハッ、ゴメンなさい、先輩」
「そうですねぇ~、ヤッパリ香澄がいたからでしょうかね」
人差し指を顎に当て上を軽く見ながらそう彼女に返事をしていました。
幼馴染みであり競泳、同じ100m自由形でライバルの香澄の事を考えました。
香澄の名前をお出しすると翠ちゃんの表情は曇り不機嫌そうなお顔になってしまいました。どうしてかは・・・、今の彼女には香澄の事は禁句でしたから。
その後、何とか彼女のご機嫌を取り浴場を後にしたのです。
24日のイヴの夜、翠ちゃんの申された通り、貴斗君をお誘いしてパーティーへと出ていました。
パーティーは要正装でしたのでホテル内の貸衣装でドレスを借りました。
去年、貴斗君がプレゼントしてくださったブローチに合うものを選んでみた積りです。
彼がくれたブローチ、本当はいつも身に付けていたいのですけど失くしてしまっては大変と思いまして、必要な時にだけ付けることにしていました。
それを身に付けて貴斗君の前に姿をお見せすると彼はとても喜んでくださいました様に私には見えたのです。
翠ちゃんはパーティーが始まりますと、気をお利かせしてくれましてか、貴斗君と私の所から離れて行ってくださいました。
彼女も貸衣装を借りていてとてもお可愛らしかったです。
会場には和洋折衷、色取り取りのご料理がテーブルに並べられビュッフェ形式となっていました。
その会場中央にはまるで洋式の披露宴のような人の高さの三倍ほどもありそうなデコレーションケーキが飾ってありました。
場内には心踊る様なジャズミュージックが流れています。
有線、テープやCDではなくライヴ。ホール中央で黒服に赤のサンタキャップをおかぶりした複数の男性と女性が入り混じってその曲を演奏していたのです。
総てのプログラムが終わるまでずっと貴斗君だけをお見つめし、彼と供にそれらを楽しんでいました。
* * *
イヴ・パーティーも無事に終わりまして、ただ今、私は借りたドレスのまま貴斗君のお部屋に来ています。そのパーティーのプログラムにあったダンスの事を思い出していました。もちろんワタクシのお相手は貴斗君、彼。
翔子お姉様からクラッシクとジャズダンスを習った事が有りそれを確りと覚えていました。お姉様はそれ以外にタンゴに付け加えまして、日本舞踊もこなしてしまうのです。
翔子お姉様のダンスをするお相手はと言いますと八神君の姉、佐京様が男装をおしになるとかしないとか・・・・・・・・・、お考えがそれてしまいましたね。
再び、彼の事を思いだします。
彼のあの時のご表情とご動作といいましたら、それはさながら蝋で固めたマスクをつけ、壊れかけのブリキのゼンマイ人形の動作をするような感じでした。それでも必死になって私に合わせてくれた彼。
それを思い出した私は彼に失礼ながらもお笑いしてしまった。
「何、笑ってるんだ」と不満そうに聞き返してきます彼。
「貴斗君と一緒に踊ったダンスの事を思い出していたの。フフッ」
「悪かったな、クレージーダンスで」
お沈みになった表情で彼はそう口にしていました。
「おゆるしください、悪気があってお笑いした分けではないのですよ」
「ジャーっ、どんなわけだ」
「あの時の貴斗君、なんだか可愛らしくて。
ソ・レ・ニ、必死になって私にお合わせしてくれましたア・ナ・タの事を思ったらどうしてか嬉しくなってしまいまして」
そんなお言葉をかけますと彼は赤面し下を向いてしまうのです。
最近、ワタクシの話し掛ける言葉で貴斗君は昔と違った色々な表情をお見せしてくれます。とてもそれが嬉しくて。ですから、ついつい、そんな彼のご表情を伺いたくなってしまいお悪戯してしまう私がそこにいるのです。
貴斗君はその様な私の事をどうお思いになってくれているのでしょうか?
ですけど・・・、それは私の知らない彼の心の一部、それでもいつかそれがお判りできましたらどれだけ幸せな事でしょうか。時には不幸に思えてしまいますけれども。
貴斗君は私に背を向けベッドのヘッドボードの方に足を向けお座りになっています。
彼の背に私の背を合わせる様に両足を抱えながら座っていました。そして、しばらくそのままの状態で時間が過ぎてしまうのです。
* * *
彼は身動き一つしません。お眠りになってしまったのでしょうか?でも寝息はお聞こえしません。今日この日に決めていた大事なことがありました。
現在記憶喪失中の彼が〝超〟と言うお言葉がついてしまう程の晩熟だという事実は彼以外、誰でも知っていることでした。ですから、私の方からアプローチをお掛けしないと彼は動いてはくれないのです。
私の行為にお気づきになってくれますのはごく稀でして・・・・・・・・・。去年のクリスマスの時もそうでした。さらに今日日に至るまでずっと。ですから、そんな彼に自身の羞恥心を押さえて言葉を募ります。
「ねぇ貴斗君、私の事、どうお思いになっているのですか?ハッキリ貴方の口からお聞かせくださいませ」
ですけど彼は直ぐにお返事をくださらないのでした。そして、しばらく間が開いてしまいます。
「大じだと思っている」
「・・・・・・・・・、私がお聞きしたいのは」
そこでお言葉を留め彼が何か言ってくださるまで待ちました。何もお言葉にしてくれなかったらどうしようと不安にお思いしながらも彼を信じて待つのです。
貴斗君は何も口にしてくれず、空調の風を送風する音だけが聞こえる程辺りは静まり返ってしまうのです。再び、しばらく沈黙が訪れてしまう。
私に背を向けています貴斗君なのですけど、不安と動揺を可能な限りお隠しし、彼の口が動き出してくれるのを待ちました。
そして、・・・・・・。
「誰よりも大切に、それに愛しい・・・、俺は詩織の事が好きだ」
「聞こえなくてよ、今なんてお言いになってくれたのですか?」
彼の言葉が聴こえていたのに私は彼に悪戯なお言葉をかけてしまいました。ですが直ぐにそう口にしてしまいました事を後悔するのですが彼はお答えを返してくれました。
「Like youじゃない・・・、・・・、・・・、Ich liebe sie」
最後、彼の口にしたお言葉をなんとか聞き取りました。
彼は最近、習いたてのドイツ語で〝愛している〟って言葉にして呉れたのです。
ちょっぴり、皮肉れた彼の言い様が余計嬉しくなってしまう。
今すぐにでもお振り返り、彼の背中をギュッと抱きしめたい、ですがもう少し我慢。
私の望みは・・・・・・・・・・・・・・・。
少し私が黙っていますと彼は心配したお声で言葉をかけてくださいました。
「今の言葉じゃ駄目だったのか?」
「貴斗君が本当にそうお思いになっているのなら、本当にそう思ってくださっているのなら」
少々の間をおいてから、
「私の総てをお受け入れして欲しいのです、私を抱いてほしい」
語尾が弱くなりつつも私は私の旨の内を到頭彼に告げることができた。しかし、彼の返してきた言葉は・・・。
「ゴメン、俺には出来ない。お前の気持ち、嬉しい。俺なオマエにセクシャルな関係ではなくプラトニックな・・・。詩織に総てを求めてしまっては俺、歯止めが効かなくなりそうだから・・・」
彼のお言葉は私が勇気を出して口にしました言葉を無残にも完全否定するものでした。
その言葉を聴いて私の頬から涙が零れる。演技ではなく本当の涙が。
「貴斗君のバカ、馬鹿、莫迦、鈍感、アンポンタン、うすらとんかち、唐変木、甲斐性なしです」
思いつくありとあらゆる中傷を彼にお投げつけしてしまいました。それと同時に彼の背中をゲシ、ゲシと叩き付けたのです。でも彼は痛がる素振りも見せてはくれません。
「ひどい言われようだ」と彼のお言葉はひどく淡々としていました。
「バカ」
姿勢を変えまして彼の背中に抱きつき、彼に腕を廻し彼の背中に顔を埋め、声を立てずに涙を流しました。
それから、どれくらいの時を泣いたでしょうか?いつの間にか、私の手の上に彼の手が重なっていいまた。泣き止むまでそれに全然気付かなかったのです。さらに彼を囲う私の腕の力を強めるのです。
「・・・、しおり、いいんだな?」
彼に抱いてもらえば、過去の私の最悪が、心の傷が癒えると思いましたから、今、この流れのまま貴斗君と見も心も繋がる事を強く望んだのです。
彼はか細い声で何かお言葉にしますと私の腕を解きこちらの方へ向き直しました。
私を優しく抱き包んでくれたのです。それから私の髪を優しく撫でてくれながら貴斗君は口をお動かしになりました。
「俺ってお前の言う通り、バカだよな。お前が勇気を出して言った言葉を――――――――――――、ゴメン」
それだけ言いますと彼の私を抱きしめる力がいっそう強くなりました。でも痛くないです。
「たかと、タカト、貴斗ぉ」
そう言って、再び私は泣き出してしまうのです。
「泣くな!詩織、俺の気分がブルーになる、笑っていて欲しいから」
彼にそういわれたけど私はまた暫く泣いてしまっていました。
今度は少しだけ声を出しながら・・・、零れる涙を抑え彼をお見上げします。
彼は私の目じりに溜まる涙を優しく拭ってくださいました。
頬を紅く染めながら彼の瞳を覗きやがてユックリと目を閉じました。
そして・・・・・・・・・、わたくしの望む一つの始まりが私の唇の温度を上げて行く。
今日、この日、彼と身も心も一つになったのです。
彼の総てを手に入れたような思いになりました。
これからもずっと彼と一緒にいられるとさえ思ったのです。
ですが、それはただ、私の思い込みでしかなく・・・・・・・・・・・・。
ワタクシが彼に対する情だけが、思い込みだけが日に日に増して強くなり、その思い込みは貴斗君の本当のお心をお気付き出来なくしてしまうのです。
彼のお抱きになる記憶喪失への不安、春香ちゃんに対する苦しみ、香澄に対するわだかまり、翠ちゃんへの思い、柏木君や八神君に向ける彼の態度、そして私に向けてくださいます彼の想い。
彼の事を本当にお理解してあげられず、一方的な愛情を押し付けてしまうのです。
愚かしくも私はその一方的な愛情に気付く事さえ出来ずに多くの時間をすごしてしまうのです。
貴斗君といると周りが見えなくなってしまう、その様な自身に気付けないのです。
それでも彼が私を大切に想ってくださっているのだけは理解していくようです。
さらに、この日から私は彼を〝君〟付けでお呼びしなくなり、ワタクシの全てを少しずつ変化させてゆくのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます