第五話 上を目指して

~ 2002年2月10日、日曜日、貴斗君の家 ~


 貴斗君の家で勉強をする事を彼はひどく嫌がっていたのですけれど、翠ちゃんと二人で必死の説得によりネゴシエイトに成功しました。そして、今、翠ちゃんと一緒に彼の家で受験勉強中です。

 大学のセンター試験まで約二週間、勉強に追い込みを掛けていたのです。

「ハゥ~~~、またおなじトコで間違ってしまいしました」

「翠ちゃんなら出来る、落ち着いて考えろ」

「デモぉーっ、試験まで後3週間しかなぁいんですよぉ」

「ダッタラ、なお更冷静になってそれに臨め」

 貴斗君と翠ちゃんのそんな会話を聞いていました私は小論文の添削の手を停め彼の顔を見て悪戯な笑みで言葉をかけます。

「貴斗君、とても冷静ね、自信おありなのかしら?」

 彼は工学の専門書を読みながら私の知らない問題を解いているようです。

「別に俺、大学に落ちても心配してないから」

 そう淡々と口を動かす貴斗君の言葉に、悲しみと怒りが同時にこみ上げてしまった私は彼に罵りを言って差し上げる。

「どうしてその様な事を申すのですか、貴斗君のバカァ」

 涙交じりでテーブルに置いてあった消しゴムを彼に投げつけました。彼は私の投げつけたそれを意図も簡単に〝ヒョイッ〟と軽く体をずらして避けたのです。余計に腹立たしくなりの目じりに大粒の涙が溢れて来てしまいました。

「一緒の大学、行こうって約束したのにぃ~~~っ!」

 どちらかと言うと演技に近い表情と拗ねた口調で彼にそう聞かせていました。

「貴斗さん、詩織先輩、泣かせましたネェ、ゆるさないですぅ」

 彼の隣に座っていた翠ちゃん、私の事を援護してくださったのか?彼女はそう口に出しながら持っていた英語の辞書で彼の後頭部をスマッシュ。間合いが近すぎた為、貴斗君はそれをかわす事が出来ず、

『ゴズッ!』と鈍い音を立てクリーン・ヒットです。

「グホッ、痛っー」

〈みっ、翠ちゃん、少々やりすぎです〉

 彼は殴られた勢いでさらにテーブルに額をぶつけ、

「グハッ」と再び奇声を上げました。

 本当は痛いのでしょうけど後頭部を摩りながら冷静なお顔で翠ちゃんを睨む、貴斗君。

「オイ、こら、何でオマエがぁ」

 そんな彼を翠ちゃんは臆する事もなく睨み返していました。

「貴斗さんが悪いんですぅ、詩織先輩に謝りなさいぃ」

「・・・俺が悪かった、頑張るから、機嫌、直してくれ」

 彼女の睨みが堪えたのか小さく貴斗君は溜息をつくと、彼は気まずそうに私に謝ってくださいました。

「本当?」と上目遣いで彼を見てそうお尋ね返す。

「約束する」と簡単に答お答えする彼。

「本当に、ホントですか?」

 さらに念を押すようにもう一度彼に確認させていただきました。

「同じ事を言わせるな」

「はい、それなら信じてさしあげます」とそう返して彼を信じてあげる事にしました。

「ハァ~~~、貴斗さん、詩織先輩。仲睦まじいですネェ~~~」

 その翠ちゃんの言い様はとても皮肉っぽく聞えてしまったのは私の気のせいなのでしょうか?

「茶化すな」と軽く彼が訴えへ、

「貴斗さん、最初にあった時と比べると随分、表情豊かになりましたね」

 翠ちゃんにそう言われ、照れるような仕草で貴斗君は沈黙した。

 彼女の言う様に最近の彼の表情は大分柔らかくなって来たと私も思っていました。それは私のお陰だと信じたいです。ですがまだまだ硬い様ですのでもっと柔らかくして差し上げませんと・・・。

 そんな会話をした後、貴斗君も何となく真剣に勉強に取り組んでいた様な気がします。

 時間が流れ窓から射していた陽光も消え去りその代わり闇明が窓の外を覆う午後6時少し前。

 貴斗君のリヴィングの壁に掛かっている時計を見て言葉を出しす。

「そろそろ、6時ね、夕食の準備をしましょうか?」

「いつも、すまないな」

「しぃーんこぉんさん(新婚さん)」

 翠ちゃんはそう貴斗君にからかいの言葉を言って楽しんでいるようでした。

「黙れ、小娘」と照れながら彼は彼女に言い返しました。

 翠ちゃんの言葉に悪い気はしません。むしろ嬉しいくらいです、ポッ

「ハハッ、貴斗さん、照れてる」

 そんな二人のやり取りを横目に、

「貴斗君、キッチン借りるわね」と言ってそちらへ向かおうとしました。

「アッ、先輩、私も手伝います」と彼女は私に言ってきてくれたのです。

「宜しくネッ、翠ちゃん」と私が言葉を彼女にお返ししますと、

「何だ、翠ちゃん料理なんか出来たのか?」

 さっきのリヴェンジにそう彼は言い返していました。彼女は顔を膨らませながら彼に言い返しの言葉を口にする。

「ひっどぉ~い、貴斗さん私をどんな目で見ているんですかぁ?確かに、手の込んだものは作れないけど、包丁はちゃんと扱えるんだから」

「ハイ、ハイッ、分かったからさっさと頼む」

 小バカにするような感じの言葉と手ぶりで翠ちゃんにお答えする私の恋人。

「ムゥ、頭に来ました、貴斗さんが食べる物に毒入れちゃうんうんだから」

 彼女はさらりと恐ろしい事を言う。それを聞いた貴斗君はただただ苦笑するばかり。暫くし調理を終え三人でその料理を囲み団欒する。今日、彼に作って差し上げた物はお鍋。

 北海道に住んでいる親戚から送っていただいた。その場所で取れた新鮮な海の幸を使った石狩鍋です。貴斗君は箸で鍋の中の野菜を突付きながら言葉を漏らす。

「ホォー、変な形のものはひとつもない、この紅葉や桜の形のニンジンよく出来ている」

 からかうような目で彼は翠ちゃんを見ていました。

「貴斗さん、信じてくれてなかったんですね。毒もっちゃうんだからね」と言って毒(和がらし)を彼の小皿にたっぷりと盛り付けていた。

「ワッ、なにをするっ!」

「ちゃんと、残さず食べないと、勿体無いオバケ出ちゃいますよぉ~~~っ!」

「なんだ、それはっ?」

「貴斗さん、知らないんですかぁー」

 そんな二人のやり取りに思わず苦笑していました。楽しく夕食を摂りまして、小休憩をしてから勉強を再開したのです。

 9時ぐらいまで続け、その時間になると強制的に貴斗君によって勉強を中断させられてしまう。

「そろそろ時間、切り上げ。帰る用意をしろ」と強く命令された。

 後少しで終わる問題を見ながら懇願したのです。

「貴斗君、後もう少しだけよろしいですよね?お願いします」

「アッ私も、これが最後」

 翠ちゃんも私の言葉に続けてそうお言いになりました。

「分かった、それがラストだ。終わったら直ぐ支度しろよ」

 彼がそう言ってから一〇分、私達は玄関で靴を履いていた。

「詩織、翠ちゃんを送っていくから少し遠回りになるがいいか?」

「私は構わないわよ」と彼の行動に賛成。

「貴斗さん、別にいいです独りで帰れますから」

「否、最近は何かと物騒だ。だから送っていくぞ」

「いいんですか?それじゃお言葉に甘えてぇ」

 彼女は言うと玄関から先に出て行く。貴斗君はドアの鍵を掛け、彼と私は彼女を追う様にそこから出て行きました。


~ 2002年2月26日、火曜日、前期日程センター試験会場 ~


 周囲には多くの受験生が仲間内と会話をしていた。到頭この日が来てしまいました。しっかりと勉強をしましたけど不安が募ります。

 エスカレーター式で上に進級できる大学に態々受験しようとする酔狂な生徒は私を含めて三十人近く。その数に少々驚いてしまいました。成績上位のお顔が拝見できます。その何名かは友達として親しい方もいました。

 私が受験しようと思いました理由は単純なものです。そのまま進級してしまってはなんだかずるい様な気がしまして、それに試験を受ければ自分の実力の程を確認できますから。

「よっ、お二人さん、おはよう、準備は出来ているのかい?」

 貴斗君と私にそう声を掛けて来たのは貴斗君の親友の一人であり私の数少ない男友達の八神君でした。

「八神君、おはよう御座います」

「オハヨウ、慎治」

「クソッ、結局、俺も受験する羽目になっちまった。翔子先生から受験しなくても大丈夫だって聞いたのにな」

 八神君は苦笑しながら私達にそう愚痴をこぼしてきました。

「そう言えば、そうでしたね。でも、どうして受験する事になったのですか?」

 彼にその真意を確かめようとしたのですが、

「まっ、ちょっと色々とあってね」

 そう言うだけで理由をお教えしてはくれませんでした。深く追求したいと思いませんでしたので、それ以上お聞きする事無くそのままにしておきます。

「時間だ、移動するぞ」

 貴斗君は時間を確認すると八神君と私に促しの言葉を掛けてくれました。

 私達は受験番号が連番、試験教室は同じです。

 指定の場所に座ると試験官が来る間まで緊張のほぐれる様な話題で話を進めていた。

 八神君のお話は笑わせてくださるものが多く、本当に緊張を解させて貰いました。

 その会話の中で貴斗君の表情、八神君にお見せしていた彼の表情は私には見せてくれた事のない物でしたので・・・、八神君に・・・・・・、その・・・・・・・・・、男性の彼に少なからず嫉妬してしまいました。でも、今の貴斗君、八神君の前では本当に素直だという事、八神君の存在は貴斗君にとって大きなものであると理解しました。

 女である私が男である貴斗君を完全に知ることは不可能なのでしょうね。ですから男の人の友情と申しますのでしょうか?その二人の関係が大変羨ましく思えて仕方がありません。

 現在、ここにはいませんけど貴斗君にとって柏木君はどんな存在なのでしょうか?

 今すぐにお答えを見つける事は出来ません。ですから、そういうことも含めまして、これから先の未来、貴斗君の事で何かありましたら八神君にご相談した方がよろしいのかも知れませんね。

 その様な事を考察していましたら到頭、試験開始のベルが鳴ってしまいました。

 試験内容は国語、数学、英語、第二外国語、公民・憲法とそれに関する小論文。

 二日に分けて行われます。

 数学以外は何とかなりそうですけど、貴斗君があんなに一生懸命?に教えてくれたのですもの数学もしっかりと決めないといけませんわね。

 試験も無事に終わり合格発表の日が到来です。

2002年3月8日、金曜日


 貴斗君と一緒に聖陵大学正門前の掲示板に立ちまして合格発表が表示される電光掲示板を見詰めていました。

 それは未だ漆黒のままで何も表示されていません。いたく不安になっておろおろとしてしまいました。

「私、凄く心配なの、ですから結果が分かるまで貴斗君の手握っていてもいい?」

 彼にそう告げると彼の方から私の左手を優しく包んでくれました。

「心配するな、オマエが受からないようだったら他のヤツなど無理・・・。フッ、それにもしオマエを落とそう物なら、採点関係者、総て血祭りに挙げてやる」

 彼は不敵な笑みでその様な危険な事を口走っていました。

「もぉ、貴斗君、その様な物騒な事を冷静な表情で言わないでください、違う意味で心配になってしまいます」

「ごめん、配慮が足りなかった」

「ウン、いいのですよ、アナタが手を握ってくれた事で少し気分が楽になりましたから」

 彼にそう言うとソッポを向いて気不味そうに額の上を掻いていました。

 貴斗君の手を握りながら彼に寄り添うこと十数分。

 掲示板にオレンジ色の光が灯り『受験合格者発表』と点灯。

 若い番号から順にテンポよく表示されてゆく。

 受験票と彼の手を強く握りながら自分の番号が表示されるのを待ちました。・・・1128、1132、1135。

 番号がさらに近づくに連れて彼の手を握る力が強くなる。1404、1405、〝1406〟ついに到頭その番号が私の目に飛び込んできました。

「貴斗君、嘘じゃないですよね?」

「あぁ、よく頑張ったな、詩織」

 彼はそう言って私を軽く抱きしめてから、髪を撫でてくれる。

 そんな貴斗君の行為が嬉しいくせに、

「周りの人が見ています、恥ずかしいですよぉ」と余計な事を口にしてしまいました。

 そう言うと彼は自分の行動に恥ずかしそうに私から体を離す。

 自分が言った言葉に対しちょっぴり残念、後悔してしまいます。

「貴斗君も合格オメデトウ御座います」

 彼の番号は私の手前だったので既にそれを確認済みでした。

「詩織のおかげだ」

 彼のその言葉で気分は上機嫌になり、私も返すように満面の笑みで言葉をお返しします。

「私も貴斗君のおかげです・・・、・・・、・・・。あっ、そうです。ネェ、貴斗君、今から二人だけでお祝いしましょうよぉ」

 私の申し出に彼は何かを考えながら沈黙。そして口を開き、

「詩織がそうしたいのなら付き合う」と言ってくれました。

「それでは行きましょうね」

 彼の手をお取りし、街の方へと歩みだすのです。

 歩き出す私達にまるで新しい出発を祝うように優しい春風が吹き付けてきました。

 少々風が強いようでしたので長い髪が乱れしませんように空いていた手で抑えたのです。

 そんな私を貴斗君は優しい表情で見てくれていました。

 今、こんなにも幸せいっぱいの私、春香ちゃんはいまだ目を覚ましてくれませんし、柏木君はといえば・・・・・・・・。

 幼馴染みの香澄は柏木君の事で苦労しているご様子。

 翠ちゃんは貴斗君と一緒にお支えしていくつもりですからよいのですけど。

 八神君は置いておくにしろ、私と貴斗君二人だけが幸せを享受してもよろしいのでしょうか?

 よろしいのですよね?だって私たち二人の幸せを壊す権利など誰にも有りはしませんですから。

 ですけれども、やっぱり皆さんが幸せである事に越した事はないのでしょうけどね。

 追伸、八神君も合格していました。

〈八神君、合格おめでとう御座います〉

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