第四話 新しい年

2002年元旦、鏡嶋神社


「ワァー、ワァー、ガヤ、ガヤ」と来訪客の喧騒が辺りを支配していた。

「せぇんぱぁ~~~、明けましてオメデトウ御座いますぅ」

 そう元気よく新年の挨拶をして来ましたのはスイミングスクール時代の後輩、今年高校受験に合格すれば高校の後輩にもなりうる、翠ちゃんでした。

「翠ちゃん、明けましておめでとう御座います。今年もよろしくお願いいたしますね」

「ハイッ、宜しくされちゃいます。ぇえ~~~ッと、そちらの人は?」

 翠ちゃんは私の隣にいる女性を見てそう尋ねて来ました。

「藤原翔子と申します。明けましておめでとう御座いますね」

 翔子お姉様は自己紹介を兼ねて新年の挨拶を翠ちゃんにしていました。

「おめでとうございますぅ、涼崎翠でぇ~~~っす」

 翠ちゃんに翔子お姉様が貴斗君の姉である事、聖陵の教師をしている事をお教えしてあげました。

「うっそぉーっ、貴斗さんにこんな、綺麗なお姉さんがいたなんて信じられない」

「ウフフッ、貴斗ちゃん、あのような状態ですけど仲良くしてあげて下さいね」

「ハぁ、あの様な状態ですかぁ?」

 翠ちゃんは何の事なのか不思議そうな表情を表に現していた。

「アラ、アラ、わたくし、余計な事を言ってしまったのかしら?」

 その言葉と一緒に翔子お姉様は軽く驚いた顔を造ってみせた。翠ちゃんは私にその回答を求めてきたのです。そういえば貴斗君の記憶喪失の事今まで一度もお話ししたこと彼女にはありませんでしたね。ですから、掻い摘んで彼女に彼が記憶喪失なのをお聞かせしてあげます。

「それじゃ、若しかしてあんな性格や、喋り方をするのはその所為なんですか?」

「それが原因かどうかは掴めませんが前はとても素直で活発でしたのよ」

 それを言うと翔子お姉さまの表情が翳ってしまいました。

「アッ、若しかして私、悪いこと聞いちゃいました?」

 そんな翔子お姉様の事を気遣ったのか翠ちゃんは心配そうにそう口にしました。

「翔子お姉様、元気お出してください。そんな顔していたら、貴斗君が来ても直ぐに帰ってしまいますよ」

「そうでしたね。お許しください、場を崩してしまいまして」

 翔子お姉様はその言葉を口にして翠ちゃんと私に笑顔を見せてくれたのです。約束の時間は当に過ぎていると言うのに貴斗君は未だ待ち合わせのこの神社の鳥居に姿を現していませんでした。

「貴斗さん、遅いですネェ~。約束事とか時間に厳しいように見えるんですけどね」

 翠ちゃんの言うことは正しいと心の中で相槌。未だ来ないその人を少なからず心配をしていた。

「遅いですネェー、貴斗ちゃん」

「ハイ・・・・・・・・、そのようですね」

 私も不安を乗せて口にしました。それから約十五分が過ぎ様としていました。

『カランッ、コロンッ、カランッ、コロンッ』

 軽快でテンポの良い下駄の音が鳥居下の階段から聞こえてきたのです。やがて、その音は私達の前で消える。そして、羽織と袴を纏った一人の男性が私達の前にその姿を現しました。

「遅れて、スマン」

 その人は私たちの顔を一瞬、見ると〝ムッ〟とした表情を浮かべてくれる。

「貴斗君、遅れて来たのに何故そのようなお顔付きをするのですか?翔子お姉様に謝りなさい」

 私はその表情を造った理由が判別できると命令口調で彼を諌めました。

「スマン」

 彼は翔子お姉様でなく私に顔を向けてそう言って来たのです。

「誰に謝っているのかしら貴斗君?ちゃんとした言葉でお姉様に謝りなさい!」

 口調を強め彼にさらに強要する。ですけど、彼は沈黙して何もお答えしては呉れません。

「いいのですよ、別に・・・、お気遣いしなくとも」

 そう翔子お姉様は言葉では言いますものの顔はそれを否定していた。彼はひたすら押し黙ったまま下を向いています。やがてバツが悪そうに、口を開く彼。

「翔子先生・・・、俺が悪かった、申し訳、御座いません。それと、賀正」

 それを耳にした翔子お姉様の顔に光が戻り何時もの優しい表情に戻ったのです。

「貴斗さん、それって新年の挨拶じゃないですよぉ。それと明けましておめでとうゴザイマス、今年もよろしくネッ!」

 翠ちゃんはご突っ込みを入れた後、挨拶を彼にした。それに続き私もご挨拶。

「新年、明けましておめでとうございます、どうか本年も宜しくお願いいたしますね」

 一字一句その調和を乱す事無く翔子お姉さまと私の言葉は重なって彼にむかっていました。

「こちらこそ宜しくお願い申す」

 貴斗君は深々と私達三人にお辞儀をし、頭を垂れてきました。彼は頭を上げると私達三人の姿を確認し何か言葉を選んでいるご様子で照れながら口を動かす。

「そのっ、ナンダ、三人とも・・・、着物、似合ってる、って言うか・・・、綺麗です」

 彼は私達の着物姿を見てそれを褒めてくれた。

「貴斗さんからそんな言葉が聞けるなんて今年はいい事有りそぉ~~~」

 さらりと彼に失礼なことを言う翠ちゃん。

「ウフフフッ、お褒めいただき有難う御座います」

 軽くお辞儀をしながら嬉しそうな顔をお見せになる翔子お姉様。

「貴斗君がそう言って下さると着て来た甲斐があります」と言う私。

 彼は羽織袖の中に両手を交差させ、少し照れています。

「遅れて悪かった。サッさとお参りに行こう」

 私達を促すようにそう言葉に残すと貴斗君は逃げるように先に歩き始めました。

 神社の本殿に向かう途中、彼に遅れてきた理由をお尋ねしたのですが、〝言い訳など漢らしくない〟とそうお答えになってその真相を教えてはくれなかったのです。ですから、

〈貴斗君、私に隠し事が多すぎます〉と心の中でそうぼやいてしまいました。

 参拝客が密集する賽銭箱の前に到着し、お賽銭を投げ三つのお願い事をします。

 壱つ、貴斗君の記憶の回復。

 弐つ、春香ちゃんの目覚めと健康の回復。

 参つ・・・、それは秘密です。

 自分の参拝を終えるとその場所から身を引き脇に出ようとしましたが先ほどまで私の隣にいたはずの貴斗君はいなくなってしまいました。

 困惑しながら密集地帯から身を遠ざけますと、そこには既に参拝を終えていた彼がまるで気配を消しているがごとくあさっての方向をお向きになって立っていました。

 そんな彼に気付かれないよう細心の注意を払いまして、近付き後ろから抱き付いて言葉をおかけしました。

「ネェ、貴斗君は何を願ったの?」

 私の行動に驚いては呉れませんでしたのか彼はフッと軽く鼻で笑って返すだけです。

 動じてくれません彼はそのままの状態で淡々とした口調でお言葉を聞かせてくれます。

「教えてしまっては願い事も叶わなくなる」

「それも、そうですよ、ねっ!」

 暫くして最前列の方に移動していた翔子お姉様と翠ちゃんが戻ってきた。それから、戻ってきた二人と共に御神籤所へ向かってそれを引いていた。

「やったぁ~~~っ、やりましたよぉ。詩織先輩、見てください、大吉君が出ましたぁーーーッ!」

「よかったですわねぇ、今年は色々と大変な事が多いでしょうから」

 私は喜ぶ翠ちゃんにそう言葉を差し上げていました。それと、翔子お姉様は中吉。私は良くも悪くもなく吉を引き当てました。ですが、嬉しい事に貴斗君と一緒。だから大吉でなくとも私にはそれでよかったのです。

 休憩所で少し休んでいるといつの間にか貴斗君だけ姿が見当たりません。暫くして彼が手に何かを持ってお戻りになったようです。彼は持っている物の中から一つずつ取り出して私達三人に手渡してくれます。

「翠ちゃん、これ。詩織にも、ハイッ。翔子先生何時も迷惑掛けて悪い、これ受け取ってください」

 貴斗君から戴いたものは御守り。翠ちゃんと私には合格祈願、それから、翔子お姉様には無病息災の御守り。

「貴斗さん、有難うございますぅ」

「私、受験頑張りますわね」

「大切に致しますね」

 私達がそれぞれ感謝の気持ちをお返しすると彼は照れ笑いをお見せしてくれた。

「貴斗君は自分の分、お買いになったのですか?」

「信心深くないから」

〈今も昔も相変わらず神頼みなどしない人なのですね、貴方は〉

 心の中で思っていますと彼の言葉に対して翠ちゃんが反論。

「違いますよ、気持ちが大事なんですぅー、それにさっき、お参りもおみくじもしていたじゃないですかぁ」

 彼はその言葉に対して軽く苦笑するだけで答えは返してきませんでした。

 願掛け(参拝)と言う能動的行為を貴斗君がどの様にお思いになっているのか知る事が出来ませんが、彼にとって占いやおまじないといった受動的なものをけして信じていない事は知っています。ですから、貴斗君がお答えにならず苦笑しただけだったのも私には頷けます。

 私達は休憩所から立ち去り出店を食べ歩く。支払いをする時、貴斗君がお金を出そうとするその行為を翔子お姉様が優しい表情でやめさせる。

「貴斗君、その様な事をなさらなくともよいのですよ、私が払いますから」

「しかし、俺、男だし」

「大人の言う事は聞くものです」

 表情とは裏腹にお姉様の口調は強かった。しかも目が恐ろしく据わっています。

 まるで貴斗君は蛇に睨まれた蛙状態。学校での口争いの時とは立場が逆転していました。

 そんな貴斗君を見ていますと彼の精神も少なからず安定して来たのかもしれない、そんな風に思えました。

「ハイッ、わかりました」

「宜しい、何時もその様に素直だとよろしいのですけど」

 お姉様のその言葉に押し黙って俯いている彼をフフッと軽く笑ってしまうのです。

「笑うな、詩織」

「ゴメンなさいネェ、他意はありません事よ。タカトくん、ウフフッ」とまた笑ってしまいました。

 私達はある程度見回りそれを終えると帰宅することにしたのです。貴斗君はこれから用事があるとかいって私の家まで送ってくれる事はなかった。残念です。

 今年の参拝は去年と違って、香澄は同席しておらず、その代わりに翠ちゃんと貴斗君が加わっていました。そういえば、小学生の時は香澄、貴斗君と私達三人の家族ぐるみの大所帯でこことは別の神社に参拝していました事を思い出す。あの頃が懐かしく思えます。


2002年、1月5日、土曜日、近所の公園

 私はブランコに腰をすえています。そして、先ほどまで私の後ろにいた香澄が今は正面に立っていました。

 俯いてしまっている香澄の方を向きましてブランコを軽く漕いでいました。

『キィー、キィー、キィーッ』とブランコのチェーンが軋む音が周囲に響く。

「香澄、本当にそれでいいの?」

「もう決めたから・・・」

 わたくしは、幼馴染の香澄の気持ちに、どの様にお答えした方が宜しいのか悩み、

「そうですか分かりました、香澄がそう決めたのなら、私は何も言いません。香澄を邪魔する権利など無いですからワタクシには・・・・・・・・・、ないから」

 そう私が口にしてから暫くの沈黙が訪れてしまいます。

 香澄は今、私以外の親友、春香ちゃん、彼女の事で何かをすごくお迷いになっています。

 それは私が以前から気にしていました香澄の左の指に嵌められているシルバー・リングと関係しているようでした。

 去年の8月26日、彼女の誕生日に街で偶然お逢いした(本当は偶然ではなく・・・)、春香ちゃんの彼氏、柏木君から贈られた物。

 右手には収める事が出来なかったので左手に嵌めていました。

 女性として左手の薬指にリングを嵌める事の意味を知っていた私が未だ香澄が何故、恋人でもない柏木君から贈られたリングをそうするか理由を知らなかった時、一度、彼女に〝右手に収まらないならチェーンに通して首に掛けたらどうですか?〟と、お聞かせした事がありますけど〝嫌 〟と、即答されてしまった事を憶えています。

 香澄、彼女は春香ちゃんの事故の要因が少なからず彼女にあると言う事に対して酷く自己嫌悪に陥っていた様です。その様な事実を知らなかった私は落ち込んでいる彼女にその理由を今まで何度も聞いてみましたけど今日まで一度もお教えしてはくれなかったのです。

 その事故があった当日、柏木君、本人に偶然、国塚駅で彼に逢ったと言う事。そして、その時、態と彼を引き留め、春香ちゃんとの約束を遅らせてしまった事。

 今、幼馴染みで貴斗君という恋人が私にはいます。小さい頃から私は彼をお慕いしていました。

 幼馴染みである香澄も彼が好きであると知ることが出来ましたのは中学二年生時、貴斗君が渡米した後の事です。

 香澄は私の気持ちを随分前からお知りになっていた様子です。でもケシテ彼女の口から聞いたのでなくそう感じていました。

 再び、貴斗君がご帰国して同じ学校に通っていたなどと知らなかった時、記憶喪失の彼を私に紹介してくれたのは香澄でした。

 彼女の内心は分かりませんでしたけど香澄は貴斗君から手を退く様な感じで彼を私に委ねてくれたのです。

 そして、今、香澄は私の時と同じ、彼女自身の心の想いを押し込めて、春香ちゃんに紹介した柏木君の事を再び、想い始めているのです。

 心の中で色々な思いに整理をつけてから、長く続いてしまっていた静寂を私の方から破り、幼馴染みに言葉をおかけする事にします。

「私、香澄の気持ち分かっている積りですから。香澄が柏木君の事をお慕いしているなら、大事と思うのなら彼をお救いしてあげてください」

 今、柏木君は恋人の春香ちゃんのあの目を覚まさない状態によりとても精神的に疲弊してしまっていたのです。

 そんな柏木君のお姿を見てしまうと胸が痛くなってしまうのですけど、わたくしは貴斗君や翠ちゃん、二人の事で手が一杯になってしまっていたもので何も彼にして差し上げられませんでした。ですから、今柏木君の事を一番想っている香澄にそう言葉にしていたのです。

「えっ!?」

 香澄はその言葉と一緒に驚いた表情を向けてくれました。香澄が驚いた顔を見せるのも彼女、本人から聞かされていない柏木君に対する彼女の気持ちを私が口にしたからでしょう。

「何でそれを・・・・・・・・・」

「私、18年間も香澄の幼馴染みしているのですよ、その位、ご察しできます」

 いくら幼馴染みでも総てが分かる物ではありません、でも今の香澄にはそうお答えを返しました。

「そうよね、しおりン、頭いいもんね」

 彼女は私を小莫迦にするような顔を見せそう言ってきたのです。

「香澄、茶化さないでくださいっ!ホントにそう思っているのですから。それに・・・・・・・・・・・・」

「それに、何?」

「香澄が私に貴斗君の事をお譲りしてくれたことを知っていますから」

「イッ???!!」と先程以上に彼女の顔が変化を見せました。

「しおりン、知ってたんだ」

 恥ずかしさを何とか隠して、香澄のそれに小さく頷き返す。

「何時から知っていたの?・・・気付いたの?」

「中学2年生の終わり頃からです」

 香澄にそう正直に口を動かしました。

「じゃぁ~~~、香澄は私の気持ち何時から知っていたのですか?」

「ヒ・ミ・ツ」

 私の幼馴染みはニヤケながらそう答えを返してきたのです。

「香澄、狡いですよぉ~っ!」

「そう言っても、教えてあげない。今のしおりンなら考えれば分かるわよ」

「ムゥ~~~」

 言って私は顔を河豚にして彼女にお見せしました。私のそんな表情を見た香澄は少なからず笑ってくださいました。

 先ほどまで沈んでいた彼女の気分も大分、楽になったのかも知れませんね。香澄の柏木君に対する想いを認め、彼女のしようとする事に手助けしたいと思いました。ですが、それは親友である春香ちゃんへのウラギリ行為でしかなく・・・・・・・・・。

 そう分かっていましても幼馴染みであり親友の香澄と親友の春香ちゃんを天秤にかけてしまえば香澄の方へと傾いてしまうのです。それに何よりも貴斗君を譲ってくれた事も付け加えてしまいますと、よりいっそう香澄の方へ荷重が掛かってしまいます。

 大変恐縮に思ってしまいますが平たく言葉を返してしまえば春香ちゃんより幼馴染みの香澄の方が大事なのです。

「大分、気分がよくなってきたわ、アリガト、しおりン」

「幼馴染みですもの、当然のことです!」

「それじゃ、今から私、宏之の所へ行くから、じゃぁ~ねぇ」

「ウン、バイ、バイ、頑張ってくださいね」

「アッ、一つだけアタシからしおりン、アンタに忠告しておくわ。あんまし貴斗に負担、かけさせんじゃないわよ」

 何かを思い出したようにそう香澄は私に助言してきました。

「どいうことですか?」

 彼女の意味を察し切れなかった私はそうお答えを返してしまう。

「しおりン、頭いいだから、自分で考えなさい」と返されてしまうのでした。

 それから彼女が見えなくなるまでお見送りした後、ユックリと腰を上げ立ち上がり家に帰ろうとしましたが香澄が最後に言った言葉で不意に貴斗君の顔が脳裏に過ぎったのです。そして、考え込んでしまいました。

  貴斗君にとっての親友の柏木君、香澄のしようとしている事は貴斗君にとってどう映るのでしょうか?

 香澄に対する今の私の気持ちを知ったら彼はどんな顔をするのでしょうか?・・・・・・。

 怖くて想像できません。不安になってしまいます。ですから、この事を彼に伝えないと決意いたしました。

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