【第四〇話 一難去ってもタイチなん?】
「さて、と。これは警察に言った方が良いのかな。対馬さんどう?」
唯ちゃんがスマホを取り出して、手でフリフリしながら聞いてくる。
「気絶してるだけみたい。でも顔が腫れてて痛そう」
「あー。だいぶ強く殴られてるねー。でもそのおかげで美優ちゃんに膝枕されてるんだから、羨ましすぎるよ」
「何じゃそりゃ」
対馬さんは仰向けに寝転がって、頭は私の膝の上だ。こんな目に遭ったのは私の責任だし、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだよ。
「どうする彩香?」
「とりあえず対馬さんにどうするか聞きたいけど、目を覚まさなそうだし。田口さんに聞いてみようよ」
「そうか。うん、今電話してみるね…………あ、田口さん? お疲れ様です……買い物の最中……はい、実は——」
唯ちゃんは事の成り行きを田口さんに説明しながら公園の方向へ遠ざかる。これからどうしたらいいか指示を仰げるのは良かった。
でも、何だろう。何か気にかかる。何が気にかかるんだろう。胸の中が何かモヤモヤする。
私の直感が告げている。まだ何かあると。
「ふふふふふ……」
ブロンド美女が不敵な笑み。私達への襲撃(?)は失敗したんだから普通は悔しがるよね? なのに何故こんなにも余裕でいられるんだろう。
「何が可笑しいんです? 怪我しないうちに早く吐いちゃった方が楽になれますよ?」
彩香ちゃんが木刀でブロンド美女の顎を小突きながら恫喝している。
怖ぇえよぉ。
彩香ちゃんはキレさせたらダメなタイプだな。覚えておこう。
てか、その台詞はフードの中で唸ってるデブ鳥にも言ってやってくれないかな。
「さてね。その棒で殴りたきゃ、好きなだけ殴ればいいさ」
「ふぅん。威勢が良いのね。まあいいわ」
流石の彩香ちゃんも無抵抗の相手に木刀は振るえないよね。なんか彩香ちゃんが負けてるような絵面だなぁ。
「田口さんがお迎えの車を出すから、しばらくここに居ろって。公園の名前があったから場所が特定出来たからって」
唯ちゃんが戻って来て報告してくれる。とりあえず一安心だね。あれ? でも警察に連絡は?
「唯、警察に連絡しなくていいの?」
「田口さんがしてくれるって。何か色々とあるし、面倒ごとは田口さんがやるから私達は何もせずに待ってろだって」
「え、対馬さんに救急車は?」
そうだ。それが一番大事な事じゃん。
「それもいいだって。顔の腫れ程度なら後で病院に行ってもらうってさ」
「ふぅん。ま、スキャンダルじゃないけど、余計ないざこざは起こしたくないから隠密に処理したいのね」
「芸能人って難しいなぁ」
その唯ちゃんの気持ちは良く分かる。
「じきに慣れるわよ」
私はもう慣れ……てないな。
「美優ちゃん、これ」
唯ちゃんが濡れたハンカチを差し出してきた。公園で濡らしてきたのかな?
「対馬さんのアザのところに当てて冷やしておいた方が良い」
「そうだね。ありがとう」
唯ちゃんから渡されたハンカチを、対馬さんの顎から頬にかけて腫れてる部分にあてがう。
白とピンクを基調としたキティちゃんのハンカチだなんて、唯ちゃんったら可愛いじゃない。
こんな可愛いハンカチを持ってる唯ちゃんが、まさか兵隊さん相手に素手で勝つ程の強さを秘めてるなんて誰も思わないよ。
もちろん私のモノと喋れる能力だって特異と言えるけど、私と違って唯ちゃんはきっと並々ならない努力であそこまで強くなってるはずなんだもんね。すごいなぁ。
唯ちゃんの凄さに浸ってると、スマホから着信音が鳴り出す。
「誰だろ、こんな時に……」
もちろん相手は私がこんな事になってるとは思ってないだろうけど、私の立場からすれば、そんな悪態をつく程に、こんな時なのだ。
悪気は無いので許せ。
「えっ、麗葉さん?」
画面に出ている発信者は、まさかの麗葉さんだった。「こんな時に」なんて言ってごめんなさい!
「はい、もしもし!」
実は麗葉さんから電話が来る事自体が初めての事なので、嬉しくて声がうわずってしまう。
こんな時じゃなければ、もっともっと気分は高揚してると思うと残念でならない。
(やぁ、お嬢さん。お久しぶりです。あれから随分と有名になられたものですねぇ?)
え? 麗葉さんじゃない……誰?
電話から聞こえる声は男の人の声だ。麗葉さんじゃないなら、私の高揚してうわずった「もしもし」を返してもらいたいわ。
「え、誰ですか? 何で麗葉さんの電話持ってるの? てか、何で私を知ってるの?」
(これはこれは。あなたを知らない日本人はもう居ない程に有名になられたのですから、その質問にはお答えしかねます。後の質問にはヒントでお答えしましょうか?)
この流れるように人を馬鹿にした話し方と声質は覚えがある。そんなまさか!
「ヤクザのアニキ……さん?」
(おや、覚えておいででしたか。ですが私には
タイチ……ブロンド美女が言ってた名前と一緒だ。私を連れ去ろうとしたブロンド美女二人……そして今回の襲撃……。
「全部……全部あなたの差し金だったのね! ていうか、私にはもう近づいちゃダメなんじゃないの⁉︎ それより麗葉さんは無事なんでしょうね⁉︎」
(私は粘着質でしてね。一度獲ると決めた獲物は必ず仕留める主義なんですよ。確かに長野組からは圧力がありましたが、組を抜けてしまえば、組には迷惑はかかりません。これは私個人のコネクションで動いてますから、組への圧力は関係なく、何の支障もないです)
ヤクザのアニキやヘチマンカスタカシは、私や凛ちゃんには二度と近づけないと、佐伯探偵事務所の佐伯所長は言っていた。
嘘つきー! 今、ヤクザのアニキの襲撃で大変な事になってんじゃんかよー!
「しつこい男は嫌われるのよ? アニキさん、モテないでしょう」
(心配いりません。あなたさえ居れば、他の女なんて興味ないですから)
こいつにそんな事言われても全然嬉しくない。それどころか、めっちゃくちゃ気持ち悪いわ!
「モテる女は辛いわね。言い寄られたくない男にまでモテてしまうんだから。それより麗葉さんは⁉︎」
(ふっ。あなたのそういう所が非常にそそるんですよ)
うぞぞぞーっ! 気持ち悪すぎて鳥肌が立つ。
(私がこの携帯であなたと話してる意味を理解して下さい? 私が何の策も無しにあなたとこの携帯で話すと思いますか?)
くっ……。
「私はどうすればいいの?」
(はい、よく出来ました。今からあなたの携帯にメールで住所を送るので、一人でそこまで来て下さい。車はそこのを使ってもらっていいですから)
「分かった。あとは?」
(お仲間や警察の類は無しです。佐伯探偵事務所ももちろんです。あなたの驚異的に強いお友達にも内緒にして下さい。あなたの行動は私に把握されてますからね? 一人で来ないと分かった時点でこの携帯の持ち主は、あらぬ姿になりますので、よしなにお願いしますね。では)
「あ、ちょっと!」
こちらが言い返す前に通話は切れてしまった。そして直後に麗葉さんのSNSのアカウントからダイレクトメールが届いて、ここの住所に来いと書いてあった。
「美優ちゃん、電話誰だったの? 麗葉さんじゃなかったの?」
彩香ちゃんが不思議そうに聞いてくる。どうしよう……どう言えばいいんだろう。
「あ、麗の漢字が同じの
名前は違うけど、同級生のホストは実在する。高校卒業以来会ってないけど、SNSでホストをやってるのは知っていた。
麗が付く漢字から始まる名前って、男だとホストしか思い浮かばなかったんだもん。
「ホスト? 同級生だからってシャイニングの伊吹美優に営業かけるなんて、よほどの計算高い奴か、よほどの大バカか、どっちかね」
「お、大バカだよ。昔から頭悪いからあの人……ははっ」
許せ、同級生のホストよ。
「ま、いいけどね……」
そう言う彩香ちゃんは納得してないような表情だけど、これ以上言うとボロが出そうなので追求してほしくないな……。
「それよりこれを枕にしな? 美優ちゃん、アスファルトの上に正座だと痛いでしょ」
唯ちゃんが車から衣装を入れてる袋を持ってきて、私の膝から対馬さんの頭を移し替える。
「美優ちゃんに膝枕されてたなんて、対馬さん、起きて知ったらどんな顔をするんだろうね?」
「言わないでおいた方が良いのかもね。変な気を使わせない方が対馬さんのためよ」
さすが彩香ちゃんは冷静に物を言うなぁ。
「そっか、そうだよね。私も気絶したら美優ちゃんに介抱されたいなぁ」
「あはは……」
唯ちゃんを気絶させられる人間がこの世にいるならね……。
「私、ちょっとあの車どかしてくるね? 邪魔だから——」
二人と離れるチャンスは今しかない。ブロンド美女が乗ってきた車に向かう。
「あ、美優ちゃん待って!」
振り返って返事をしようとしたら、私を引き寄せた彩香ちゃんに抱きしめられてしまった。
待って! 彩香ちゃんも私の事狙ってたの⁉︎
「怖い思いしたね! よしよし」
あ、そういう意味でしたのね。
「あ、彩香ちゃん……?」
「シッ——。静かに聞いて」
小声で囁いてきたので小さく何回か頷く。
「犯人グループはまだ他にも居て、麗葉さんが人質……そうでしょ?」
またまたコクコクと小さく頷く。
「田口さんと合流したら対策考えるから美優ちゃんは行って。大丈夫、何とかするから心配しないで。私のスマホをGPS代わりにポケットに入れといたから」
いつの間に……。
彩香ちゃんはサッと体を離して、顔はニッコリしているけど、目は真剣なのが伝わる。
「まだ別の犯人が居ると思うから気を抜かないでね? 車はその辺で捨てていいから」
「うん、分かった。彩香ちゃん……」
「何?」
「帰ったらまたギュッてしてね。私いつもする側だから、今日はされる側になりたい」
「うん。いっぱいしてあげる!」
「うん——」
さて、車に行きますか。彩香ちゃんが気付いてフォローしてくれている。それだけで、なんて心強いのだろう。
「クラウンか……」
この手の輩はみんなクラウン好きよねぇ。何でなんだろう?
『おぶっ……揺らすなと、あれほど……』
コートを脱いで助手席に放り投げて、運転席に座ってシートベルトを締める。
「ロッキーがフードに居たんじゃ運転出来ないじゃん。ていうか、いい加減吐いちゃえば?」
『…………』
もうコートの一つや二つが、汚物に
そんなの麗葉さんが今抱えてる不安や恐怖に比べたら、目に入らないぐらいに小さ過ぎる。
エンジンはかかったままだった。シフトレバーをバックに入れ、後方にあったT字路でUターンして、ナビに従って走り出す。
久しぶりの運転だけど、体は覚えてるもんだね。ご丁寧にナビまで付いてるから、ナビに先程の住所を入力する。
送られた住所は都内だけど、到着まで約三十分。ここからは意外と遠いな。
とりあえず麗葉さんを助け出さない事には、彩香ちゃんが警察を呼んだとしても何も出来ない。
ていうか、また私のせいで麗葉さんに迷惑をかけてしまっている。
ごめん麗葉さん……団子に続いて誘拐までされるなんて。今頃はきっと貞操の危機だよね……私と関わったばっかりに、嫌な目にあってばかりだよね?
よし、決まった。私のアイドル生命をかけてでも、麗葉さんは絶対に無事に助け出す——絶対にだ!
どうやって、なんて事は道中考える。とにかく今は言われた住所に向かうしかない。
アクセルを更に踏み込んで、私の想いに応えるかのように、車はスピードを増して走って行く。
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