【第四一話 萌える!お兄さん】


 どれくらい走っただろうか。


 いや、時間は分かっている。目的地まであと五分と、ナビの画面に表示されているので、車を出してから二十数分経ってる事になる。

 問題にしてるのは、目的地に着いたとして、その後どうすればいいかが、考えても考えても全く導き出されてないんだ。


 ええい、仕方ない。この私の無い頭で考えたってどうしようもないんだ。素直に諦めよう。

 元々、私は計算高く行動出来ない人間なんだ。自分の直感を信じて、なるようになるしかない。


 目的地に到着しました——。


「え、どこ?」


 車を停めて、ナビが指示する輝点と車の距離はゼロになっている。

 商店街らしくて、周りにはお店らしきものが左右にずらっと並んでいる。

 流石に夜も遅いからか、全ての店にはシャッターが降りてはいるけど……。

 そんな中、一軒だけシャッターの隙間から明かりが漏れている店を見つけた。

 その店の前まで行き、右手に見える薬局らしい看板には〝小柳薬局〟と記されていた。


「これかなぁ……」


 シャッターの前で車を停めてエンジンを切り、鍵はコートのポケットに入れてコートは腕に抱える。

 ロッキーは今の私が置かれてる事態を飲み込めたのか、もう文句を言わなくなっている。


 まったく……吐けない代わりに飲み込むのは上手いんだから。

 ポケットから自分のスマホを出して、麗葉さんに電話をかける。


「もしもし。着いたけど?」


 相手が出て何かを言う前に自分から話し出す。麗葉さんが出ない事は分かっている。


(車のエンジン音で分かってますよ。シャッターを上げて中に入ってきて下さい。入ったらシャッターは下ろしてくださいね?)


 通話を切り、シャッターに手をかける。勢いよく自分の体が通れるくらい上げて、店の中に入る。

 私がシャッターを戻さなくても、シャッターは重さで自動的に下りていた。

 店の中は、いかにも個人経営の薬局って感じで、特に何も変な所は無い。

 ヤクザ屋さんを辞めて、まともに薬屋をやってる感じがする。


 アニキと麗葉さんは奥かな……?


 ズカズカとカウンターを通って奥に続くドアを開けて、中の景色に愕然とする。


「な——何これ⁉︎」


 一瞬、ミラーハウスにでも迷い込んでしまったかと思う程に、部屋の中は壁から天井まで私で埋め尽くされていた。

 正確に言うと、伊吹美優のポスターだらけだ。シャイニングの衣装のものから、普段着っぽいものや水着のものまである。

 それが隙間も無く折り重なって貼られていた。


「ようこそ。私の聖域へ」


 アニキの声がして初めてその存在に気が付いた。デスクに座ってパソコンのモニターを見てたのか、振り向いて薄気味悪い笑顔を向けている。

 景色のインパクトが強すぎてアニキに意識がいかなかったらしい。

 相変わらずのスキンヘッドだけど、パーカーにジーンズとラフな格好をしていた。


「まさか、あなたがこの部屋に来る事があるとは思ってなかったですよ」


「あの……これは……」


「見ての通り、私はあなたのファンですよ。あなたが愛しくてたまりません」


「あ、そう……ですか」


 何じゃそれ! ファンなのは嬉しいけど、複雑だ。複雑すぎる!


「でも、私を襲わせたよね」


「私は幾つか協力してあげただけで、首謀者はあの女ですよ。もっとも、あわよくばであなたを手に入れられるかもしれないとは思ってはいましたがね」


 アニキはニコニコと笑顔を絶やさずに、淡々と話している。なんでこうも冷静でいられるんだ?


「何? 何が狙いなの?」


「愛しいと思う人を自分だけのものにしたい。それだけですよ」


 やべぇ。こいつ、やべぇ奴だ。今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られる。

 でも私は逃げない。麗葉さんを無事に助けられるなら、こいつと心中したって構わない。


「わ、私が嫌だと言ったら?」


「あなたが私に心を開くとは思ってません。なので私の独りよがりです。しかし、その気になれば、あなたを監禁して独り占めする事だって出来ます。まあ、今はしませんがね」


「どうして?」


「簡単ですよ。シャイニングで輝くあなたをまだ見ていたいからです」


 なんか、執行猶予を与えられたような気分だ。二年半後、シャイニングが解散したら監禁するぞと脅されてる気がする。


「それより麗葉さんは⁉︎」


「知りたいですか? 教えてもいいですが条件があります。そしてあなたに拒否権は無い。拒否すれば……」


「分かってる。何をすればいいの?」


 両手で拳を作り、ぎゅっと力を込めて答える。エッチさせろ。とか言ってきたら〇玉を潰してやる。


「これです」


 アニキが差し出してきたのは、みたらし団子だった。想定外のものが差し出されて、思考が止まってしまう。


「……は?」


「あのポーズで私に食べさせて下さい。衣装も用意してあります」


 そう言って、少し鼻息を荒くしながら紙袋も差し出してくる。中にはメイド服っぽいものが見える。


 おいおいおいおい。本気か?


「ぐずぐずしてる時間は無いと思います。そちらのドアの奥で着替えて下さい。私はここで待ってますから」


 仕方ない。言う通りにするしかないか。入ってきたドアとは別のドアを開けると、洗面台があった。脱衣所のようなスペースだろうか。


 紙袋からメイド服を取り出し、まじまじとそれを眺める。

 至ってシンプルなメイド服で、胸チラ出来るようにデコルテ部分はオープンに開いている。


 複雑だ……複雑な気分だ。まさかヤクザのアニキに〝おみみたらし団子〟を披露しなければならないとは……。


 着替え終わり、着ていた私服は紙袋に仕舞い、コートはその上に置く。ドアを開けてアニキの聖域へと戻る。


「着替えたよ」


「……いいですね」


 アニキの口元は弛みに弛んで、だらしないデレ顔になっている。

 まぁ、これはこれで悪くない気分だ。私がメイド服を着た時の破壊力は自分でも自負している。


「ツインテールにはしないのですか?」


「ヘアゴム持ってないの。結ぶものが無いと無理よ」


 下ろしている髪の毛を持ち上げて、ちょっとツンデレっぽく言ってみる。

 私も私で、開き直ってる部分があるようだ。


「ヘアゴムか……盲点だったな……まぁ、今回はよしとします」


 次回もあるのかよ。


「では、お願いします。私が納得するまでは何度でもやり直しますからね? 一発で決めてくださいね」


 みたらし団子を差し出されるので、一本手に取る。

 腹をくくれ伊吹美優。麗葉さんを助けるんだろ。アイドルなら、どんな状況でもファンに対して全力で向き合ってこそプロだろ。

 大きく深呼吸して、気持ちを整理する。


「じゃあ、行くよ?」


 アニキはコクンと頷き、ソワソワしている。


 よし、くらえ。これが私の必殺技だ!


「おみみたらし団子、あ〜んだにゃん」


 ライブでの本番さながらの、私の精一杯のポーズだ。

 たった一人のオーディエンスに……しかも相手はあのアニキにやるのは恥ずかしいけど、やり切ったと思う。


 アニキは目を潤させ、唇がプルプルと震えている。何だこのリアクションは?


「はぁ〜ん。美優たんに〝あ〜んだにゃん〟されちゃったよぉ。はぁ〜ん、可愛いぃん!」


 急に床にうずくまってゴロゴロと転がりながら悶えている。


 え、アニキ……さん?


「はぁ〜ん、可愛いぃ——可愛いぃん! 美優たん、可愛いぃん!」


 え、ちょっと。別人ですか?


「ア、アニキさ——ひゃっ!」


 今度は急に立ち上がるもんだからビックリするじゃないか!


「素晴らしかった。やはりあなたは最高だ」

「はぁ、どうもです」


 お前、二重人格かよ!


 息は荒いけど、さっきまでの冷静な人に戻っている。何だこの人⁉︎


「さあ、麗葉さんはどこ⁉︎」


「私は知りません。この携帯を渡されただけです」


 ……は?


「嘘つかないで!」

「嘘じゃない。いつ私が木田麗葉を人質にしました? そんな事、一言も言ってませんよ。あなたが勝手に思い込んでるだけです」


「だって、アニキさんが犯人なんでしょ⁉︎」

「さっきも言ったように私は幾つか協力してあげただけで、直接な関わりは持っていない。あなたをここに呼ぶのにチャンスだと思って、あの状況を利用させてもらっただけです」


 待って待って待って! 落ち着いて美優!

 アニキの態度から察するに嘘をついて……るかどうかなんて、分かる訳ないじゃん!


「犯人じゃないなら、わざわざ麗葉さんの携帯をもらわないでしょ⁉︎」

「状況がどう転んでも、私の目的が達成されるようにシナリオを組んでいます。奴らは私を利用してるように思ってますが、逆です。私が奴らを利用してたんですよ」


「……アニキさんの目的って?」

「決まってるでしょう。私が愛してやまない、あなた自身ですよ。あなたを独占してみたかった」


 うわぁ……聞くんじゃなかった。


「奴らの計画が上手く行っても行かなくても、私があなたの助っ人になり、困難を脱するお手伝いをする。そういう風なシナリオです」


「私を助ける? それも私が拒否したら?」

「あなたは私を頼らざるを得ない。その選択肢しか残らないようにしています。現に今、木田麗葉の居場所を誰よりも早く突き止められそうなのは、奴らと通じていた私しか居ない。そうでしょう?」


 悔しいけど、その通りだ。今、麗葉さんを助けるのには、アニキの協力が必要だ。

 私はアニキの掌で踊らされてるのね……。


「むうぅ。何でそんな、まどろっこしい事するの? 直接ヒーローになればいいだけじゃない」


「あなたが素直に私を信じると思いますか? 以前、あなたを嵌めようとした私を」


「それは……」


「あれ以来、私はあなたの虜ですよ。あなたに嫌われるような事はしたくないし、嫌われ覚悟なら今ここで押し倒しますよ?」


「えっ……」


 一瞬、身構えてしまう。でもその気配は無さそうだった。

 アニキが私を見る目は、いやらしさだけでなく、とても優しい色を宿している。


「私は変わった。変えたのは、あなただ」

「信用して、いいの?」

「それは、ご自身でお決めなさい」


 確かにアニキさんからは、欲望のオーラが感じられない。信じてもいいと思う。

 それにアニキさんの言う通り、麗葉さんへの一番の近道は、やっぱりアニキさんかもしれない。


「分かった。アニキさんを信じる」


「賢明な判断です。では行きましょうか」


 アニキさんは壁に掛けてあったジャンパーを手に取って出る素振りをする。


「え、麗葉さんの場所知らないって……」


「知らないから、聞きに行くんじゃないですか。知ってると思う人物の所に」


「え、それって……」

「そう。ロープで縛られている女です」


 戻るの⁉︎


「それって、最初からアニキさんが来れば良かったんじゃないの? てか、行かなくても電話で聞けばいいんじゃ? 唯ちゃんに電話すれば——」


「言ったでしょう? 私の目的はあなただと。あなたと二人きりになれるチャンスを私は見逃さない。私のためだけにポーズを決めてくほしかった」


 ほえぇぇ。すごい執着心だ。そんなに私の事が好きなんだ……。

 そうだと分かれば、そんなに悪い人に見えなくなってくる不思議。


「電話で聞くのもナンセンスです。取引などでも、電話だと相手の表情が見えないので、相手の真意を読み取る事が難しい。重要な情報を引き出すには、対面での駆け引きが最も成功率が高い。覚えておいた方が良いですよ」


「そうなんだ……」


 そう言われてみれば、確かにそうだと思える。頭が切れる人なのね。

 味方なら頼もしいけど、敵にしたら厄介なタイプの人だ。

 そんな頭の切れる人が、さっきのあの悶えよう……すごかったなぁ。あれ、演技じゃなくて本音なのかなぁ。

 止めとけばいいのに、私の中の悪戯心は止められなかった。


「にゃんにゃん。じゃあ、早く行こうにゃん」


 戯れてくる子猫みたいに可愛く言ってみる。


「はぁ〜ん——行くにゃ〜ん。可愛い美優たんと行くにゃ〜ん!」


 今度は頬に両手をあてがって、内股でデレるアニキさん。


 あはっ、面白ーい! 超楽しい!


「おほん。私で遊ばないでくれますか?」


 なんとか冷静になろうとしてるけど、顔は紅潮したままで言うから、可愛いくなってきちゃった。


「アニキさんも可愛いとこあるのね」


「相手が、あなただからですよ。さ、行きましょう」


 人生、何が起こるか分からないもんだなぁ。

 まさかあのヤクザのアニキとこうして一緒に居るなんて、あの時には絶対に想像も出来ないよ。


 あの……私、メイド服のままで行くんですか?


 当たり前じゃないですか。

 私の前を歩いて外に出るアニキさんの背中は、そう答えてるような気がしていた。

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