取引

「調査ってどうするつもりだよ。だって潜航したりするんだろ? 乗艦したらたちまち溺れるぞ」

「誰が生身で行くかよ。きちんと装備整えてからに決まってるだろ」

 伊藤はそう言いながら部屋の外へ出ると、外には憲兵が二名こちらをじっと見てなにも言わず、伊藤は察して無言で部屋に戻って扉を閉める。

「誰かいたのか?」

「憲兵がしっかり見張ってた」

「憲兵が?」

 自分たちが監視されていると分かった伊藤はうーん、と唸りながらまずはどうやってバレずに出られるかと考えていたが、山城は何のためらいもなく部屋の外へ出た。

「ご苦労さんです~」

 山城は憲兵たちに労いの言葉を投げかけると軽く会釈され、そのまま彼は通り過ぎていく。

「え?」

 伊藤も慌てて追いつこうとすると憲兵たちは彼の両腕を掴み、拘束する。

「なっ」

「少佐からあなたを確保するように言われているのです」

 伊藤は憲兵たちに連行されながら、一切背後を振り返らずに進む山城へ恨みの視線を送りながら近くの部屋へと押し込まれる。

 部屋は真っ暗で、僅かに目の前に椅子と机があることは分かり、その椅子へ伊藤は座らせられると部屋の明かりがつき、目を細めた。

「あなたがケイ・イトウね」

「....」

「無言だなんて、つれないわね。こんな美女が相手だというのに」

 影で見えない対面する相手は英語でそう言いながら片手を上げると光量が抑えられ、その姿が露わになると伊藤は僅かに動揺する。

「さすがに分かったようね」

「艦長と話していた....」

ja正解。覚えているなら話は早いわ。〈雪風〉について教えてちょうだい。乗組員さん?」

 ゲルマン人特有の青い瞳で伊藤を見据えながら口元には僅かに笑みをたたえて聞いてくる彼女の顔を伊藤はじっと見ながら初めて口を開く。

「聴取をするなら、先に名前を名乗るべきでは? junge Dameお嬢さん

 苦し紛れとも思える言い返しに女性士官は形式上の笑みを崩して立ち上がり、ホルスターから拳銃を抜いて伊藤の額に突き付けた。

「同盟国の軍人だからと優しく接そうかと思ったけど気が変わったわ。あの駆逐艦の情報を話しなさい」

「伊藤敬三。階級は確か一曹だったか」

 しかし伊藤は拳銃を突きつけられても臆せず、冷静に彼女の目を見て自己紹介をし、黙り込む。「次はお前の番だ」と言うかのように。

 その度胸に感服したのか、はたまた現状を鑑みない無神経さに呆れたのかゲルマン系の女性士官は堪えきれずに笑い、拳銃を収めて座り直して流暢な日本語で自己紹介をする。

「私はリタ・アルブレヒト。元ドイツ帝国艦隊所属、階級は大尉よ」

「元? 辞職でもしたんですか?」

 リタは笑みを無くした。

「ドイツ帝国は敗北したわ。あの憎き化け物どもに」

 憎悪を込め、吐き捨てるように言ったリタへどんな言葉をかけるべきか分からなかった伊藤はため息だけを零した。

「突然だったわ。私はその時連合艦隊屯所こっちに派遣されていて知らなかったの。そして傷だらけの〈ヴィダ―〉が寄港してきて、帝国海軍全滅の報せを持ってきた」

「待った。ドイツ海軍が全滅? 俺たちは何も聞いていないぞ」

「当たり前よ。公表されていないもの。その時受け入れた関係者たちには緘口令が敷かれているわ。そしてそれは貴方も同じ。喋れば終身刑は免れないわね」

 微笑を一切崩さず雑談の一環のように話すリタへ伊藤は引きつった笑みで返しながら彼女の背後に立つ二人の憲兵を見る。

 よく見ると一人は連合艦隊のバッジを付けているが制服のデザインは異なっており、決め手は襟に残された煤に汚れる鷲のワッペンが名残を醸し出していた。

 亡国となっている事実に対して伊藤は肩の力を抜き、長く細い息を吐き出しながら天井を見上げる。

 三分ほど経った頃、天井から仮面のように表情を変えないリタへ視線を向けた伊藤は先程の動揺していた様子は嘘のように余裕のある表情で彼女と同じように微笑をたたえていた。

「それで? 山城じゃなくて俺ってことは、何か頼みごとがあるという事ですか?」

「察しがいいわね。あなたの前職を見込んで頼みたいこと」

 伊藤は何かを察知し、眉をひそめながらも「続けて」と催促する。

「それは───」

 その時、扉が勢いよく開かれ、山城が入ってきた。

「あ、こんなところにいたのかよ!───誰だお前ら」

「動くな」

 すぐさま警戒色となった彼へ二人の憲兵はすかさず銃を突きつけ、部屋の中へと引き込んで今度は扉のロックを確認して前に立つ。

「伊藤お前何してんだ?」

「さっきまでこっちも振り返らずに歩いてた奴が戻ってきた方が驚きだ。それよりももう少し危機感を持ったらどうだ?」

 両手をあげながら伊藤の隣に座らされ、その間も銃口を後頭部に押し付けられていることなど気にせず山城は話しかける。

「別に? 子供の時はこれよりも危ない目にあってたからかな」

「お前どんな幼少期過ごしてたんだよ」

「はいはい注目」

 手を叩きながら呑気な会話を繰り広げる二人の注意を引き、リタは先程までの微笑が嘘のように気怠い表情を浮かべていた。

「本当はそれぞれ個別で依頼するつもりだったけれどもういいわ。ここで二人とも話してしまいましょう」

「脅迫なら屈さないぞ」

 強気な態度を取り続ける山城へ一瞥しながら彼女は鼻で笑い、言葉を続ける。

「あなたたち二人を基地周辺をうろついている〈雪風〉へ乗艦させる。接舷、さらに撤退まで我々がサポートするわ。そのうえで一つ条件があるの」

「艦内写真でも撮ってくればいいのか? それともお土産?」

「ふっ」

 思わず笑ってしまった伊藤は慌てて仏頂面に戻し、リタは呆れながらも否定して背後の憲兵に持たせていた資料を机の上に置いて差し出す。

「また紙か」

「機密保持性と口伝より正確だからよ」

 げんなりとする山城の手から資料をひったくり、伊藤は黙って精読をする。

 数行を読み、その度に僅かな反応を見せながら一枚めくり、そしてまためくりを繰り返し、読み終えた彼は再びため息をついた。

「どんな内容だ?」

「読めばわかる....かなり厄介なことになってるらしいな。おかと違って」

 整えていた髪をぐしゃぐしゃにしながら資料を机の上に放り投げ、山城はそれをひったくって目を通す。

「全海域において制海権はほぼ喪失。同時にドイツ海軍、日本海軍からの連絡船や電報などが三十六時間前から途絶える。両陣営は[海の守人]の襲撃を受けた旨の電報を最後にこちらが送信したメッセージに応じることもない事から全滅したと推測される.....」

 山城は何も言わず、ただ黙ってその記事を見続けていた。

 それからしばらくし、堪えきれなくなったリタが口を開こうとして立ち上がった瞬間、机に大きく拳を振り下ろした。

 ガン、と鈍い音と共に机は少し凹み、彼が小さなクレーターから拳を離すと赤い雫が滴り落ちていた。

「それで? どうするつもり?」

「ああ。行くよ。今すぐにでも」

「その答えを待っていたわ。それじゃあ早速ついて来てちょうだい」

 リタは微笑み、席を立つと部下の二人もそれに従い、扉を開ける。

 資料室から出ると基地内の通路には人の気配が一切消え失せ、しんと静まりかえっていた。

「どういうことだよ....」

 リタの履くヒールと四人の男たちの無骨なブーツが奏でる音が耳に響かせながら山城は驚く。

 彼の独り言は誰にも拾われず、そのまま進むとドッグに到着した。洞窟が削り開かれたドッグには数多の艦船たちが係留しており、奥に繋がっている客船のような船だけは損傷が激しかった。

「あれが...〈ヴィダー〉?」

「ええ。でも、私たちが乗るのはこれよ」

 リタが指さす先には駆逐艦が停泊していた。

「沈まねえよな?」

「そこは安心と信頼のドイツ製よ。沈みはしないわ」

「俺らが乗ってたふねは不沈の幸運艦だったからな。それを上回る安心はないな」

 減らず口を叩きながらタラップを踏んで山城は駆逐艦へ乗艦する。

「面白い男だわ。でも、すぐ死にそうね」

「向こう見ずですぐ死にかけるから、それは間違ってないですね」

 一応の敬語でリタへ話しかける伊藤は周囲に停泊している艦船や無人のドッグへ視線を落ち着かせず、その様子を見ていた彼女は背中を叩いて無理矢理乗艦させた。

「さあ、艦橋へ行きましょう」

「え? 俺達も?」

 屈強なドイツ人乗組員たちに紛れてくつろいでいた山城は驚いているとリタが笑顔で頷く。

「どうしても?」

 コクリと頷かれる。

 それでもまだ動かない彼を見かねた彼女は側近へ連行するよう命じようとした瞬間、伊藤が近づいて彼の首根っこを掴んだ。

「ほら行くぞ。タダで乗せてもらって〈ゆきかぜ〉の調査もさせてもらうんだ。それぐらいは働け」

「わーったわーった。───真面目かよ」

 渋々二人は狭い通路を進み、背後のリタから言われた階段を上がったりして艦橋に到着すると目を疑った。

「誰もいないぞ?」

「ああ。──俺たちにこれを見せたかったんですか?」

 振り返るとハッチに寄りかかりながら二人の鼻を明かしたと言わんばかりに得意げな表情を浮かべながらリタは無言で笑みを浮かべ続けていた。

 しばらくしてリタは満足したのかハッチから離れ脇に挟んでいた帽子を被って艦橋の真ん中で仁王立ちになる。

 その様子を見た二人は何かを察知して各々の定位置に就くと、彼女は帽子のを持ちながら流暢なドイツ語で高らかに宣言をする。

「Meine Herren, lasst uns die Segel setzen.」

「なんだって?」

 が作り出した折角の雰囲気をドイツ語の分からない山城の気の抜けた言葉がぶち壊し、それと共に駆逐艦のエンジンが駆動し、船体を震わせながら洞穴の港から出航した。

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