嫌疑と猶予
暗く、冷たい場所だった。だが、それでも───
暗闇へ落ちながらも私は遥か頭上の光へ届かないと分かっていながら手を伸ばし、それに呼応するように光から私のもとへ手が伸びてきて掴み引き上げてきた。
ああ、お前は────
「うっ....ここは?」
石川は混乱する記憶と動けない体を自覚し、唯一今動かせる眼球を駆使して周りを見る。
暗闇。どこを見ても光など存在しない深淵。
「死んだ、か?」
嘲笑を浮かべ、ここは地獄なのかと問いかけるも答える獄卒は存在しない。
しばらく何もせず、ただ無心のまま過ごしていると段々と自分の身に何が起こったのかを思い出し始める。
〈ハイランド〉に突如襲来した[海の守人]、そして防衛戦をしていると上空から爆撃機が飛んできて自分が乗艦する〈ゆきかぜ〉へ────
「そうだ....〈ゆきかぜ〉は? 隆弘二曹らは無事なのか?」
まるで授業中に居眠りをしてしまい、名を呼ばれて慌てて立ち上がるように石川は
(おそらく密閉できる場所。材質は鋼鉄製で大きさは成人男性一名で満杯)
「どこなんだここは?」
形がわかっても結局は付属品としてなのか単体で存在しているのかが分からず意味のない時間を費やしているとゆったりとした衝撃が走る。
「この揺れ方...」
立体的な揺れが続き、その揺れ方は石川にとって最も馴染みのあるものだと感じる。
海面を進む小型艦──駆逐艦の揺れ方だった。
「もしそうなら.....おい! 誰かいないかっ!?」
出した声は狭いそこに留まるように反響していき消える。
声が届かないのなら音を出すまでと体を捻って壁らしき平面に打ち付ける。
「はあ....」
反響音のみで
諦めないでっ!
「.....ん?」
目を閉じようとし、脳内に直接響く聞き慣れた声に石川は目を再度開く。
景色は暗闇のままなんの変わりようもなかったが、どこか遠くから先程とは違う声が聞こえてくる。
《───だ! きっと─────だ!》
最初は幻覚だと疑ったが声は段々近づき、現実だと理解して体を平面に打ち付け自分がここにいると主張する。
「ここだ! 待っていてください!」
しっかりとした声が励ましながら遅れて鉄の軋む音が聞こえ、やがて眩しい光が石川の目を貫いた。
「そろそろ出るか」
「お? やっとか」
喫煙室で謎の女性士官が去ってからしばらくして伊藤は咥えていただけの煙草を灰皿へ押しつけて立ち上がると山城も同じように捨てて外へ出ると、慌ただしい様子でこちらへ走ってくる海兵隊とすれ違う。
「うおっ」
「邪魔だ!」
肩がぶつかりよろめいた山城へ一人が罵声を浴びせながら去っていき、何事かと驚いた。
「大丈夫か?」
「ああ。だが、どうして海兵隊が?」
よろめいた山城を背後から支えて心配してきた伊藤へ山城は礼を言いながら立ち、海兵隊が消えていった行先を一瞥し、背中を向け病室へ再度入る。
「ガルシア艦長何を言われたんです?」
「......すまない。今日は帰ってくれないか」
「え?」
病室へ戻るとガルシア艦長は入ってきた二人へ目線を向けず壁を見ながら小さな声でつぶやき、聞き取れなかった山城は聞き返した。
「すまない。引き取ってくれ」
「.....分かりました」
その無力感漂う物言いで察した伊藤は聞こうとする山城を制し無言で姿勢を正して敬礼し、退出する。
「.....ありえないんだ。こんなことは」
病室で一人ガルシアは拳を握り締め、吐き捨てるように言いながら口元から血が落ちていった。
「あ~結局なんだったんだよ....ガルシア艦長は急に無口になるし施設内の奴らも慌ただしいし意味わからん」
「俺たちがここに配属されて日も浅いんだ。多分だが今日は演習だったんだよ」
「でもよ演習なら俺たちも参加しなくちゃいけなくねえか?」
「そこが分からないんだ。てか、考える気ないだろお前」
「あ、バレた?」
先程まではカップが二つしかなかったテーブルにはいつの間にか皿が一つ追加されており、そこには薄く焼かれたクレープのようなものが重ねられていた。
「美味え!」
「俺にもくれよ」
美味しそうに食べる山城に我慢ができなくなった伊藤は分けてくれるよう頼んだが頑として分けない山城に段々と苛立ちを覚えついに立ち上がる。
「どうせ一枚だけだろ!? くれよ!」
「嫌だねっ!」
「ならあんたも注文すればいいじゃない」
「あ?」「え?」
幼稚な争いを諌める声は入り口からため息と共に二人の耳に届き、その方向を見ると馴染みのある人物が書類を片手に立っていた。
「よっ絢加里」
「よっ、じゃないわよ。それよりこんな所にいると怒られるわよ」
「どう言うことだ?」
どういう意味か分からない二人は首を傾げ、絢加里は本当に事態を理解できていない二人へため息を吐き、手に持っていた書類を置きながら紅茶を頼む。
机に置かれた書類を山城は手に取り、ざっと目を通してから伊藤に無表情で手渡し、伊藤も受け取ってから読み始める。
「なになに?.....現在、本基地の周辺海域に不審船が現れ、航行中....ただの警戒報だろ」
「本命は続きよ。早く読んで」
「まあそう
早く読むよう勧める絢加里に伊藤は余裕の持った口調で答え、再開する。
「本書類を作成するまで不審船からの攻撃、威力偵察などは行われず目下は監視のみと思われる。しかし、本不審船は度々目視が出来ずさらにレーダーからも消えることから[海の守人]であることが疑われる.......おい、どういうことだ?」
書類を八割まで読み上げ、残りを読む前に無表情で紅茶を飲む絢加里を睨みつける。
睨まれている絢加里は飲み干してからあの女性士官のように冷ややかな目で伊藤を見返し、冷めきった声で残りを暗唱した。
「さらに、不審船を見た士官と艦影から駆逐艦〈雪風〉と断定。よって行方不明とされていた石川和佐中将は死亡とする.....そのままよ」
「っ!......何とも思わないのか?」
書類を歪ませながら怒気を孕んだ声で伊藤は問いかける。
「なんとも思わないわ。それが戦争でしょ?」
「お前!」
再び立ち上がり、絢加里に掴みかかろうとする伊藤の腕を山城が掴む。
「なんで止める!」
「女子に手は出しちゃいけない」
山城は首を横に振りながら伊藤の腕を降ろさせ、その直後に絢加里の頬を打つ。
パチン、と言う大きな音が鳴り伊藤は呆気にとられ、絢加里はにじみ出る血を拭いながら山城を見る。
「女子に手を出しちゃいけないんじゃないの?」
「
「最低ね」
嘲笑、と言うよりは面白そうな笑みを浮かべながら絢加里はもう一枚の書類を机に置いて去って行き、その間際にこちらを見ずに話しかけてきた。
「ああ忘れてた。〈サラトガ〉の乗組員たちは全員例外なく宿舎に待機するようにって通達が来てるわよ」
「えっ」
「.....はあぁ!?」
「最後の最後にしてやられたな」
「うん。へほ、はひひふはひいひょは(うん。でも、アイツらしいよな)」
「口いっぱいに頬張りながら話すな」
宿舎に戻りベッドで寝ている伊藤は満載の皿を二つ机に置いてそれを食べている山城に突っ込みながら起き上がり、棚に挟んでいた古びた日記帳を開いて読んでいることに気付くと山城は手を止めて覗き込む。
「なんだそれ」
「これか?”遺産”だよ」
開かれた一面にはびっしりと英語が書き記されており、勝手にページをめくって山城はあっと声を上げた。
「〈ゆきかぜ〉?」
「ああ。前任者の書いたやつだ」
それは伊藤が着任して間もない頃、ヘトヘトになりながら自身の部屋に入ると机の上に手帳と共にメモが添えられており英語で『健闘を祈る』と書いてあった。日記帳の中身は〈ゆきかぜ〉の詳しい操舵方法やクセが詳述されており、たった数日間だが役に立った。
「そんなん今更読んでて楽しいか?」
「意外と面白いんだぞ? まあ、お前は砲撃担当だから意味が分からないだろうけど」
伊藤の言葉にカチンときた山城はその手から手帳をひったくった。
「おい、返してくれよ」と憤慨する伊藤を無視して山城は黙々と読み続け、伊藤も諦めて皿に残っていたカヌレを齧りながら読破するのを待つ。
無表情のまましばらく読んでいた山城はあるページで手を止め、凝視する。
「なんだ? 気になる場所でもあったか?」
「いや、ここ行ったことあるなって思って.....」
それは備考として追加されていた機関室の間取りと万が一に備えた点火方法をまとめたページで、山城は内部写真の場所を指差して話した。
「お前そもそもここ行ったことないだろ。勘違いじゃないか?」
「うーん.....そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない.....」
歯切れの悪い物言いに伊藤は辟易とした様子の表情で手帳を取り返す。
読むのを再開しながらも視界の片隅で曇った表情のまま挙動がうるさい山城のせいで捗らず、吠えながら立ち上がって日記帳をベッドの上に叩きつける。
突然の凶行に驚いて食べていたカヌレを落としながら見上げる山城を捕捉した伊藤は彼の首根っこを掴んで部屋を出ようとして山城は慌てて扉を掴んで抵抗すると立ち止まり手を放す。
「お前急に何すんだよ!?」
「気になって仕方ないんだろ?」
「? ああ。まあそうだけど.....」
変わらず歯切れの悪い答え方しかしない山城の口を伊藤は掴み、しっかりと目を見据えて口を開く。
「なら確かめに行くぞ」
「え?」
意味が理解できない山城は素っ頓狂な声を上げ、伊藤はもっとかみ砕いた言葉で伝えた。
「だーかーら! 行くんだよ。〈ゆきかぜ〉へ」
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