視界不良
リタ艦長が指示する駆逐艦は霧が濃く漂う暗い海を静かに白波の航跡を残しながら前へ、前へと海路を進んでいく。
「〈雪風〉と見られる艦影なし....現在は潜航状態と予想」
「よく探して。こんな濃霧じゃ見つかりづらいだろうけどね」
双眼鏡で艦外を偵察し続けながら感想を述べる山城へリタは叱咤と励ましを同時に送る傍ら、彼女は自身の右腕に巻いている時計へ視線を落とし、艦外へと目を向ける。
「夜が明ければ霧が晴れるはず。そうすれば索敵も楽になるわ」
「了解」
その直後、艦に衝撃が走り、三人はバランスを崩した。
「なんだ!?」
艦橋内に緊張感が漂う中、中年ほどのドイツ人の乗組員が駆け込み、ドイツ語で状況をリタに捲し立てる。
彼女は話を聞いているうちにみるみる顔を強張らせ、乗組員を返してから神妙な面持ちで二人へ何が起こったかを話す。
「どうやら榴弾らしきものが飛来してきたらしいわ。幸い狙いは大きく外れた。でも、大事なのはそれと同時に行われた攻撃」
「どんな攻撃をされた?」
「まさか魚雷?」
山城の予想にリタは頷いた。
「ええ。右舷に信管の抜かれた魚雷が激突したらしいわ。もし爆発していれば撃沈していたわね」
「近づくな、と?」
無言で彼女は再び頷く。
「そもそも駆逐艦が潜航状態とかふざけてるのか?」
「それを言ったらお終いだろ」
やり場のない怒りを言葉にして罵る山城を伊藤は宥めながら舵を握る手は緩めず、艦内から見える濃霧に目を凝らし続ける。
「やっぱりいないな」
「こんな濃霧だぞ。あっちも当てずっぽうに撃って偶然当たったんだろ」
山城の砲術長らしからぬ発言にリタと伊藤は苦笑し、彼女は伝声管を手に取ってドイツ語で何かを話すと艦内にジリリとベルが鳴り響く。
不可視の敵からの初撃以降、接触は無かったが第二撃の可能性も捨てきれない駆逐艦内は緊張感を漂わせながら航行を続ける。
「ふう....」
「第二種警戒態勢は維持だ。気は抜きすぎるなよ?」
砲雷長の山城はその場に座りながら伸びをしていると伊藤が声だけをかける。
「わーってるよ。だが、こんな濃霧じゃ正確な距離も測定できないし、ドイツ人砲手にどうやって命令すればいいのか分からないんだよ」
「ただ一言
「砲雷長いらずの艦だな」
山城は苦笑交じりにリタの助言に感謝を示しながら目の前の伝声管とトリガーを軽く叩きながら何気なく舷窓へ視線をずらすと、息を呑んだ。
「おい....」
「なんだ?」
席を立って舵輪を持つ伊藤の肩を強く叩く山城へ呆れながら彼の指差す先を見ると山城と同じく息を呑んで舵輪から手を放してしまった。
「前を向いて頂戴。この海域は決められた航路じゃないと危ないのよ?」
「いや、それよりも左舷に....」
リタも左舷に何があるのかと興味がそそられ、舷窓から外を覗き見る。
艦外は相変わらず濃霧に覆われ、一マイル先も見えない世界の中でそれは存在していた。
山城たち駆逐艦と並走するそれは異彩を放つ
「いつの間に!? それより第一種戦闘配備!」
赤色灯が灯り、ジリリと警報を鳴らしながら駆逐艦内は慌ただしい足音とドイツ語の艦内放送が入り乱れる。
「早く反撃の準備を! 主砲と魚雷の狙い定め!」
「主砲、左九十度! 同じく魚雷左九十度!」
山城はリタの命令通り伝声管に怒鳴りつけると即座にドイツ語の捲し立てる声が聞こえ、彼女の方へと向き直る。
「ああ、分かったわ」
彼の言いたいことを察した彼女は手元の伝声管へドイツ語で怒鳴ると主砲と魚雷は並走する敵艦へと狙いが向き、微調整の後に伝声管から準備完了と思われる発言が聞こえた。
「主砲、魚雷共に準備良し!」
「知っているわ! さっき教えた言葉を!」
「Feuer!!」
伝声管を鷲掴んで怒鳴ると同時に主砲は吠え、魚雷発射管から放たれた魚雷たちは三つの軌跡を描きながら敵駆逐艦へと真っ直ぐ進んでいく。
主砲は目標の艦橋部の少し前方を通過して濃霧へと飲み込まれ、魚雷たちは迷わず駆逐艦の右舷部に命中し水柱を上げた。
「命中!」
「よしっ!」
「Guck !!」
命中したことに三人は束の間の喜びを表したが、すぐに霧散した水柱はそんな三人の喜びすらもかき消す。
「嘘だろ...」
敵駆逐艦は無傷だった。命中したはずの右舷部は濃霧越しでもかすり傷一つ無く、絶望している中、目標は行動を起こした。
「敵駆逐艦、主砲旋回!」
「回避運動! 煙幕散布!」
「こんな濃霧の中じゃ意味はない! 教本通りじゃダメよ。取り舵いっぱい!」
「取り舵いっぱい!──って嘘だろ!?」
伊藤はリタの命令を復唱させながら再び鳴り響く警報の中舵輪を左旋回させ、艦首を敵駆逐艦へと向けて航行する。
「このまま両舷最大戦速!」
「なんでアイツとやり方そのまんまなんだよ!」
彼女の命令を素直に聞きながら伊藤はかつての艦長と同じ戦法に懐かしさを覚えながら反抗の言葉を口にした。
「続けて主砲再装填! 射撃合図は任意!」
「了解!」
黒影へ突撃をしながらリタは山城へ射撃権限を預け、同時に彼女は伝声管へ何かを命令していた。
目標駆逐艦との距離が縮まり、百メートル目前となった時に山城は怒鳴る。
「Feuer!!」
轟音と火炎を吐き出した主砲は艦橋から視界を一瞬だけ遮り、晴れた時には目の前にいたはずの駆逐艦は姿をくらましていた。
「目標視認せず。再び潜航と思われる!」
「クソ!」
リタは壁を力任せに叩きつけ、ガンと鈍い音だけを艦橋内に響かせ、乗組員たちからの”周囲に敵影見えず”の報告を聞くと空いていた席にドスンと座り込んだ。
警戒態勢は解かず、山城らが乗艦する駆逐艦〈Z23〉は左へ大旋回した航路を右へと修正し、本来の海路へと舵を切って再び航行する。
所属不明艦との戦闘を半ば一方的に制し、艦内に沈黙を抱えながら進んでいると、艦橋内にジリリとベルの音が鳴り響く。
「なんだ?」
山城は双眼鏡をおろし、音のした方へ視線を向けるとリタがポケットからタイマーを取り出し、止めた。
「ただのタイマーよ。霧が晴れる頃合いに鳴るように設定していたの」
彼女はそう言うと前を向いて黙り込み、山城も再び先の見えない双眼鏡で索敵をしていると濃霧の中から鋼鉄の黒と錆の赤、艦底の朱色が目に入った。
「おお」
思わず双眼鏡をおろして肉眼で艦外を見ると、霧が段々と晴れていき、これまでの航路と基地が先日の一回を除いて襲撃を受けなかった理由が判明する。
そこには戦艦が一隻通れるか怪しいほど狭い海路が広がっていた。
「まるで...」
「墓場だな」
そしてその海域を占める物体たちは船籍、艦種さまざまな残骸たちだった。
「これらは?」
「この基地を守るために、またある
二人が入港した際にはまるで無かった死骸の山は朝焼けを浴びながらも暗く、怨嗟の声が聞こえそうなほど不気味でもあったが、静かに〈Z23〉を見守る残骸もあった。
そしてその海路の果てにある大海原へと通ずる出口に見慣れた艦が立ち塞がっている。
「あれは....」
「〈ゆきかぜ〉だ」
一体どこから現れたのか〈ゆきかぜ〉は〈Z23〉の航路を塞ぐように浮かんでおり、その右舷にある三つの魚雷で穿ち抜かれた跡は先程の戦闘が夢幻の類ではないことを示していた。
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