艦長の苦労

 三人が交渉を終え艦長室を出た直後、入れ替わるように雪風が石川のもとに現れる。

「私も飛びたいな?」

「雪風はまだ小さいから飛べないぞ。これで勘弁してくれ」

 そう言ってねだる雪風を石川は抱き上げると彼女は笑い、その笑顔を見て石川もなごんだ。

「和佐は辛くない?」

「んん?」

 雪風を膝元に座らせ、両頬を撫でていると質問されしばらく考えてから石川は答える。

「確かに辛い。だがそんな甘ったれた事を言ってもなんの意味もならない」

「そう───そうだよね」

肩を落とし、残念そうにする雪風を見て石川はしまったと思い、慌てて「だが、雪風とこうやって一緒にいられるのが救いだな」と付け足すと雪風は「えへへ」と喜びと照れから顔をより一層ほころばせた。

 そんな時に、電話がけたたましく鳴る。

「こちら〈ゆきかぜ〉艦長石川和佐。───了解しました」

「どうしたの?」

 電話を受けた石川の表情は機械的な返答とは裏腹にげんなりとしており、雪風が心配そうに首を傾げた。

「雑務だ。また後で戻る」

「あっ、待って!」

 艦長室の上等そうな椅子に雪風を座らせて頭を軽く撫でた石川は彼女の呼びかける声に背を向け、バタンと扉を閉めて駆け下りる。

「艦長! もし良ければ徹甲弾の補給を頼んでおいてください!」

「艦長、今日の献立が思いつきません!」

「そこ濡れてるので気をつけてください艦長!」

「指摘があと少し遅かったら減給だったぞ清掃員。あと炊事長! その程度自分でやっておけ! それに砲兵! 残弾管理も貴官らの務めだろ!?」

 船務員たちは駆け抜ける石川へ大声で依頼し、石川はそれらを軽くあしらいながら甲板に出ると既に〈ロンドン〉の艦長であるエメリッヒ・ローガン大佐と数名の士官が丁度乗船してきており、敬礼をして登ってくるのを待った。

「ああ堅苦しい挨拶はやめよう。同盟国同士でもあり、なにより友人なのだからな」

「感謝します。大佐」

 片手で制し、その手を差し出したローガン大佐と握手を交わしながら石川は〈ゆきかぜ〉の接待室へ案内する。

 その道中で士官たちがヒソヒソと艦内設備や乗組員たちについて話しているのを聞きながら石川は内心毒づいていた。

(どうせロクなことを話しているわけないと分かっているが分かっていてもあまり気持ちの良いものではないな)

「こちらです」

 扉を開き、中へ入るよう促して収容を見届けてから自身が最後に入室して席に着く。

 しばらくすると人数分の茶と菓子を持った女性士官が入ってきて、それぞれの前に置いてこちらにお辞儀をして退室した。

「それでどんな御用でしょうか大佐」

「なに、そんな大層な事ではない。昨晩、救助に来てくださったことに感謝を申し上げる。それと本国や連合からの増援の到着には今少しかかる、とのことだ」

「つまり?」

 石川は英国人特有の回りくどい物言いに慣れたつもりだったがどうにも慣れていなかったらしく、苛立ちを覚えたがそれを出さぬよう努めて聞き返す。

「803艦隊には〈ハイランド〉の護衛任務に引き続き就いてもらうのを依頼する。現在、我々は対抗できる戦力を保有していない。頼む」

 そう言って頭を下げるローガンに続いて士官たちも頭を下げ、石川は驚き思わずむせてしまう。

「ごほっ、我々〈ゆきかぜ〉も損害を受けていますので修繕を条件にしていただければ構いません」

「ありがとうカズサ」

 頭を上げたローガンの表情は心底嬉しそうで、その笑顔を見て石川は、やっぱり彼は交渉が上手だと思いながら握手を交わした。

「それでは、これからも頼むぞ。我らが女王に栄光を」

「ええ。女王陛下に栄光を」

 応接室から去る直前、互いに挨拶を交わして石川一人が残されて残った茶を啜っていると〈プリンスオブウェールズ〉でゲイルを目撃した事を伝えるのを忘れていたと思い出してると外から汽笛が聞こえてきて席を立つ。

 後部甲板に出ると〈ロンドン〉がちょうどエンジンを始動させたらしく、静かに〈ゆきかぜ〉から離れて行き、別れの意味で汽笛を鳴らしたのだった。

「ふう……」

 去っていく〈ロンドン〉を見送り、石川は後部甲板で一人海を眺めながら煙草を取り出し一服をしていると背後に気配を感じる。

「なんの用だ機関長」

「特に用は無い。それより俺にもくれよ」

 機関長の願いに石川は無言で一本渡し、ライターも灯す。

「ふー、久しぶりに吸うのは美味いな」

「灰は落とすなよ。海は汚しちゃいけないからな」

 もちろん、と機関長は笑いながら灰を胸ポケットに入っていた空箱に落としてまた吸い始める。

 無言で互いに煙草を吸い、半分以上吸ってから機関長は咥えていたのを手に取って口を開く。

「和佐、俺たちは勝てると思うか?」

「勝てるさ。いや、勝たないといけないんだ」

 質問に対して石川は決意に似た口調で呟き、煙草がミシミシと音をたてるほど無意識に力が入っていると、機関長は彼の肩を叩いた。肩を叩かれはっとした石川に機関長は笑いかけ、もう一度肩を叩く。

「気楽に行け。お前は未来があるんだ」

「分かってるさ。井上さん」

 井上機関長は頷き、煙草を吸い切るまで無言のままだった。

 そして煙草を吸いながら石川はふと、上を見上げるとシーファイアとBTMモーラー改の編隊が空を飛んでいるのを見つけた。

「あれは…そうか。彼らか」

「大丈夫か? シーファイアに乗れなくて怒ってるんじゃないか?」

「シーファイアは単座式だ。それを知らなかった彼らが悪い」

「意地悪だな」

 井上が苦笑しながら最後に深く吸って空箱へタバコを詰めると、石川も同じように携帯灰皿へタバコを押し込んで艦内へ戻る。

「石川」

 扉を開き、入ろうとして背後から井上が声をかけた。

「みんな望んじゃいないんだ。お前が早く死ぬなんて」

「この上ないほど悪運の強い若造だぞ? 安心してくれ」

 背中で井上の安堵した雰囲気を感じながら今度こそ石川は艦内へと戻り、後部甲板には風と海鳥だけがいた。

 艦内に戻ると一部始終を見ていた清掃員から甲板上で喫煙をするのはダメだと叱られ、それから数十分間煙草の灰は海にも自身にも悪いという説教を受け、疲労の色を少し出しながら艦長室に戻ると先客がいた。

「艦長お疲れ」

「その呼び方は本当に疲れる。──あの頃が懐かしいよ」

「昔の方が良かったって言う人は老人と現状に不満がある人だけらしいですよ」

「言うじゃないか。佐藤」

 佐藤と呼ばれた若い男は苦笑し、上等そうな椅子を立って向かいにある鉄製の椅子に座り直し、空席となった椅子を指で示す。指で示された椅子に石川は座り、艦長帽を机の上に置いた。

「今日はずいぶんと出てくるじゃないか。暇なのか?」

「僕以外とも会ったの? 誰がいた?」

「井上さんとお前、あと間宮さんや木下とも会った」

 へぇ、と感心しながら両足を組みなおし、ソワソワと手元を心もとなくさせていると無言で石川はコーヒーを注いだマグカップを机の上に二つ置く。礼を述べてから佐藤はコーヒーを一口すすった。

「うんうん。やっぱり美味しいね」

大分だいぶ変わったんじゃないか?」

 石川の質問に佐藤は頷きながらまたコーヒーをすする。

「そう言えば、どうしてまた急に? 何かあるのか?」

「ああ、別に? ただ今日明日はよく出てくると思うよ」

 そうか、と意味が理解できずに石川はそのモヤモヤとした気持ちをコーヒーに混ぜ合わせて飲み込む。それから互いに近況を話し合っていると昨晩の〈プリンスオブウェールズ〉戦について佐藤が口を出す。

「和佐、昨日の戦闘はお前らしくなかったと思う」

「ほう? では、どこが私らしくなかったと言うんだ?」

 ピクリと眉を動かし、コーヒーを机に置いて身を乗り出した。佐藤は少し乗り気になった石川へ思った違和感を口にする。

「まず副砲に花火を装填した所。頭おかしいんじゃないの? それに反転して四隻を相手にしたこと。そもそも〈ロンドン〉や米国艦隊がいたんだし総叩きにすれば損害を受けなかったんじゃない?」

「副砲については認める。だが、あそこで反転した理由は数が見通せなかったからこそ強行偵察も兼ねて、だ」

「それで死ぬなんてことがあったら身も蓋もないんじゃないかな!?」

「おお、言うじゃないか! ならお前が指揮を執るか!?」

 石川はその言葉を言った直後にはっとした顔になる。白熱した二人の間に一瞬で氷河が入っていくのを感じた。

「すまない。言い過ぎた」

「うん。僕も言い過ぎた。ごめん」

 しばらく沈黙が流れ、気まずくなっていると佐藤は残ったコーヒーを一気に飲んで立ち上がる。

「それじゃあ、またね」

「ああ」

 少し暗い顔をしながらバタンと厚い扉が閉まる音を聞きながら石川は机の上でまだ湯気が上がっている二つのマグカップを見ながら、机の引き出しから一枚の写真を取り出す。

 それは四隅が黒く焦げ、黄色く変色した写真だった。

 その集合写真の中に映る何人かの顔を指でなぞりながら顔をほころばせる。

「あの頃に戻りたい、か。それは確かに冒涜だな」

 写真をもう一度引き出しに戻し、石川は残ったコーヒーを飲んでいると雪風が部屋に入ってくる。入ってきた彼女の顔は小さく膨れ、不機嫌そうにも見えた。

「どうした雪風?」

「遅いよお。和佐いっつも構ってくれないんだし、こういう時ぐらい独り占めさせてよ」

 雪風のわがままに石川は驚いた顔をし、すぐに笑顔となって彼女の頭を撫でながら電話機を取ってどこかに連絡を入れる。

「私だ。今から明日の朝まで仕事は入れないでくれ。すまない。────ああ、休みが欲しくてな。ありがとう」

 連絡をしながら雪風の方を見ると彼女はみるみる顔を明るくして彼の膝元に飛び込んだ。

「だーいすき!」

「まだまだ幼いな。雪風は」

 電話機を置いてから雪風の頭を撫でていると彼女は石川を強く抱きしめる。

「こらこら、そんな強く抱きしめられたら死んじゃうぞ」

「えへへ」

 そんなに痛くないが苦しそうな表情を作りながら言うと雪風は笑ってさらにギューッとした瞬間、ミシミシと骨が悲鳴を上げ思わず石川は顔をしかめて唸り声をあげてしまう。

「ぐっ....」

「あっ....!」

 すぐに異変に気付いた雪風は手を放して、石川から離れる。その顔には恐怖と不安の入り混じった感情が浮かんでいた。

「和佐.....大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ......鉄片が刺さった時に比べればこの程度、軽いものだ」

 その言葉に安心しつつも未だ暗い雪風に石川は声をかけようとする。

「ゆき────」

 その時、艦内に警報が鳴り響いた。

 ジリリリと音をまき散らしながらさらに〈ハイランド〉内部で生きていたサイレンも同時に吠えた。ウウウと空襲警報を鳴らし、同時に停泊していた船も一斉に動き始める。

「何事だ!」

 急いで艦橋に駆け込むと予備員たちが配置についており状況報告を始める。

「方位170より爆撃機多数! さらに空母艦隊も接近中!」

「やむを得ない。本艦と〈大和〉は前進し、生存者捜索を行っている英国海軍たちが〈ハイランド〉からの撤退する時間稼ぎをする! 〈ノースカロライナ〉、〈ニュージャージー〉ら米国艦隊はここを頼む!」

《了解した。だが無理はするなよ日本兵》

 エンジン始動の振動を受けながら〈ゆきかぜ〉は進み始め、太陽を背にして迫ってくる[海の守人]たちを迎撃すべく舵を切った。

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