傷跡

「駄目です! 浸水抑えられません!」

「クソ.....現時刻を持って本艦を放棄 !迅速に避難しろ!」

 昨夜の出来事から半日も経たずに復興作業に取り掛かり始めた〈ハイランド〉付近では[海の守人]からの猛攻を退け、生き残った艦の一隻が今沈もうとしていた。

「せめてドッグとタグボートさえ生き残ってればな.....」

「今生きてることが大戦果さ」

 晴れ渡る海へ静かに沈みゆく〈ウィルトン〉を〈ロンドン〉から見送りながらかつての乗員たちは敬礼をし、瓦礫の山と化した〈ハイランド〉の地を踏む。

「改めて見ると凄まじいな.....」

「まずは要救助者の確認だ。急げ!」

 下船して息をつく間もなく散開し、瓦礫の隙間などから見える手足を揺さぶったり脈を確認する作業を始める英国東インド艦隊の乗組員たちを護るように周囲を803艦隊、米国海軍三隻が巡航していた。

「俺たちは参加しないのか」

「そもそも戦える艦が少ないんだ。それに、生きている可能性が絶望的なのはお互い分かってるだろう?」

 大破した装甲の修繕を受けている〈ゆきかぜ〉の甲板上で昨晩よりは煙の量が落ち着いた〈ハイランド〉を見ながら伊藤と山城は自身の乗艦するふねを改めて見上げる。

 すすで黒くなった艦橋とマストや煙突、熱で変形しかけている主砲先端部、直撃を受けながらも誘爆せずに沈黙したままの魚雷発射管たち。

 改めていかに〈ゆきかぜ〉が幸運を持つふねかと思い知らされ、余韻に浸っていると山城が奇妙な話を持ち掛けてきた。

「そういえば、左舷部に直撃を喰らっただろ?」

「ああ。奇跡的に死者はゼロだったやつか」

「それがな、奇跡じゃあないらしい」

「なに?」

 山城の話に興味をそそられた伊藤は前かがみになって耳を傾けてくる。

「そこにいた乗組員の証言だと自分の妹が来て急に袖を引っ張ってそこから離れさせたらしい。だが、他の奴は両親が現れただとか嫁が来たとか意見がまるで合わないんだ」

「どういうことだ? じゃあ幽霊にでも命を救われたってことか」

 馬鹿野郎、と山城は伊藤の頭を叩く。「生きてるよ。全員」と付け加えて。

「つまり〈ゆきかぜ〉にはここにいる乗組員全員の家族も乗船してるってことか」

「なんの話をしてるの?」

 男同士の話に入り込むように口を開いたその人物に山城は辟易とした様子でも、一応は敬礼をする。

「なんでもございません。井口准尉殿」

「いい加減三人でいる時ぐらいその敬語やめてくれない? 堅苦しいから」

「だってよ。孝弘」

 同じようにため息をつきながらうんざりした様子で愚痴を零す井口絢加里に同意するように伊藤も乗っかり、二対一で山城は渋々頷いた。

「それで? 〈ゆきかぜ〉に幽霊が出るって本当?」

「しっかり聞いてるじゃねえか。まあ、俺も人づてに聞いたから本当かは知らない。気になるならそん時丁度そこを走っていた補給兵の一人に聞いとけ」

 若干ぞんざいに答えた山城に絢加里は不満そうに睨みつけるも本人はいたって気にもしていない様子で修繕作業を続ける〈ヴェスタル〉の乗組員と〈ゆきかぜ〉の工作員を見る。

「そういえば、昨晩の艦長変だったよな」

艦長アイツはいつも変わり者だよ」

 山城が思い出したように聞くと今度は伊藤が心底嫌そうな顔で答え、絢加里がそれを注意すると口上だけ謝罪を口にした。

「どんな感じで変だったの?」

「いや、急に立ち上がったんだよ。〈プリンスオブウェールズ〉と戦闘中になんか猫の声が聞こえた、とか言って」

「猫の声、だあ?」

 山城の説明に伊藤は怪訝そうな顔で復唱し、笑い出す。

「あの変人艦長ついに幻聴まで聞こえるとか引退時だろ、ははは!」

「まだまだ現役だぞ。それとも貴官が私の後任を務めてくれるのか? 船務長」

 青ざめる伊藤と二人を主砲の上から見下ろすように立つ石川はいつもと変わらず軍服をキッチリと第一ボタンまでとめてその新品のような服と違い古臭い艦長帽を被り、その帽子の下から本来見えるはずの目は隠されており、その表情を窺い知ることは出来なかった。

「艦長いつからそこに?」

「山城二曹が〈ゆきかぜ〉で幽霊を見かけるという所からだ」

 そう言いながら山城たちの前に降り、艦長帽を脱ぐ。

 きちんと整えられた髪と僅かに香るシトラスが第一印象となり、その後に自分を見透かしているように澄んだ日本人特有の黒い両眼が伊藤を見た。

 その両眼に吸い込まれるように見ていた伊藤へ石川は口角を僅かに上げた。

「貴官らは初めて見るのだったな。だが、上官の顔をそこまで見ることもないと思うがな」

「はっ! 申し訳ありません」

 話しかけられてから初めて伊藤は我に返って反射的に謝罪するとさらに表情が柔らかくなる。

「あの、差支さしつかえがなければその傷について話していただけないでしょうか?」

「この傷か? 話すほどのことでもない」

 頬に走る傷をなでながら石川は話すことを拒み、艦長帽を再び深く被ると先程までの面影などなかったようにいつもの堅い顔で〈ゆきかぜ〉の艦内へ戻る扉を開き、消える間際で思い出したように三人を見て「先程の発言は不問にしておく」と言い残して扉を閉じた。

 残された三人は顔を見合わせ、同時にふーっと息をついた。

「本当に神出鬼没だな」

「初めてしっかりと顔見た気がする」

「危なかった....」

 感心した様子の山城や絢加里と違って伊藤は自身の失言を不問にされたことに安心し、胸をなでおろしていると二人に笑われた。

「それにしても、三人でこの〈ゆきかぜ〉に配属されるとは思わなかったよ。てっきり〈大和〉とかかと思ってた」

「それはこっちの台詞セリフ。孝弘とか伊藤こそ戦艦好きだから意外」

 絢加里は本心からだと言わんばかりに伝えると山城や伊藤は少し気恥ずかしさからポリポリときながら視線を海に移す。

 彼方かなたまで見通せそうなぐらいに広がる太平洋は見つめる二人を誘うように海面をきらめかせ、それに呼応するかのように魚が飛び跳ねる。

「俺たちはこの海と世界を守るために戦ってるんだよな?」

「ああ。だからこそ[海の守人]を倒してんだろ」

 山城の確認するような言葉に伊藤は当たり前だと言わんばかりに肯定し、主砲の側面部に身体を預けていると絢加里は素朴な疑問にたどり着いた。

「でも、なんで[海の守人]って呼んでるのかしら。もし荒らしているなら[海の亡霊」とか不吉な感じにすればいいのに」

 その疑問に二人は閉口し、絶える。

 しばらくすると頭上で鳴く海鳥に気付き、上を見ると丁度飛び立ったらしく中程の影が三人をかすめていく。

「俺、昔は船乗りじゃなくて飛行機乗りになりたかったんだ」

 山城は鳥に手を透かすようにしながら自身の昔話をし始める。

「子供のころは高く飛ぶ鳥とか、たこを見て憧れを抱いて絶対に将来は飛行機乗りになろうって決めてたんだよ」

「それがなんで船乗りになったんだよ」

 伊藤の茶化すような質問に苦笑しながら袖をまくる。

 まくられてあらわとなった右腕には筋を辿たどるように大きな傷跡が残っていた。

「学生だったときに町で一番大きな木に登って、景色を見ていたら足を踏み外して落ちたんだ。で、落下している間際に枝を握って難は逃れたんだが、掴んだ思ってた枝に実は腕を突き刺す形で止まったってことに気付いて、思わず上げた声で駆け寄った大人に助けられたんだ」

「そんなことが....」

「まあ、これがなければお前たちには会えなかったから悪くはないかもな」

 まくった袖を戻しながら笑って話す山城に絢加里と伊藤は言葉も見つからず、うつむいていると慌てた様子で明るい調子である提案をする。

「なあ、飛んでみようぜ」

「え?」


「シーファイアに搭乗したい?」

「はい。勿論可能であれば、です」

 突然の依頼に石川はしばらく考え込み、うーんと唸ってからどこかに電話をかける。

「ええ。こっちの乗組員三人ほどが――すみません。感謝します大佐」

 ガチャンと切ってから直立不動の三人に顔を向け、少し憤慨の色を見せて小さく頷く。

「ありがとうございます艦長」

「ただし、〈サラトガ〉のパイロットたちは気性が荒い。手土産を持っていけ」

 そう言って机の引き戸を引いて中から一つ立方体の箱を取り出し、山城に手渡した。

「これをあっちの艦長に渡せ。そうすれば荒い飛行はされないはずだ」

「ありがとうございます!」

 きちんと礼を言ってから伊藤と山城は退出し、絢加里も敬礼をして扉を閉めようとして艦長と目が合って硬直する。

「どうした? 井口准尉」

「いえ、なんでもありません。失礼します」

 艦長室から出た三人は甲板に出ると一人の米国海軍士官が待っており、三人の姿を見ると帽子を取って敬礼をして流暢な英語で話しかけてくる。

「〈サラトガ〉乗組員オリバー・スミス伍長であります。ルーク・ガルシア艦長の命令を受け、皆様を〈サラトガ〉へとご案内いたします。こちらへどうぞ」

 オリバーの示す先には縄梯子なわばしごが下りており、下を見ると一隻の上陸用舟艇が待っていた。

「気をつけてください。順番に体重をかけて降りていくように」

「うわっ」

 オリバーの注意を聞いてるそばから山城は足を踏み外して危うく海に着水しかけた。

 なんとか下りて上陸用舟艇に乗った三人を確認してからオリバーが運転手に合図し、動き始める。

「〈サラトガ〉はどれほどの戦闘をしてきたんですか?」

「真珠湾空襲を生き延びてからは本国付近に出没した[海の守人]の迎撃に就いていました。今回、こうしてインド洋まで出向いたのは長距離航海の演習も兼ねていました。まさか実戦になるとは思ってもいませんでしたが」

 真珠湾、という単語で三人は少し顔を強張らせたがそのうち彼がなんの恨みを抱いていないと分かるとまた元の様子に戻ると、山城は一つ質問をした。

「真珠湾についてどう思っていますか?」

「おい山城!」

 それは踏み込みすぎだと言わんとする伊藤をオリバーは制止し、しばらく考えてから答える。

「それは、やはり卑怯で許せないことだと思っています。しかし急襲であってもそれにしかるべき対応が出来ず、多くの艦を沈ませてしまったことも事実で、同時に今考えるとあれほどの実力を持った日本皇国軍と手を組めたという事に安心しているんです。勿論、全員が全員こう思っているわけではないというのも事実です」

 オリバーの言葉は三人と一人の心に深く留まり、それから〈サラトガ〉に接舷するまで沈黙だった。

「〈サラトガ〉にようこそ日本皇国海軍の皆様。艦長のルーク・ガルシア中将です」

 大柄な初老の男性は三人に挨拶を述べてから既に準備をしていると言って案内しようとしてくるので山城は慌てて石川から渡された手土産を渡す。

「これは?―――ふむふむ。パイロットをジェフ、ウィル、セバスに変えておけ」

 手土産を開封し、中を見たガルシア艦長は神妙な面持ちで傍に控えていた水兵に命じ、まだ時間がかかるからと三人を艦長室へ案内し、アイスでもてなした。

「これはどこに置いてあるのですか?」

「食堂ですよ。整備をしたりアレに乗ってる連中はどうしても暑くなりやすいのでこういった物で冷やしているんですよ」

 感心しながらアイスを口にした山城は驚きのあまり目を見開き、二人も同様に驚く。

 ラムネとは違った爽快感とそれ以上に口触りのいい味で打ちひしがれていると水兵が扉をノックして準備が完了したと告げてきた。

「では、皆さん良い空の旅を」

 ガルシア艦長に見送られ、三人は飛行服に着替えさせられてから飛行甲板に出る。

 既に三機のシーファイアがプロペラを回し、エンジンの爆音をまき散らして今か今かと発艦を待っていた。

 山城はヘルメットを片手に持ちながら仁王立ちで三機を見ながら意気揚々と日本語で活を入れる。

「っしゃあ! 飛ぶぞ!」

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