衝突
〈ハイランド〉から出港した803艦隊は太平洋上の海域を航海し、警備と同時に〈ゆきかぜ〉では演習をしており、艦橋には並々ならぬ緊張感が漂っている中、乗組員の一人が目の前に映っている端末映像を確認しながら読み上げる。
「ソナーよし。艦内設備よし。無線も異常ありません」
「了解した。これにて本日の訓練を終了とする」
石川が艦内放送にて訓練終了を通達すると艦橋にいた全員がグッタリとしてうなだれ、同時に艦内の雰囲気も脱力した。
「きち~」
「これを毎日.....」
操作盤にそのまま頭を預ける士官や、装着していたヘッドホンを首元に下ろして椅子に寄っかかっていたりと様々な形で各々がリラックスしている中、石川艦長だけは鋭い眼差しのままだった。
無言のまま石川がおもむろに艦長席を立ち上がると艦橋にいた全員は「え? まだやるの?」と口には出さなくても雰囲気で問いかけると石川は不思議そうな顔で逆に質問する。
「家を散らかしてそのままにするのか? 貴官らは」
「あっつ.....」
「う~疲れる.....」
炎天下、甲板でシャツの袖を捲し上げながらブラシで清掃をしている乗組員たちは口々に頭上でたたずんでいる太陽に文句を垂れる。
「そもそもなんで俺らがすんだよ。清掃科にでも任せとけっての」
「同感。俺、砲術科なんだけど」
持っていたブラシをかけて壁に寄っかかってサボっている二人に怒声をあげる乗組員が一人。
「ほらしっかりしなさいよ! みんなやってんだから!」
「うぇ~めんどくさいし暑いんだよな~」
「ホントおっかないねぇ。うちの憲兵殿は」
渋々、といった様子で甲板掃除を再開した所で石川艦長が甲板上に出てきた。
先程の訓練と変わらずきっちりと着こなし、艦長帽を深くかぶって視線を隠しながらも隠しきれていない右頬を縦走する傷。先程サボっていた二人は思わず生唾を飲み込み、艦長が視線を向けると慌てて姿勢を正して敬礼する。
「貴官らの名は?」
「はっ、
「同じく
慌てて言い直した伊藤に石川は一瞬怪訝そうな表情を見せながらも、無言でまた甲板から去っていった。
「なんだよ。アイツ」
「絶対俺達のこといじめたいだけだろ」
汗を一滴も見せず軍服も着崩していない石川を見た伊藤と山城は陰口をたたき、先程叱ってきた”憲兵”に頭を叩かれる。
「あいたっ」
「仮にも艦長よ。きちんと礼節を持ちなさい!」
「だったらお前はどう思うんだよ」
叩かれた伊藤は彼女に問いかけると言いよどむ。
「そりゃ、顔は良いかな~って思ったけど態度はちょっと.....」
「顔かよ。あんなん傷があるだけだろ」
山城はうんざりした様子で呟き、ついにブラシを手放して海を見据える。
どこまでも広がる水平線。聞こえるのは渡り鳥の鳴き声と大海原をかき分けていく〈ゆきかぜ〉の力強い音。
それから十分ほどしてやっと甲板掃除を終えた乗組員たちは全員汗まみれの中、残りわずかな体力でなんとか日影となるところで休んでいるとまたしても石川が現れた。
「終わったのか?」
声も出せずに首を縦にして終わった旨を伝えると石川は自分が出た扉の向こうに合図をすると油まみれの機関員たちが中ぶりのビールケースを抱えて出てくる。
突然出てきた機関員たちが持ってきたビールケースを乗組員たちは不思議そうな表情でそれを見ていると石川がそれの正体を明かす。
「これらはラムネという飲み物だ。貴官らも一度は飲んだことがあるのではないか?今日の訓練、そして甲板掃除。その働きに感謝する」
その短い言葉がこの無表情艦長なりの労いだと分かった彼らは笑い、機関員たちから手渡されたラムネを飲む。
「うっま!」
「シュワシュワしてて体の隅々に行きわたる~」
「こんなに美味しかったんだ.....」
各々が口々に感想を述べ、山城は自分の中で石川艦長に対しての評価が上がり礼を言おうと探すと、当の本人はいつの間にか前部甲板にパラソルを開き、その下で優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいた。
「やっぱりあの艦長腹立つ.....」
「聞こえているぞ。山城二曹」
こちらを見ずに主砲の影から見ていた彼を指摘すると山城は急いで中央部に戻っていき、その背中を石川は眺めながらソーサーに乗せたティーカップを持ち上げ啜り飲んで近くの扉から艦内に入ると扉は消え艦の前部に展開されていたパラソルもいつの間にか消え、それがあった場所には巫女の格好をした少女が楽しそうに海を見ていた。
乗組員たち総出の清掃作業を終え、疲労困憊のまま夕暮れを迎えた〈ゆきかぜ〉の艦内は談笑の声で満たされていた。
「で、艦長は船首あたりでお茶してたの?」
「そうそう。きちんと英国式の贅沢なやつを」
石川艦長が自分たちに雑務を押し付けながら本人は悠々自適に過ごしていたという話題で食堂の前にいた乗組員たちが話していると艦内放送が響く。
《18:30になった。各乗組員は今行っている職務を切り上げ夕食を食堂でとるように。今夜は生姜焼きだそうだ》
石川艦長の報せが終わると同時に食堂前で待っていた乗組員たちはなだれ込む。
「白米大盛りで!」
「おれも!」
初日から石川のしごきを喰らった新人乗組員たちは空腹のあまり痛みさえ訴える胃袋を満たすために配膳員の人々の前に群がり、両手を差し出す様から配膳員たちは餌をひな鳥に与える気持ちでそれぞれに手渡していく。
「はいはい落ち着いて!」
「まだまだあるからね~!」
そう言いつつも理性では制御しきれないほど空腹だったのか何人かは先に渡された生姜焼きをつまみ食いしたりしてトラブルを起こしており、すでに食堂は生姜焼きを求める声とつまみ食いされた者の怒号でにぎわっていた。
「.....全くもって統率がとれていないのだな」
食堂の入口から投げられた冷ややかな声に食堂は静まり返り、視線が声の主へと向き凍り付く。
「石川艦長.....」
「名前を覚えてくれたのか。感謝する」
昼間に見た軍服姿と一切変わらず唯一違うのは艦長帽を取っているだけの石川に生姜焼きを受け取ったばかりの山城は内心舌打ちし、なんとか一口でも食べようと画策していると恐れていたことが起きる。
「貴官らは
「.....え?」
「日本皇国海軍の掲げている言葉を今、ここで唱えて見せろ。誰でもいい。誰かが言えるまでは食することを禁ずる」
石川の下した冷酷な判断に乗組員たちはざわめき、山城は頭を抱えてその場に崩れ落ちる。
(目の前に.....目の前に食べ物があるのに食べられないだと......!?)
「そんなバカな.....」
思わず口をついて出てしまった言葉に山城は急いで口をふさぎ、石川の方を見ると石川は冷ややかな視線で彼を見据え立っていた。
「答えがわかったら艦長室に伝えてくれたまえ」
全員を一瞥しながら立ち去り、しばらくすると乗組員たちは急いで日本皇国海軍の教訓を思い出そうと躍起になって中央の机の上に不要となった紙を展開してそこに各々が思いついた言葉を書き記していき、バツ印をつけるという作業を始めた。
一方、艦長室ですっかり古くなった艦長帽の手入れをしていると石川はめまいを覚え、目元を抑えて離すと自分の前にいつか見た少女が立っていた。
その表情はどこか不満げのあるようにも見え、その表情を見ながら石川は引き続き艦長帽を手入れする。
「なんであんなことしたの?」
少女は問いかける。しばらく無言でいると少女は彼の胸元をポカポカと叩き始め、改めて幻覚の類ではないと分かった石川は手元にしていた視線を上げて答える。
「彼らはまだ極限状態というものを知らなさすぎる。あれではすぐに死んでしまう」
「だからってあそこまでするは必要あるの?みんなお腹空かせているのにかわいそうだよ.....」
少女は本気で彼らを心配しているらしく、視線で石川に訴えかけているとドアをノックする音と共に一人の女性の声が聞こえる。
「石川艦長、答えがわかりました」
「入りたまえ」
石川が許可をすると礼を述べた後にドアが開き、入室する。
「失礼します......艦長おひとりだったのですか?」
「ああ。何か都合が悪いかね?」
「いえ、誰かと話しているような感じでしたので.....」
女性乗組員がそう告げると石川は視線をさりげなく艦長室全体に回すが先程までいた少女の姿がなかった。
(やはり......6年ぶりに姿を見せたと思ったらもう消えるか)
石川は内心寂しくも今はこちらが優先だと言い聞かせ手入れしていた艦長帽を机の上に置いて女性乗組員と対峙する。
「いやすまない。独り言が多い性なのだ。ところで、答えは?」
「はっ。答えは―――」
その答えを聞いた石川は一瞬驚きの表情を見せ、その様子に女性乗組員は間違っていたのではないかと内心ヒヤヒヤしていると石川は頷き、肯定する。
「正解だ。えーっと―――」
「
敬礼し、自分の名を告げた彼女に敬礼を返しながら脳裏には無意識にかつての旧友が浮かび反射的に質問してしまう。
「井口准尉、貴官の父親の職業はなんだ?」
「しがない豆腐屋でした。しかし『伊号事件』で亡くなりました」
あの事件か、と石川は思い出し同時に運命とは奇妙なモノだとも思った。
「准尉、それであの答えは全員で協議して導き出した答えなのか?」
「はっ。全乗組員たちと意見を出し合った結果です」
「よし。食堂に戻って彼らと食事を共にとりたまえ」
井口准尉が去った後、彼女の答えに満足した石川は椅子から立ち上がって壁に掛けてあった艦内無線機で夕食解放の旨を伝える。
《こちら〈ゆきかぜ〉艦長室。貴官らが協議し、それを井口准尉が私の元まで伝えに来た。結果を伝えよう。合格である。今日は就寝時間二時間前まで食堂は特例で開放することを許可する。ここからの話は食べながらで聞いてほしい。今回の問いに対する答えは実は存在しない。今回私が問いたかったのは団結力だ。今日の昼、貴官らに私は甲板掃除を命じた。普段は絶対にしないであろう職務に対して貴官らは耐えた。よって私は貴官らを正式に〈ゆきかぜ〉の乗組員として迎え、再び祖国の地を踏むまで責任を持とう。以上だ》
言い終えて受話器を置いて振り返ると先程まで消えていた少女が艦長室の椅子に座って石川を見ていた。
「すごいね和佐」
「ああ。すごいだろう雪風」
椅子に座る少女の頭を優しくなで、石川は誰にも見せることのない笑顔で彼女と話をしていると無線が入る。
「こちら〈ゆきかぜ〉。何事だ」
《こちらアメリカ海軍所属〈サウスダコタ〉! 〈ハイランド〉に寄港中の我々は現在[海の守人]と交戦中! すでに艦隊の半数が撃沈されている! 至急応援求む!》
その報せに石川は表情を硬くさせ、膝元に座る雪風に視線を移すとすでに彼女はそこから去っており艦隊無線につなげて指令を下す。
《803艦隊全乗組員に告げる。〈ハイランド〉より[海の守人]から攻撃を受けているとの一報を得た。よってこれより救助に向かう。総員、第一種戦闘配備につけ!》
これが初の実戦だと艦内には緊張が走る中、803艦隊は即座に陣形を整え反転。日が沈み暗くなった海の中を突き進んでいった。
皇歴2611年
記録者 伊藤敬三 二等軍曹
記録日 1951年9月4日
今日は散々だった。演習は士官学校で受けた最終試験の比じゃないほど厳しく、艦長曰くより実戦に近いというがあれはやりすぎだ。挙句に自分は砲術科担当なのに甲板掃除をさせられた。掃除を終えた後に艦長がラムネを配ってくれて見直したがその後に夕食禁止を突きつけられた瞬間俺は一生この艦長を尊敬しないと心に決めた。だが井口のおかげでなんとか夕食にありつけた時ほど嬉しかったことはない。これからはあんな野郎の話なんて聞かねえ。
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