第十五話 スイマー隼瀬の苦悩
水泳部女子更衣室、練習を終えて着替え中の詩織と香澄。
「ねぇ、香澄この前の大会からずっと変。いったいどうしたのですか?」
「そんなことないわよ、しおりン」
「嘘、香澄、嘘をついてます。ズット幼馴染みをやってきたんだもの、香澄の嘘くらいすぐ分かります」
「アハハッ」と私は軽く空笑いをした。
「しおりンには敵わないわね、気にしないで大丈夫だから」
「香澄、それほど、私にお聞かせ願えないことなのですか?」
「幼馴染みだから返っていえない事だってあるでしょ」
「分かりました、もうこれ以上何もお聞きしません・・・。ですけど、私に出来る事がありましたらいつでも言ってくださいね」
「アリガト、それじゃアタシ、先に行くからね!」
私は着替え終わると詩織を置いて先に出てきてしまった。
最近の私が可笑しいのは自分でも分かっているわ、その原因も。・・・、詩織に言えなかったのはその原因が理由。私、春香と詩織に嫉妬している。
私がズッと水泳を頑張って来たのは記憶喪失前の貴斗の為だった。
どうしてかって?実は私、小学生の頃、金槌で全然泳げなかった。それを彼が水泳教室に通っていた詩織と比較して馬鹿にしたのが切掛け。負けん気な私はそれで水泳を始めた。そして、その頃から私は貴斗の事が好きだった。
もちろん、詩織が貴斗の事を意識していたのも知っていた。だから、貴斗が私のことを気にして欲しかったから、気にかけてもらえる様にいろんな事に努力したわ。
そのうちの一つが泳げる様になること。そして、泳げる様になった時、彼は私を凄く褒めてくれたのを今でも覚えているわ。でも、今の貴斗にはそんな記憶すらも無いのよね。
それから、貴斗が褒めてくれた日以来、詩織に負けない様にと躍起になって頑張った。
そんな私の気持ちを知ってか知らすか、彼女、詩織もそんな私の姿を見て必死になっていた様だった。
中学二年夏の全国大会決勝戦 神奈川県横浜市県立競技場屋内プール
「よ~~~ぃ『パァーーーンっ!!!』」
審判の声とともに空砲が鳴った。それと同時に選手達は一斉に飛び込みを開始した。女子100m自由形の決勝戦、その中に私と詩織がいた。
同学校の選手が決勝戦の舞台に立つのはまれな事らしかった。でも、私にはそんな事、どうでも良かった詩織に勝ちたかった。その時は必死になって泳いだ。隣で同程度なスピードで泳ぐ詩織がいる事を意識しながら、そして・・・。
「只今の記録、第1位55秒78、夢ヶ丘中学校、隼瀬香澄」
「第2位55秒93、同中学校、藤宮詩織」
「第3位57秒33、武城中学校・・・」
大会後、選手用通路、私は詩織と一緒に更衣室に向かう為その通路を歩いていた。
「おっ、オイ、君、ココは関係者以外立ち入り禁止だ!」
「へっへぇ~~~んっ、お前らなんかには捕まらないよぉ~~~」という声が通路、角から聞こえてきた。その声の持ち主が私達の前に現れて言葉を掛け、
「香澄すげぇーよぉ、ボク凄く感動した!」
その声の持ち主は水着姿のままの私を言葉と一緒に強く抱きしめてくれた。
「わっ、馬鹿!貴斗やめろよ、アタシからはなれろぉ打っ飛ばすわよっ」
「何、恥ずかしがってんだよ?」
「い・い・か・ら・は・なれろっ!」
そう言って強引に貴斗を押しのけた。でも、本当はとても嬉しかったんだけど隣にいる詩織の視線がスッゴクに痛かったから。
「あぁ~あっ、貴ちゃ・・・、貴斗君、お洋服ビッチョリーーーっ」
私の濡れている水着から水を吸い出した、貴斗の服はそれを受け半濡れしていた。
「大丈夫さこんなの。夏だからすぐ乾く、詩織、お前も頑張ったな」
そう口にすると貴斗は半乾き状態の詩織の頭をクシャクシャと撫でていた。
「ア~~~ン、やめてぇ、貴斗君」と言いつつも詩織の表情は嬉しそうだった。
「それじゃ、僕、先に龍ニイと、翔子ネエと帰るから、バイバイ!」
ちょっとした会話をこの場所で交えてから、男幼馴染みの彼は別れの挨拶を言葉にして私たちの前から消えていった。
そう、この日初めて私は詩織に勝つことが出来たわ。そして、貴斗が私を抱き締めるほど喜んでくれた事が私にとって何よりも嬉しかった。
~ 翌日、近所の公園 ~
「ホラ、イチゴミルクアイス」
貴斗は私に公園内にあったアイス自動販売機から買ってきた物を渡してくれた。
「へへっ、有難う。貴斗!でも良く貴斗ってアタシやしおりンに奢ってくれるわね。そんなお金、いったい何処にあるの?」
「ぅん?父さんや爺ちゃんのお手伝いすると小遣い大目にくれるんだ。ところで何?急に呼び出したりして?ボク、今忙しいんだけど」
「ウぅ~~~ンとね、貴斗に聞きたいことがあって」
「だったら、別にこんな所に呼び出さなくても、家に来ればいいジャン。僕の家は香澄の家の正面だろ?」
「外で話したかったの。ねぇ、貴斗。・・・、貴斗って好きな娘いる?」
「ナンだよ、急に?香澄、熱でもあるんじゃねぇ~の?」
食べ終わったアイスの棒を加えながら私の額に手を当てられていた。
「あっ、なっ、なにすんのよぉ!」
貴斗にそういうことしてもらえるのは、本当は嬉しいくせに、私は反射的にその男幼馴染を蹴ろうとした。だけど、避けられて空振り。
「香澄の蹴りなんか当たんね~よ」
「モぉおぉぉぉっ、貴斗の馬鹿ぁ!」
「どーせ、ボク、馬鹿だもんねぇ~~~っ」
流石、格闘技色々習っているだけあって身のこなしは素早かった。藤原家の家訓で男子たるもの文武両道でなければならないらしい。今の彼は文などソッチのけでどうも武の方が際立っているみたいだった。
この頃の貴斗、はっきり言って学校の成績は私以下に悪かった。でも、わたしも、詩織も知らない。貴斗が兄と姉の龍一さんや翔子さんの為に、私達を立てる為に馬鹿を演じているなんてこと。そんな事を見抜けるほど、解ってあげられるほど大人じゃなかった・・・。
「それで、アタシのさっきの答えは」
「香澄ぃ!」
彼は私の名前をはっきりと言ってくれた。だけどそれは束の間の喜びだった。
「もちろん詩織だって好きだよ。デモね、香澄が僕に聴いている好きと僕が思っている好きは違うと思う。二人とも、僕にとって大事な幼馴染みだからね。話はそれだけ?」
「うぅっ、うんそうだけど・・・」
「じゃ、僕、帰る。家の片付けしなくちゃいけないからね、それじゃバイバぁーイ!」といって走って行ってしまった。
「アッ、待って、貴斗!」という言葉もむなしく空に散った。
それから二日経った日の夕食後、詩織から電話があった。
「ねぇ~、香澄ちゃん明日、貴ちゃん、誘って一緒に映画見に行こうよ」
「もしかして、明日から始まる、ジャッキー・チェンの新作?」
「うん」
「ハッハァ~ン、さてはしおりン、女の子一人でアクション映画を見るのが恥ずかしくて誘っているなぁ~~~、それにアンタと二人っきりじゃ、いくらタカ坊を誘っても行ってくれないもんねぇ」
詩織は可愛い外見とは裏腹にスポコンや熱血物、アクション映画大好きなのよね。まあ、それは貴斗がそういうの好きだからかもしれないけど・・・。それに私も嫌いじゃないし。
「そっ、そんなことないもん。香澄ちゃんだってジャッキーの映画好きでしょ?」
「分かったわよ、そんなスネた言い方で言わなくていいよ。タカ坊には連絡したの?」
詩織との会話の時だけは貴斗の事を私はタカ坊、詩織は貴ちゃんって呼んでいた。
そのあだ名を本人の前で口にすると彼は私達に嫌なあだ名で返してくるから中学に上がってからは彼女と話す時にしか言葉にしていなかった。
「貴ちゃんの所に電話したのに誰も出なかったのよ」
「あんな、凄くいっぱい人がいるのに?・・・、それじゃ、明日、映画に行く前にタカ坊の家に行って誘いましょうか」
「うん、それじゃ明日ね、バイバイ香澄ちゃん」
「ウン、明日ね」といって私は電話を切った。
そして翌日、私と詩織は貴斗の家を訪ね、玄関のインターホンのボタンを押した。
『ピンポ~~~ン「はい、どちら様でしょうか?」』
声で貴斗のお姉さんの翔子さんである事が分かった。
「香澄と、しおりンで~スッ!」
「暫くお待ちになってくださいね、今玄関までお迎えに上がりますから」
・
・
・
「詩織ちゃん、香澄ちゃん、お二人ともコンニチハ」
「こんにちはぁ」
「ネエ、翔子お姉様、貴ちゃんいますか?」
詩織がそう言うと、どうしてなのか一瞬、翔子さんは驚いた顔をした。
「あら?若しかして、お二人とも貴斗ちゃんから何もお聞きしていないのかしら?」
不思議そうな顔で翔子お姉さんは私と詩織を見ていた。それから、私と詩織は頭を横に振って、それを知らないのを示していた。
「お二人とも驚かないでお聞きしてくださいね。貴斗ちゃん、今朝、早くにお父様、お母様それと龍一お兄様と供に日本を発たれました」
「ええぇっ、そっ、そんな急に!どこにっ?」
「どっ、どうしてですか!?どう言う事ですか翔子お姉さまぁっ」
翔子お姉さんのその言葉、詩織はそれを聞くと急に取り乱した。
「詩織ちゃん、落ち着きになってください!」
お姉さんは取り乱す詩織を宥めながら、次の言葉を口にする。
「お父様の仕事がアメリカで再開する事になったようご様子なの」
「そっ、そんなの貴斗には関係ないじゃないの」
「お父様、貴斗ちゃんをアメリカの大学にご入学させると言いまして、洸大お爺様の反対を押し切って半ば強引に連れて行かれてしまいました」
「イッ、いつ帰ってくるの?」
「それは分かりません、お父様のお仕事次第ですもの」
詩織は全て聞き終わると急に静かに泣き始めた。それを見た翔子お姉さんは彼女を優しく抱き寄せる。
「ひどいよ、ひどいよ、貴ちゃん何も言わないで行っちゃうナンって。まだ、あの時の答えちゃんと聞いていないのに」
その言葉を聴いた時、いてもたってもいられなかった。その言葉の意味がなんとなく分かったから。貴斗が居なくなってから私は彼の事を忘れるために我武者羅に水泳に打ち込んだ。
それから、三年後、貴斗は再び私と詩織の前に現れる。でも、それは過去の記憶を閉ざされた記憶喪失の彼だった。私の知っているいつも笑顔を絶やさない太陽のように陽気で元気な彼はそこにはいなかった。そして、ようやく私が貴斗の事を忘れ始めた高2の頃、高1の時やっと学校が一緒になり親友になった春香の頼みで、同じクラスになったある男子生徒と接触することになった。
それが柏木宏之だった。初めの頃、宏之の事を変なやつと思っていた。何で春香はこんな奴を好きになったのか不思議に思った。でも、色々と話している内に彼の良さが次第に分かって来たし、なんとなく性格も私に似ている様な気がした。
本当はそれだけじゃない、なんとなくだけど昔の貴斗に似ていた。そして、そんな彼にいつしか私は惹かれる様になっていたの。
私は詩織と春香に嫉妬しているいやな女、コンナ気持ち詩織に言えるはずがないのに。
コンナ嫌な気持ちを晴らしたくて、失礼だ、ってわかっているけど私は、私を好きって言ってくれた男と今付き合っている。彼は私に対してとても優しく接してくれる。でも、私のこのモヤモヤした気持ちは何で晴れないんだろう?
~ 8月12日夕方、聖陵高校屋内プール ~
嫌な事を忘れたくて今日も一人で一心不乱に記録を伸ばすために泳いでいた。しかし思う様に泳げない。いつの頃だろう、私しか居ないはずの屋内プールに人影が指していた。泳ぎを止めそちらの方を見る。一人の男が私に近づいてきた。
「隼瀬、なに一人で頑張ってんだ?」と其奴は近付きながらそんな言葉を投げかけてきた。
「ヒロユキ、何でアンタがココに居るのよ?」
「ちょいと、野暮用でね、ついでに気になってここに立ち寄ってみたら、隼瀬、お前が居たというわけ」
「フゥ~~~ンッ、アタシに何か用事があるわけ?」
「別にそういう事じゃなんだけど。そろそろ、切り上げて少し話さないか?」
「分かったわ、着替えて来るからちょっとここで待っててね」
「おうよぉ!」
そう言い残して更衣室に向かった。数分後、私はタオルで髪をクシャクシャと拭きながら彼の所へと向かう。
「おまたせ!」
「別に待ってないぜ!それよか、その長い髪、邪魔じゃねえ?」
「アンタには関係ないでしょ」
小学生の頃、短髪だった。でも男幼馴染みが女の子は髪が長い方が断然、可愛い、って言ったからそれ以来、髪を伸ばすようになった。
詩織が今でもロングの髪に拘るのはその所為。そんな風に思っていると彼が話しかけてきた。
「なぁ、春香も藤宮さんも、お前の最近の行動すげぇ~く、心配していたぜ」
「それこそ、アンタには関係ないじゃない」とつい向きになって強く言ってしまった。
「聞いたぜ、この前の記録会、見に行けなかったけど、本調子じゃなかったんだってな。噂で、お前に彼氏ができて、その所為で順位が落ちたって、陰口を叩かれている、ってのを聞いた」
彼が〝彼氏〟って言ったのを耳にして一瞬、ドキッとしたけど取り乱さないように努力した。宏之は尚も私の態度何って気にしないで話を続ける。
「お前、今がどういう時期か分かっているのか?実業団行きを決めていた筈のお前が、そんな調子でどうする」
彼の言葉に少しカチンっと来てしまった。
「アンタにそんなこと、言われる筋合いないわヨッ!アタシのこと何ってほっといてよ」
「ほっておけねぇ~から、こうして話してるんじゃね~か。もし、俺が今の状態のお前をシカトして春香とイチャイチャしている様な奴だったら。
隼瀬、俺に春香の様な娘、紹介したか?」
そんな彼の言葉を聴きたくなくて背を向けてしまった。
「オイ、ちゃんとコッチ向いて聞けよ、まだ話し終わってない」
そう言うと宏之は私の腕を掴んで強引に向きを直そうとした。
「いっ、痛い、放してよ、そっち向くから。それに不用意に彼女でもない女の子の体に触れるなっ!!」
「あっ、ゴメン」
そう言葉にした彼は私の腕を申し訳なさそうな表情で気まずそうに放してくれていた。
「話し続けるぜ」
黙って宏之の話しを聞く事にした。
「この前も言ったけど隼瀬にすっげ~~~感謝してるんだ。一度、俺は春香の関係が危うくなった時が有ったんだけど、お前の一言で全てが丸く治まった。藤宮さんの助言もあったけどな」
その言葉を聞いて一瞬、驚いた。彼はさらに言葉を続ける。
「だから、今の隼瀬、見ていられなくて、助けになってやりたい・・・」
「アリガト、本当に心配してくれていたのね。でも今は大丈夫だから」
宏之に無理に笑った表情を見せていた。
「わかったよ・・・、お前がそう言うのなら。でも何かあったら絶対言えよな、助けになってやるから!」
「有難う」ともう一度、彼に言うけど心はさらに深く沈むだけであった。
「辛気臭い話はこれで終わり、それと15日の祭りお前も皆と一緒に行くだろ」
「しおりンからも誘われてる」
「そっか、それじゃ俺帰るわ、用事すっかり忘れていたし」
走って帰って行く宏之の背中を見ながら、ハァ~~~っと大きな溜息をつき、どうしてコンナ気持ちになってしまったのか考えた。
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