9話① 家族会議

 朝議が終わり、嚴興はふらふらと正殿を出た。肥え太った体が朝議の間で細くなったように皆が思うほど憔悴している。誰もが遠巻きにして眺める中、陵州侯はにやりと笑って眺めていた。


「元芸人ってのが、こんな所で役に立つなんざ思わなかったなぁ。」


そう呟くと、後ろから声がかかる。


「では私もその芸人の妙技を教わりたいものだ。」


「…!これは、大左官長様。」


驚いた陵州侯が振り返り、頭を下げる。


「虎派の勢力を削るには、今回の奴への仕打ちは効果的であろうな。しかし陵州侯は我々の派閥には属さぬと思っていたが…。何を企んでいる?」


永四徳はじろりと鋭い視線を投げかけるも、陵州侯は飄々としている。


「私はただの一介の州侯に過ぎませぬ。州侯としての仕事をしているだけで、そこに他の思惑などございません。」


「ふん。…まぁそなたも冬妃様も、たかだか常民の身分で陛下の近くでお支えするなど嘆かわしい。瀚皇子がお生まれになってから、冬妃様のわがままも増えておられるようだ。あまり兄妹で出しゃばるなよ…。」


「ええ、心得ております。」


堂々と面と向かって毒を吐き、更には肩にぶつかって去っていく。


「けっ、くたばりぞこないの爺が。」


陵州侯の双方の目はいつまでも永四徳の背を睨み続けていた。




皇宮からどのように出たのか覚えていない。

その日仕事を終えてから、ぼんやりと門まで歩き皇宮の外で待っていた執事に支えられて、何とか馬車に乗り込む。何をどう考えれば良いか分からない。そもそも、なぜ人柱を

選ばなくてはならくなったのか…。


「ご主人様…、朝議は如何だったのですか?」


おろおろと執事が尋ねるが、嚴興の返事は要領を得ない。


「馬檀が…神官にバレるのだ…。」


「馬檀様が何か?…計画は上手くいかなかったのですか?」


「陵州侯だ…奴が馬檀を…」


「ご主人様!どうかお気をしっかり!」


執事が励ますも嚴興は呆けたままで治らない。屋敷についてから、自室に部屋に入るなり崩れ落ちるようにして文机の前に座り込む。


「相由…。郭夫人を連れて参れ…。」


「はい。」


屋敷についてから少し落ち着いたのか、郭夫人と執事にゆっくり顛末を告げる。郭夫人にとっては人柱の件は初耳で、馬檀が人柱になったことを聞いて取り乱して叫んだ。


「…何をおっしゃるのです⁉︎馬檀が人柱などと…旦那様は一体何をなさっているのですか⁉︎我が子の一大事に、ただ黙って従うのですか⁉︎

私は知りません!神がなんです?そんなもの馬檀に関係ございませんでしょう‼︎」


「奥方様…落ち着いてくださいませ…」


「黙れ!どうしてもというのなら、今馬檀を連れて出て行きます!」


言い放ってから立ち上がり、部屋を出ようとする郭夫人に、執事が裳の裾に縋って止めに入る。


「お待ちくださいませ!今、馬檀様が姿を消せば、ご主人様がお咎めを受けます!いえ、国の一大事ですので騎一族皆様に及びましょう。それに本来ならばすぐに皇宮に送られるべき馬檀様が屋敷に留まることができているこの状況は最後の機会です!どうか落ち着きくださいませ!」


「放せ、無礼者!私を誰と思って意見するのだ!お前はさっさと身代わりの者でも探してこぬか!」


「…ですから、身代わりを立てたところで、すぐ神官に分かってしまうのです。」


「くっ…!ええい!なぜ私の馬檀なの⁉︎旦那様の息子なら馬芝ばし殿でも良いじゃない!なぜ…!」


嚴興の前で好き放題に泣き叫び、床に突っ伏した。騎馬芝は嚴興の前妻の子であり、長男である。歳は既に二十歳を超え、嚴興の後継ぎとして既に出仕もしている。万が一にも嚴興がこの発言を許すとは思えず、執事は恐る恐る嚴興の方を見た。すると嚴興は、ハッとした顔をしていた。


「儂の血を引く息子…。そうか、身代わりと言っても儂の子ならあるいは…。」


そう呟いてがばっと立ち上がる。郭夫人と執事は先程までの覇気の無い姿とは打って変わった様子に驚いて、嚴興を見上げた。


「執事、今から馬檀と馬芝をここに連れて来い。そして素鼠を明日誰にも見つからぬ場所で密かに監禁しろ。郭夫人、馬檀の命を助ける為に賭けに出る。儂と執事が動くゆえ、お前は馬檀をよく言い聞かせ、部屋から一歩も出すな。良いな。」


「かしこまりました…。それで、馬檀が助かるなら…。」


涙で顔を濡らし呆けたような郭夫人の傍ら、執事は息子達を呼びに部屋から出る。速やかに連れてこられた2人は嚴興の前に座る。馬檀は寝巻き姿で、緊張した空気に不安げな様子だ。


「2人ともよく聞け。先の陵州の地震により、神殿が一部崩壊した。よって神殿再建の安全祈願と神の怒りを鎮める為人柱を立てることになったのだが…、その人柱に馬檀が決まった。」


「え…。」


馬檀は突然の報告にただただ驚く。馬芝は拳を握りしめて悔しそうにする。


「本日の朝議の後、上官より聞いておりました。信じられませんでしたが…事実だったのですね…。」


「父上…、ひとばしらとは何をするのですか?」


まだ自分が何に選ばれたかも理解できない程、年端のいかぬ子供の問いに郭夫人が涙を流した。嚴興はまっすぐ馬檀の目を見て答える。


「…人柱とは、その命を以って我が国のために神に捧げられる者のことだ。よって儀式を受ければ、死んで神の元へ行く。」


死ぬと聞いて馬檀は慌てて郭夫人にしがみつく。


「死ぬなんて、馬檀は嫌です!絶対嫌です!

母上、助けてください!」


顔を埋めて郭夫人に縋る馬檀を、放すまいと郭夫人がきつく抱きしめる。


「しかし旦那様、何か策を思い付かれたのでしょう?だから今2人をここに呼ばれたのでは無いのですか?」


策と聞いて、今度は馬芝が驚く。


「策とはなんです?まさか、命令を無視なさるのですか⁉︎」


「馬芝殿、あなたは弟が死ぬというのに平気なのですか?薄情にも見殺しになさると?」


薄情と言われて、馬芝も黙らない。


「そうではありません。国の一大事において私情を挟んで誤魔化すことは恐れ多いと、申しているのです。父上、まさかそのようなことはなさいませんよね?」


「いいや馬芝よ、儂は馬檀を人柱に捧げはせぬ。お前も皇宮で仕える身なのだから、皆綺麗事だけで立ち回っておらぬのは知っておろう。…これから儂が話すことは皆決して漏らしてはならぬ。」


そう言ってゆっくり1人1人の顔を見る。皆固唾を飲んで、嚴興の口が開くのを待つ。そうして執事と共に家族会議が始まった。






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