8話① 身代わり
「兄上、こればかりは承諾しかねます!」
嚴興の妹である騎夫人が嫁いだ潘家で夫人の声が響いた。嚴興は、しっと言って嗜める。
「声が大きい!…陵州の本家筋では承諾をもらっても陛下に報告するには間に合わないのはわかるだろう。ならばこの都にいる一族の中で選ぶしかないのだ。」
嚴興は必死の形相で迫るも、夫人はそれをはねつける。
「私は潘家に嫁いだので、潘家の人間です!私の子も藩氏一族の子でございます。もちろん旦那様もお許しになるはずがございません!一体兄上は何をお考えですか⁉︎私や、私の子を人柱になど…。」
「そこを頼んでおるのだ!」
兄としての矜持を捨て、頭を下げて妹の側にすり寄るも、夫人は避けるようにして身を捩る。ハッとした顔の嚴興を冷ややかに眺めながらすくっ立ち上がる。
「これ以上お話することはございません。お引き取りください。」
「おい、待て…!」
「…兄上、私とて兄上と縁を切りたくはありません。…誰か、騎嚴興様がお帰りになる。お見送りをなさい。」
障子戸が開けられ、促されるがまま嚴興は屋敷を後にした。そして帰りの馬車の中で執事の韓相由に焦りの感情をぶちまけた。
「妹が最後の頼みの綱であったのに…!もう都の一族は全部回った…!皆、体を八つ裂きにされる、心臓を抜き取られるなどくだらん噂を信じおって、誰がそんな恐ろしい方法を言い始めたのだ!」
恐る恐る執事が提案する。
「陵州の方をどなたか決めてしまって、事後報告というのはいかがでしょう。」
「そんなことをすれば我々は陵州の本家筋から見放される!…さりとて儂も自分の息子を差し出すなど絶対できぬ!しかし一族から誰か出さねばならぬのだ!陛下の命に背けば、それこそ一族は終いだ!」
ああ、と嘆いて頭を抱えて膝に突っ伏す。
「…適当に替え玉を用意して差し出す事は?」
「…ダメだ。替え玉を用意して捧げたところで、本物はこの先ずっと人目を避けて生きねばならなくなる。出仕はおろか、外出もままならぬ。それでは上民として死んだも同然だ…。」
生きるか死ぬかの問題で、上民としての生き方を捨てられずにいる様を見て執事は内心呆れた。一方で嚴興は膝を拳で打ちつけて、歯を食いしばる。これ以上の打つ手無しかと絶望しているようであった。
「陛下を納得させられるかは賭けですが、廓上がりの子連れの女を探しまして、女は長年密かに囲っていた者、子供はご主人様の子とするのです。妓女の子の父親が誰かなど追求しても真実はわかりません。ですから、ご主人様の子として通すのです。そして、人柱に…。」
執事はついに禁断の策を提案した。
「そうか、大人であれば身元は誤魔化しづらいが、子供なら…。霍楼に馴染みの
あとは執事の言う通り、皇帝や周囲の者達をいかに納得させるかが問題であるが、もはや嚴興には手段がなかった。
「今夜すぐに霍楼に行く。そしてこの計画はお前と儂だけの知るところということを肝に銘じよ。」
「かしこまりました。」
斯くして、その夜2人は霍楼は紅雀を訪ねた。揚がるや否や、紅雀の部屋に行き酒もいらぬと言う嚴興に、紅雀も何事かと身構える。
「旦那様、今宵はどうされたのですか?」
「口が固いお前だから言うぞ。お前の知り合いに子連れの女はおらぬか?廓上がりで女手一つで子を育てているような。」
「身請けされて旦那様の子を産んだものの、離縁されて暮らす者なら何人かおりますが…。」
「いや、それではない…。その、父親のわからぬ子などだな…。」
それを聞いて紅雀は真顔になる。
「…確かに私達はこのような身の上ゆえに、お客様である殿方のお子を身籠ることはよくあります。えぇ、もちろんどなたが父親かなどわかるはずもございません。」
あまりの失言に紅雀が怒り、嚴興はますます焦る。
「そうではない…、その、人探しをしているのだ。そう、我が屋敷の使用人が足らぬので新しく入れたいのだが、色々仕込みたいので幼い子供を探している。廓の外で暮らす、父親不明の子供の方がやり取りも楽であるし、
苦し紛れに語る嚴興を
「私の妹で、同じく妓女をしておりましたが、身請けされて廓を上がりましたものの、離縁され母子で暮らしております。今も別の廓に勤めており、数年前に客の子を産んで苦労しております。旦那様のお屋敷で引き取って頂けるならば、妹も生活が楽になるでしょう。」
「い、いもうと?」
「はい。都の西のはずれにおります。」
まさかお前の甥か姪になる子供を人柱として殺すつもりだ、など口が裂けても言えない。
「…そうか。ぜひその妹に会いたい。西のはずれだな。」
「まぁ、本当に引き取って頂けるのですか?御礼を申し上げます!旦那様のお屋敷でしたら妹も安心して子を引渡しますわ。文を書きますので、そちらを妹に見せればよろしいかと。」
「…いや、礼など言うにおよばぬ。…使用人として使うのだからな…。」
いえいえ旦那様、と言いながら上機嫌で紅雀が筆を取る。妓女は殆どが身分は奴婢で、その子供も母親の身分に準じている。紅雀も身分は奴婢であった。嚴興は自分に言い聞かせる。
そう、奴婢なのだから何ら問題はない。
「さぁ、書けましたわ。では旦那様こちらの文を妹にお渡しください。どうか妹に、姉は元気だとお伝えくださいませ。」
「あぁ、分かった…。必ず伝えよう。」
「ではお話も済みましたし、やはりお酒でも…。」
「いや、今宵は遠慮する。すまぬが、これで帰るとしよう。」
「だ、旦那様?」
いつもと違う様子の嚴興に戸惑うが、言われるがまま見送った。翌日、嚴興は都の西はずれに執事を使いに遣り、密かに子を引き取った。
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