6話①前兆

 「どうやら騎様は私の提案を断られるようだ。」


嚴興からの文を読んで冬妃はフンと鼻で笑う。文を運んできた莉莉は心配そうにしている。


「私が最初にお屋敷に参りました時から手応えを感じませんでした…。いかがなさいますか?」


「私の提案を断るなら、それ相応の覚悟をしてもらわねばなるまい。私の計画は騎様無しでは成し得ぬのだ。何がなんでも引き入れなくては。」


するとちょうどその時、皇帝の側仕えである内官が訪ねてきた。


「冬妃様、ご機嫌麗しゅう。今宵陛下が椿松宮ちんしょうぐうにいらっしゃいます。」


椿松宮とはこの冬妃の住まう宮の事である。

皇帝の来訪を告げると内官はさっさと帰っていった。それを確認してから冬妃は声を上げて笑った。


「ほほほほほ!天は私に味方しているのだ!

今宵陛下にお会いできるならまさにその時が勝負だ。」


冬妃は上機嫌になって、莉莉に念入りに支度するように言いつける。




夜。

椿松宮に皇帝がやって来た。60歳手前のやや老けた顔には髭をたっぷりと蓄え目は大きくギョロリとしている。大きな口を開けば2本の八重歯が覗く。その容貌を虎に例えられて、密かに虎帝こていと呼ばれていた。皇帝は部屋の円卓に付くと、冬妃の酌で酒を飲み始めた。酒を注ぎながら冬妃が猫撫で声で話しかける。


「陛下、ご機嫌麗しゅうございます。最近はいらっしゃいませんでしたので、寂しく思っておりました。」


「ふむ、知っての通り太子が義友を迎えるであろう。太子に合う者を探すのは至難だ。」


盃の酒を飲み干してタンッと円卓に置く。はーっと息をついて冬妃をちらりと見る。


「太子の他にも皇子がおる。その度に義友を探すのはちと疲れるぞ。」


「でしたら陛下、大右官長の騎様の御子息はいかがでしょう?」


「大右の息子?二十歳過ぎているではないか。」


「いいえ、長男ではなく次男です。確か歳の頃は6歳程かと。」


「そなたよく知っているな。しかし大右となると、大左らが黙っておらぬ。」


大左というのは大左官長のことで、役職も相まって嚴興とは対立する人物であった。政界には、大左官長属する玉派があり、主に皇室の血統の正当性や碧国の国防に重きを置く派閥である。皇后と太子を推すのもこの派閥であった。しかし、ここ数代に渡って皇后の子が皇帝の座を継いだことで玉派の勢力が大きくなり、今や皇帝の権力をも脅かすほどになっていた。現皇帝である虎帝も玉派の後押しで皇帝になったものの、政界の調和を保つため、嚴興率いる「虎派こは」を重用するようになっていた。虎派は皇后の子に関わらず能力ある皇子を皇帝に就かせることと、他国との外交に重きを置く派閥である。


「政治において義友の影響は大きい。ましてや太子の義友ともなれば、その様な者の息子は相応しくない。」


皇帝が却下すると冬妃はしゅんとする。


「申し訳ありません。お役に立てればと思い出過ぎた真似を致しました。お許しくださいませ。」


そう言って冬妃が膝を付こうとした時だった。卓の盃や酒瓶がカタカタと小刻みに揺れたかと思うとすぐにグラグラとはっきりした揺れに変わった。皇帝は咄嗟に卓に手をついたが、揺れはすぐに収まった。慌てて内官や侍女、女官達が駆け寄って来る。皇帝と冬妃の身に怪我がないか確認すると、皇帝に居所に戻るよう促す。皇帝がそれに従ったので冬妃は結局早々に皇帝を見送ることになってしまった。



皇帝を見送った後、莉莉が冬妃に茶を勧める。地震のせいで皇帝に言うことが言えなかったのではないのかと莉莉は残念そうに言う。しかし冬妃はこの上ないほど上機嫌であった。


「やはり天は私に味方しているのだ。これで騎様を引き入れるのが容易になったぞ。」


「はぁ…。しかしこの先どうなさるのですか?」


「すぐに此度の地震がどこで起きたのか調べられるだろう。…まぁおおよそ見当はついているが…。それを利用するのだ。」


にまあっと笑って、冬妃は眠りにつく用意を始めた。

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