5話② 危ない橋

 あたりはすっかり暗くなり、大部屋に連れてこられた袁は布団に寝かされた。執事が手配したのは酒と薬と包帯のみで後は仲間内での看病が頼りだった。行燈に火がつけられ、部屋をなるべく明るくする。集まった使用人達が袁の布団を取り囲んで手当てに当たる。1人が足を縛って止血し、貝がたらいを持ってきて袁の左足を入れる。柊が桶いっぱいに汲んできた水をかけて傷口を洗っていく。痛みで暴れる袁の体を数人がかりで押さえつけた。傷口は足の半ばまで達しており骨が見える。筋も切断されているようで、恐らく元のように歩くことは不可能だろう。いや、袁の年齢を考えれば順調に回復することすら怪しい。


「袁さん、なんであんな無茶したんだ!」


ベソをかきながら柊が今度は酒をかけていく。手際よく薬を塗って包帯を巻いていく。他の者も袁さん、袁さんと心配する。しかし袁は、「けっ」と吐き捨てる。


「…じゃあなんだ、…お前ら素鼠の足が切られた方が良かったってのか?」


一瞬皆沈黙する。素鼠が理不尽なことで罰を受けることは確かに気の毒ではある。だが…


「素鼠も可哀想だけど、袁さんだってこんな大怪我…!」


貝が気持ちを言い表せずも必死に訴えようとする。袁はそれを聞きながら、目で素鼠の姿を探した。部屋の隅で呆然と大人達の様子を見ていた。


「意地悪りぃこと言ってすまんな…わかってるよ…。それと、素鼠と話がしたい…。ちょっと2人にしてもらえないか?」


そこで大人達が初めて素鼠の存在に思い至ったようで部屋をきょろきょろ見渡す。そして見つけて皆じっと素鼠を見つめた。


お前のせいだと言わんばかりの目。

処罰に手を貸したので素鼠に怯える目。

一連のやり取りを見られて気まずく思う目。


様々な感情のこもった視線が素鼠を貫いた。素鼠は怖くなり咄嗟に逃げ出そうとしたが、優しい袁の声が止めた。


「素鼠や…。ちょっと俺と話をしよう…。おいで…。」


そこで大人達が黙って立ちあがりぞろぞろと部屋から出て行く。誰も何も素鼠に声をかけることはしなかった。素鼠は袁に近づくことができず相変わらず部屋の隅で膝を抱えて座り込んだ。そして誰も居なくなって静かになった部屋で袁がぽつりぽつりと語り出した。


「随分怖い思いをしたな…。大丈夫か?俺が助けるとは思わなかっただろ…。」


「…ありがとう…でもなんで助けてくれたの?袁爺がこんな大怪我する必要ないのに…。みんなの言う通りだよ…。」


「ははっ、…あんなに叫んでたのになぁ…。俺はな、豪商の一家に生まれたんだ…。」


「え…豪商?奴婢じゃないの?」


「ああ、昔むかしさ。…それこそ大きな屋敷に住んでて、何人も使用人がいて、絹の着物にご馳走に…。家族もいて…。」


「なんで奴婢になったの?家族の人はどうしたの?」


素鼠の問いかけに、袁は思い耽るように天井を見つめ、目を閉じた。


「…権力争いに巻き込まれたんだ。父が都の貴族と取引してた品が、謀反を企てていた証拠だとか言われてなぁ。…俺はまだ15になったばかりで家のことをどうこう助けられはしなかった…。奴婢に落ちて…父とも母とも別れて…俺は妹と一緒に貴族の屋敷に引き取られたよ…。妹はちょうどお前ぐらいで…突然生活が変わって辛かったんだろうな…。その屋敷のお嬢様の靴をこっそり履いたのがバレたんだ…。そりゃ絹の靴を履いてたのに今では草履だもんなぁ…。」


「…どうなったの?」


「…奥方が大層怒って、妹は両足を切り落とされた。…血を流しすぎたか、死んじまったよ…。」


「…だから助けてくれたの?僕が妹と同じように見えたから…。」


いいや、と袁は声を震わせる。しばらく黙った後、絞り出すような声で言った。


「俺はまた、をするのかと思ったのさ…。奥方が言ったんだ。連帯責任で2人とも死ぬか、それとも俺が妹の…、その…。」


「…袁爺が切ったんだ、妹の足…。」


素鼠の呟きに、はっと袁が見返す。素鼠は光のない暗い瞳で袁をじっと見つめていた。


「ははっ…。幻滅しただろ…命惜しさに兄が妹の足を切り落としたんだ…。今回お前を庇ったのは、正直俺のただの罪滅ぼしだ…。なんにも褒められたことじゃねぇ…。」

そうして自嘲し、また天井に視線を戻す。


「奴婢になって分かったさ…。人間てのは卑しいんだ…。俺の家を没落させた奴らも、俺自身も。だから素鼠、貝や柊達を恨むなよ。俺たち奴婢は財産も持てねぇし、姓を名乗ることもできねぇ。学問もできねぇし、自由に結婚して家族も作れねぇ。何もねぇ俺たちには、もう命しか残ってない…。あいつらはその命を守っただけなんだ…。」


「じゃあ、僕は足を切られた方が良かったの⁉︎もしかしたら死んだかもしれないのに…。ずるいよ…。」


 己を見捨てる他者の命と、理不尽な理由で切られる己の足を天秤にかけた時、やはり自分の足を取りたい。しかし、袁は素鼠の考えを見透かすように笑った。


「…恨んだってどうにもならねぇ。お前だって自分のことが大事だろう。…さっき庇った俺に『大怪我する必要なかったのに。』なんて言ったが、実際お前を庇わなかった奴らをずるいと思ったろ?…やはり自分が一番大事で、特に奴婢って身分はそれが顕著に現れる…」


素鼠は己の矛盾に恥ずかしくなって黙ってしまった。


「…いいか、この先生き残りたかったら、他人の卑しいところに目を瞑るんだ。そして、自分が卑しいことも自覚しろ…。」



その会話が最後だった。結局袁は高熱を出し回復することなく、数日後息絶えてしまった。



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