4話② 境遇

 裏口で横たわる素鼠を同じく使用人の袁が見つけた。駆け寄ってすぐ助け起こしてくれる。素鼠から事情を聞きながら持っていた手拭いで鼻血を拭い、怪我や骨折の具合を確かめる。


「また派手にやられたなぁ。今度は木刀か…。子供の力だったのが不幸中の幸いか、骨は折れてないみたいだな。」


「ねぇ袁爺、なんで坊っちゃまはいつも僕に酷いことするの?僕、仕事さぼってないし、何か失敗した訳じゃないのに…。」


俯いて呟く素鼠に、袁は言葉に詰まった。この境遇を身分のせいというには余りにも哀れと思うほど幼いからだ。しかし、今から躾けておかなければ苦労するのは素鼠自身だ。


「お前も俺も奴婢で、この国じゃ一番下っ端だ。奴婢は何されても耐えて、歯を食いしばらなきゃ生きていけない。言っちまえば耐えることが仕事だ。だからお前が悪いかどうかなんて関係ない。…さっきは黙って殴られてたんだろ?それで良かったんだ、上出来だ。」


「…もしそのせいで死んだら?」


「…そ、そりゃ運が悪かったんだと諦めるんだ。」


「袁爺はさ、もし僕がまた坊っちゃまに酷い目に遭わされても見てるだけなの?」


「…いいか、俺達は無力だ。期待するなんてことは絶対するんじゃねぇぞ。」


俺は仕事に戻るぞと、袁は立ち去っていった。結局ここぞという時助けてはくれないのだ。


「僕も仕事しなくちゃ…。」


痛む体に鞭打って薪割りを再開する。そう、この屋敷に仕える使用人は優しくもあり、残酷でもある。考えると辛くなるので、ただひたすら薪を割っていく。じきに夕方になる。夕食の支度や風呂などに間に合うように薪割りを終えねばならない。薪割りが終わり、もう夕暮れという時にひとりの女が走ってこっちに来た。何も言わずに素鼠の腕を掴み、無理矢理引っ立てる。素鼠は勢い余って転倒した。


「な、なんでしょうか?」


見上げると、それは騎嚴興の奥方、郭夫人付きの侍女であった。


「奥様がお呼びだよ。お前坊っちゃまになんてことしたんだい!」


どうやら馬檀が早速告げ口をしたらしい。引きずられながら郭夫人の部屋がある北の庭に連れて行かれると、郭夫人と馬檀が待ち構えて立っていた。郭夫人の前に投げ出され、素鼠は慌てて平伏する。素鼠は馬檀よりも郭夫人の方が恐ろしかった。


「お前、馬檀の靴をよりによって血で汚したようだね。これは私が馬檀の誕生日にあげた特注のものだ。どう償う?」


郭夫人の冷たい声に素鼠は震えた。


「奥様、坊っちゃま、大変申し訳ありません…。あの、僕がきちんと汚れを落としますので、どうかお許しください…」


「血というのは、なかなか落ちるものではない。ましてやお前みたいな下賤な者の血なぞ洗ったとて落ちた気がしないのだ。」


そして手斧を持ってこいと命じる。ギラリと光る手斧が用意され、素鼠は次に何が起きるか悟って震えあがった。


「足をお出し。靴を台無しにされたんだ、代わりにお前の足で償ってもらう。」


郭夫人が恐ろしい理由、それは下の者に対して容赦無い制裁を加えるところだった。制裁の度合いが苛烈なのはもちろん制裁を加える理由も些細なもので、郭夫人のせいでその昔馬檀の乳母だった女が死んでいる。他にも一生ものの傷を負わされた者もいる。妙齢にして残虐な一面のある女で、おそらく馬檀の嗜虐的な性格も母親譲りだろう。その馬檀は母親の衣の袖を掴んで少し怖気付いたように目の前の光景を眺めていた。


「お、お、奥様!どうかお許しください!

もう何も汚しませんから、もっと働きますから!どうか助けてください!」


必死で懇願する間にも、足を切るための台や藁などが集められ準備が進んでいく。何事かと屋敷に仕える者も集まってくる。


「…靴というのは、両足揃って役に立つのだ。片方使い物にならなくなれば、もう片方も必要なくなる。お前は片方の靴だけだと思っているだろうが、実際は靴一足分を台無しにしたのだ。よってお前は両足をもってして償え。」


ついに郭夫人が使用人に執行の命令を下す。貝が素鼠の体を押さえにかかり、柊が足を押さえにかかり、更に袁が手斧を持って近づいてきた。皆素鼠と共に寝起きし、共に仕える同胞だ。しかし今この時から同胞ではなくなった、と素鼠は絶望した。貝が素鼠の体を仰向けにして押さえつけ、柊が足首を縄で縛る。縛った足を藁を敷いた台に乗せ、周りにも藁を敷いていく。


「奥様!お許しください!お許し…許してえええ!!」


暴れて絶叫する素鼠の小さな体は、大人の男達にあっけなく押さえつけられて動かせなくなる。貝が涙目になって囁く。


「素鼠許してくれ…仕方ないんだ、仕方ないんだよ…」


仕方ないの一言は、あっけなく幼子の絶叫を無かったことにした。


「袁爺!助けて!助けてよおおお!」


期待するなと言われたことをすっかり忘れて、今度は袁にすがるように叫んだ。袁は真っ青な顔で唇をワナワナさせながら素鼠を見つめている。


「何をしている!さっさとやれ!」


郭夫人の叱咤でビクッと体を震わせ、手斧を握り直し素鼠の足元に座った。そして手斧をビュッと振り上げた。


「やめて、やめて、やめて!嫌だぁぁ!」


まさに振り下ろされるところで、素鼠は息を止めた。しかし袁の動きも止まった。歯を食いしばり、鼻で息をし、目を見開き、手斧を振り上げたまま固まっている。


「やれ!」


更に叱咤が飛ぶが、袁は手斧を下ろし地面に置いた。そのまま郭夫人に向かって平伏し震える声で嘆願する。


「素鼠はまだ幼く、今両足を失えば今後まともにお仕えすることはできません。ですので、どうか代わりにこの老ぼれの足でお許しいただけませんでしょうか?」


袁さん!と柊と貝が小声で止めるも袁は続ける。


「私の仕事は主に馬の番です。それはこの素鼠に引き継がせて、支障のないようにしますのでなにとぞお許しくださいませ。」


素鼠はゆっくりと袁に言われたことを思い出していた。しかし今袁は己が言ったことと真逆のことを素鼠の為にしている…。


「そうか、お前が代わりに罰を受けると言うなら、自分で自分の両足を切り落とせ。それができたら許してやろう。」


郭夫人に言われて袁は体を震わせる。しかし覚悟を決めたように胡座をかき、右手で手斧を持ち、左足首に狙いを定めた。


「袁爺、やめて!やめてよ!」


素鼠は叫んだが、袁はちらっと素鼠を見てニッと笑った。そして震える手で手斧を振り下ろした。


「…うああああー!!!」


袁の悲鳴が響き、鈍い音を立てて刃が足首に食い込む。躊躇とまどうせいで一撃で切断出来なかったのだ。激痛の余りのたうつ。


「袁さんやめろ!」


貝と柊が止めに駆け寄るも、郭夫人が叫ぶ。


「止めるならお前たちが身代わりになるか⁉︎」


そう言われて2人とも動きが止まる。


「余計な手ェ出すな…」


呻きながら起き上がり、手斧の柄に手をかける。そして叫びながら手斧を引き抜きもう一度振り上げたその時だった。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る