4話① 境遇

 騎嚴興の屋敷の裏口で子供が一人で薪割りをしていた。あまり食べさせてもらえていないのか、本当は6歳なのに4歳くらいにしか見えない。その年頃の子供なら柔らかくふっくらとしているはずの手は、あかぎれだらけの指と泥の詰まった爪をしている。子供は慣れた手つきで、薪に鉈の刃をちょっと入れ込みそのまま切り株に叩きつけて割っていく。使い古した鉈は子供には大きく今にも腕など切り落としてしまいそうだ。

 黙々と薪割りを進める子供に、開け放たれた裏口の門の外から声をかける客人があった。


「そこの子供、ここは騎嚴興様のお屋敷で間違いないか?」


客人は30代程の男のようで、商人や貴族のような格好をしている。普通なら表の門から訪ねるのに誰だろう、と子供は訝しむ。


「左様にございます。…どちら様でしょうか?」


「この文を騎嚴興殿に渡して、お会いできるよう取り次いでくれ。この文を見れば私が何者かわかるはずだ。くれぐれも直接渡すのだ。」


言って懐から文を出して渡す。

子供は受け取ってから、母家に向かった。

廊下を渡り嚴興の部屋の前で跪き声をかける。


「ご主人様、素鼠でございます。入ってもよろしいでしょうか?」


「何用か?」


「今裏口にお客様が訪ねて来られました。ご主人様にお目通りを願っております。お預かりしました文を見れば誰かわかるとおっしゃってます。」


しばらくの沈黙の後、入れと言う声がして素鼠は恐る恐る部屋に入った。嚴興は文机に向かいながら目も上げず、そこに文を置けと言う。素鼠は文机の端に文を置く。その文には椿の絵が描かれており、思わず嚴興は二度見した。慌てて文を読む嚴興の顔がみるみる険しくなる。そして怒鳴るように命じた。


「今すぐその客人をここに呼べ!それから執事を部屋の外に待機させておけ。」


「か、かしこまりました。」


逃げる様に部屋を出て、裏口で待たせた客人を案内する。韓執事を探して事のあらましを伝え、執事が主人の部屋へ向かうのを見届けてから素鼠はほっと息をついた。そうしてやりかけの薪割りをしに裏口に戻った時だった。

 


「おい、ドブネズミ!」


呼ばれて振り返ると、そこには嚴興の息子、騎馬檀きばだんが木刀を持ってニヤニヤと笑ってこちらを見ていた。素鼠と同い年の馬檀は体格に優れており、勉学よりも武芸に励んでいる。しかし使用人である素鼠を玩具と思っており、日頃事あるごとに痛めつけては楽しむ嗜虐的な性格をしていた。


「坊ちゃま、どうされましたか…?」


「今日師匠から新しい木刀を頂いたのだ。ドブネズミこっちに来い!」


嫌な予感しかしないが覚悟を決めて歩み寄ると、馬檀は木刀を振りかぶって思いっきり素鼠の肩に打ち据えた。衝撃で素鼠は地面に倒れ込む。横向きになったところを馬檀は構わず何度も打ってくる。腕、肋骨、腹、腰…。打たれた所の骨が響くように痛む。逃げたくても両手で抱え込むようにして頭を守り、息を続けることだけで精一杯だった。


「あははは!どうだ、ずいぶん強くなっただろう!」


次第に打つことに飽きたのか、今度は切先で胴を突いてくる。素鼠の痩せこけた体には一撃一撃が激痛だった。


「ぐっ…!げほ…!」


「おい、頭の手をどけろよ!」


それだけは無理だ、とさらに庇うように丸くなる。


「手をどけろって言ってんだろうが!」


顔に向かってつま先が飛んでくる。鼻に当たり血が噴き出る。そのせいで馬檀の絹の靴が汚れてしまった。


「汚いなぁ!何すんだよ!」


怒りで渾身の一撃を食らわそうと振りかぶった所に、馬檀を止める声がした。客人との話が終わったのだろうか、執事だった。客人と執事が険しい顔で馬檀と素鼠を見下ろす。


「卑しい奴婢の身と言えど、使用人は全てご主人様の財産でございます。無用に痛めつけて死なせては叱られます。」


「執事、こいつが私の靴を鼻血で汚したのだ。だから…」


「使用人の処遇はご主人様がお決めになります。さぁ私はお客様をお見送り致しますよ。」


そう言って裏口から客人を見送ると、執事はくるりと振り返って馬檀に部屋に戻るよう促す。


「…お前のせいで、怒られたではないか!父上と母上に言いつけてやる!」


馬檀は八つ当たりで素鼠の腹を蹴り上げて、執事と共に立ち去っていった。残された素鼠は体を仰向けにして息をした。体中が痛くて立てない。


「…ちくしょう…」


なぜ同い年なのにこんなにも体つきが違う?

なぜ同い年なのに馬檀は絹の靴を履ける?

なぜ同い年の子供にこんな仕打ちを受けねばならない?


「うぅ…ぐすっ…ぐす」


悔しい…!

たくさんの疑問と一緒に涙が溢れた。

しかし疑問に答えてくれる者も涙を拭ってくれる者もそこにはいなかった。

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