3話② 皇后と冬妃

 金馨宮から自分の宮に戻ってきた冬妃はその足で瀚皇子の部屋へ向かった。瀚皇子は先月病に倒れ、一時は命も危ういと言われたがなんとか回復していった。あの時感じた皇子を失う恐怖は、そのまま自身が今の地位から追いやられる恐怖になった。冬妃には皇帝の寵愛以外なんの後ろ盾も無い。ようやく授かった皇子は類い稀なる秀才で、冬妃の地位を盤石にするには不可欠な存在となった


「皇子に会いにきた。通せ。」


部屋の前に立つ女官に言うと、いやにもたつく。不審に思い侍女の静止を振り切って部屋に入ると、瀚皇子は夜着を着たまま机に向かい書物を読んでいた。


「皇子!寝ていなくてはならぬのに何をしているの?」


「母上!」


瀚皇子は慌てて書物から顔を上げ、しまったという表情で固まってしまった。わずか6歳にして読んでいた書物は、冬妃が密かに与えた帝王学に関するものであった。本来ならば太子しか受けられない教育を瀚皇子が受けていることは、冬妃の野望をはっきりと示していた。


「皇子、この書物は老師せんせいの講義の時だけ読むようにと言ったでしょう。今すぐしまいなさい。」


「ですが母上、他の書物はもう読んでしまって飽きてしまいました。なぜこの書物は隠れて読まねばならぬのですか?」


秀才といえどまだ幼子には権力争いや政治のことは理解するのには早すぎる。冬妃はため息をついて息子を諭した。


「いいですか。これは本来太子様しか読めぬものです。それを母が皇子の秀でたるを見込んで特別に用意したのです。これが他に露見すれば母だけでなく皇子も咎められます。そうなってはこの王宮から去らねばなるやも知れません。それは嫌でしょう?」


「…はい。」


「でしたら、母の言う通りにするのです。それに今皇子はまだ体調がよろしくないはず。寝ていなくてはなりません。さぁ寝台に戻りなさい。」


「はい、母上。」


この国において太子以外の皇子は弱い立場に追いやられる。それは母親である側室たちも同じだ。素直に返事をして寝台の布団に潜る皇子を見て、冬妃は思った。栄華を極めるには必ずこの子を次期皇帝にしてみせる、と。

 既に太子は皇后が産んだ彰皇子に決まっている。ならば彰皇子に引けを取らぬ程の知性を皇子につけなければならない。そして、皇后・太子派とは別の政治的勢力を皇子の後ろ盾としてついてもらわねばならない。露見すれば冬妃はもちろん瀚皇子も命の保証は無い。万一の時、皇子が助かるようにするため皇后にはこれから表面上良い関係を作るべきであろう。あの簪がその一歩になれば良いが…。

布団に横たわる皇子の胸をとんとんと叩きながら、考えをぐるぐると巡らしていると皇子が心配そうに聞いてきた。


「母上?そのように怖いお顔をなさってどうかしたのですか?」


「いいえ、なんでもありませんよ。さぁこのままゆっくりお眠りなさい。」


皇子を寝かしつけてから冬妃は部屋を出た。険しい顔をして自室に戻ると、椅子に腰掛ける。そして筆頭侍女の莉莉に命じた。


「莉莉、今から書簡を書くからそれを大右官長の騎様に内密に届けてちょうだい。決して誰にも見せないように伝えて。」


「かしこまりました。」


そうして冬妃は硯と筆を用意し、ある計画をしたためはじめた。



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