3話① 皇后と冬妃
栄始40年春
碧の首都西革にある皇宮、霍天宮の至る所で花が咲き乱れ、春の陽気に包まれていた。
皇后の住まい
「皇后様、そのようなことは私どもが致します。どうかお部屋にお入りください。」
侍女の声に構わず、皇后は水をやり続ける。
「私はこうして花の世話をする時が一番心穏やかになれるの。見てごらん、この見事な牡丹を。陛下から賜ったものだから特に素晴らしいわ。」
「皇后様、どうか中に。この牡丹もご自身で植えられて、手を土で汚されたではありませんか。今も、陽射しでお肌が焼けますわ。」
筆頭侍女の
「環玉、お前には敵わないわね。わかったわ。牡丹には全て水をあげたから、残りの花をお願いしてもいいかしら。」
「かしこまりました。」
皇后はジョウロを環玉に渡し部屋に入っていく。椅子に座り、女官の助けで手を洗う。やっと落ち着いてから、淹れてもらった茶を啜った。背もたれに体を預けていると、冬妃が来たと告げられる。
碧の後宮には皇后を筆頭に、貴妃、四季妃、妃、嬪、貴人、常在、答応という序列がある。四季妃はかつての第4代皇帝の好色が乗じて設置された位であり、春妃、夏妃、秋妃、冬妃がある。四季妃内の序列は同等ではあるが、四季妃になるには皇帝の深い寵愛と皇子の出産が必須条件であった。更に品格や一族の活躍も加味されるため、実際になれるのは、上級貴族出身の側室がほとんどだった。しかし、今訪ねてきた冬妃は違っていた。
冬妃は元は一介の女官であり、常民の身分であった。17歳で皇帝の目に留まり特に寵愛を受けて側室として答応に冊封された。翌年に子を産むが死産するも、常在、貴人に昇格していき嬪にまでなった。5年前の11月に皇子を産んだことで、女官出身の側室としては異例の妃に昇格した。当時34歳での出産であったため、今後子は望めないと噂されていたが、生まれた皇子が飛び抜けて優秀だった。弱冠2歳で文字を覚え、書を読み始めたことで皇帝を大層喜ばせた。それにより、ついには妃から四季妃の「冬妃」に昇格した。冬妃の権威の源は皇子の優秀さはさることながら、一番は揺らがぬ寵愛か、と皇后は思う。目の前で挨拶する冬妃は現在40歳を前にして、昔と変わらぬ美貌を保っている。艶やかな黒髪に一本の白髪もなく肌は透き通るように白くハリがある。
「皇后様、ご機嫌麗しゅう。」
「何の用かしら。貴女が訪ねてくるなんて珍しいわね。椅子にお掛けなさい。」
椅子を勧めるが、実のところ皇后と冬妃は昔から馬が合わない。おおらかで草花や自然を愛する皇后に対して、冬妃は気が強く、特に派手なものを好み宝石や衣に執心している。
「先月に
「皇后として当然のことです。後宮の子は皆陛下の御子。特別なことではありませんよ。」
「いいえ、それでも感謝しております。本日はお礼の品もご用意させていただきました。」
そう言って冬妃は自身の侍女に包みを開けさせる。そこには桐の箱があり中には翡翠の大玉が付いた簪が入っていた。
「このような装身具は冬妃の方が似合うのでは?」
皇后はちらりと一瞥して箱に蓋をする。
「まあ、皇后様には我が国の象徴たる翡翠が一番ふさわしいと存じます。どうか日々のお支度に加えていただけますように。」
にこりと笑ってから冬妃は席を立つ。
「それではこれで失礼致します。」
衣の裾をパッと翻して冬妃は早々に帰っていった。環玉が近づいて桐の箱を覗き込む。
「気になる?お前にあげましようか?私もこんな歳だし似合わないわ。」
溜息をついてもう一度箱を開ける。翡翠の緑色に金の装飾が
「滅相もございません。お歳などと仰いますが、未だ48でございます。…あの方ように飾り立てては逆に…」
言いかけてハッと口元を押さえる。皇后は片眉を上げてにまりと笑っていた。
「お前、誰かに聞かれでもしたら舌を抜かれるわよ。私の前だけになさい。」
「はい、失礼致しました。…ところで冬妃様はなぜこのように礼などと言ってこられたのでしょう。今まで皇后様とは最低限しか関わらなかったのに…。今になって皇后様のお近づきになろうとしているのでしょうか。」
簪をじっと見て皇后が呟く。
「確かにそう見えるわね。瀚皇子が先月大病を患ったから皇子を失った後の事を恐ろしく思ったのでしょう。でも違うわ、ここを見て。翡翠にヒビがあるでしょう。」
よく見れば翡翠玉にヒビが入っている。簪の柄との接着部分に近く金の装飾で見えにくいが、毎日挿すために手に持てば女官ならば気づいたかもしれない。
翡翠の玉は、建国神話に登場する白太山の夫神から賜った玉とされ、国名である碧の由来にもなっている。皇帝と皇后、ひいては国の象徴とされた。よってヒビが入っている翡翠を皇帝や皇后が身につければ不吉であると考えられている。あの宝石好きの冬妃がヒビに気づかないのは考えにくい。
「宣戦布告というところかしら。瀚皇子の優秀さに更に欲が出たのね。」
皇帝の世継ぎとして太子になっているのは、他でもない皇后が産んだ
「冬妃が具体的に何を考えているかわからないけど、彰皇子の身辺には気をつけるよう密かに伝えなさい。特に食事や薬は注意するように、と。」
「かしこまりました。」
箱の蓋を閉めて女官にしまっておくように命じる。皇后がこの簪を挿すことは一度も無かった。
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