2話① 捨て子

 栄始35年冬。それは霜が降る11月のことだった。廐番うまやばんえんは日も登らない暗いうちから起き出し身支度を整える。袁だけでなく周りで寝ていた男たちものそのそと起き出す。庭を掃き清める者、井戸へ水汲みに行く者、袁のように廐へ行って馬の世話をする者など皆仕事は様々だ。

 隣の大部屋からは女達が起きてくる。皆眠たげに目を擦りあくびをしている。中年の大柄な女が声をかけてくる。


「おはよう袁爺さん。この時期になると起きるのが辛いねぇ。」


「おはようびんさん、本当にな。でも俺みたいに年取っちまったらそうでもないよ。」


「そりゃ羨ましいよ。私はまだまだ若いから眠くてさあ。」


「何言ってるんですか?こないだ年取って腰が辛いからってあたしに水汲み頼んでたのに?」


横槍を入れるのは12歳くらいの少女で菜菜さいさいという。


「うるさいねぇ、ほらさっさとその水汲みしておいで。私はかまどに火おこしてくるから。」


菜菜の尻を叩きながら敏は厨房へ向かう。


 ここは大貴族、騎嚴興の屋敷である。

使用人達は空の明けやらぬうちに起きだし、主人一家を起こさぬよう朝の支度を始める。

ただ、この日はいつもと違っていた。

 下男のしゅうは、表を掃こうと箒を持って正面の門扉へと向かった。錠を解き、内開きの門を開けて外に出ようとすると何かを踏みそうになる。敷居のすぐ外側に薄汚れた布に包まれた塊があったのだ。よく見れば布には血が付いている。まさかと思い、抱き上げるとそれは生まれたばかりの赤子であった。弱っているのか泣き声をあげない。どうしたものかと赤子から視線をあげると、目前には痩せ細った女が立っていた。ボサボサの髪から覗く生気のない目がじっと柊を捉えていた。柊は驚きのあまり声も出ず、腰を抜かして赤子を抱いたまま座り込んだ。老婆のような声で女が呟いた。


「…あの夜を忘れたとは言わせぬ。決してこの子を死なせるな。」


そう言うと、女は屋敷の前をゆらゆらと歩いて立ち去って行く。歩いた後には血が点々と落ちている。どうやら女は先程この赤子を産んだ母親らしい。ガタガタと震えて動けなかった柊は、しばらくしてようやく悲鳴をあげた。




 碧では身分制度が厳しく、皇帝や皇族を筆頭に、上民じょうみん(政治や軍を担う貴族など) 、中民ちゅうみん(医師や技術者、専門職につく者など)、常民じょうみん(農民、行商人など)、下民げみん(屠殺や狩猟、墓守、検屍など忌み嫌われる職につく者)、奴婢ぬひ(使用人。犯罪者やその一族または子孫など。人身売買の対象となる。)に分けられる。

中でも奴婢は財産としてみなされており、公私なんらかの機関に必ず所属している。よって捨て子を拾ったからと言っても、奴婢の可能性もあるため、勝手に自分の家の一員として迎えることはできなかった。


 柊の悲鳴を聞きつけて、近くにいた使用人の貝が駆け寄ってくる。抱かれている赤子に気づいて驚くも、なんとか柊を助けお越しひとまず厨房へ連れて行く。厨房では敏が朝食の支度をしており、赤子を見るなり声を上げた。


「あんたその子どうしたの⁉︎」


「…門の前に捨てられてたんだ。俺、どうしよう…拾っちまった…」


柊は目の焦点があっていない。

赤子を拾っただけでこうもなるだろうか。


「びっくりしたのか尻餅ついてたんで、なんとか助け起こしてこっちに来たんです。俺たちはどうしたらいいかわからなくて…。ほら、こういうことは女の人の方が詳しいでしょう?」


貝が代わりに説明する。


「それなら貝、あんたは毛布持ってきてこの子を巻いて。ああ、菜菜水汲み終わったかい?恵香さんの所にこの子連れてって、乳あげてくれるよう頼んで。」


おたまを持ったまま、敏がテキパキと指示を出す。菜菜がそっと離れの部屋に行くと、そこには恵香がつい先月生まれた騎嚴興の息子に乳をあげていた。恵香は常民出身で自身も子供を産んだがすぐに赤子が死んでしまい、こうして騎嚴興の屋敷の乳母として雇われていた。菜菜は捨て子らしいと説明する。恵香は授乳が終わると、菜菜から赤子を二つ返事で受け取った。菜菜が部屋の外の様子を伺いながら問う。


「恵香さん、私たちこの子拾っちゃったけど、大丈夫かな…」


「屋敷の前に捨てられてるのに見殺しにした方が、ご主人様は後々世間から非難されるわ。」


恵香はあっさりと答える。赤子の口元に乳首を近づけると、弱々しくも吸い付いた。そしてそのまま飲み始めたようだ。


「菜菜、赤子はひとまずここで面倒見とくから、他の方に報告しておいて。後のことはご主人様がお決めになるでしょう。」


恵香が言い終わるや否や、部屋の戸が勢いよく開く。貝が毛布を抱えて入ってくる。


「菜菜、毛布持ってきたぞ!綺麗めな…

あああ!ごめんなさい!お邪魔しました!」


恵香の胸元がはだけた姿を見て、慌てて出て行く。


「貝!いきなり戸を開けないで、騒がしい!それに赤ちゃんたち泣き出したじゃない!」


結局この朝の騒がしさは、抑えようにも抑えられず、主人一家をいつもより早くに目覚めさせてしまった。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る