1話② あの女
「翠鳥、ちょっとこっちへ」
店の廻しの者に呼ばれて、周囲に断ってから席を立つ。
「なんでございましょう?」
翠鳥は別の宴席に呼ばれたかと思ったが回廊に出ると早口で、紅雀の部屋へすぐに行けと言われる。そして、くれぐれも怒りを買わぬようにやり過ごせ、と申し渡される。紅雀の部屋に呼ばれる心当たりは無い。今宵は首都警備の兵士が10人ほどで宴会を開いており、そこに侍ることが見習いの主な担当のはずなのに、なぜ上級の妓女の部屋へいかねばならないのか。
考え込みながら案内されるまま部屋の前に来ると紅雀が恐ろしい形相で睨みつけている。
「お前さっきは旦那様に碌に挨拶せずに通り過ぎてったね。それで旦那様の気を引こうとしてたのかい?いいかい、中に入ったらさっきの非礼を詫びてすぐ出るんだ。わかったね?」
小声で怒鳴りつける紅雀よりさらに小さな声で翠鳥が返す。
「あの、紅雀姐さん。私今日は最初から首都警備の一団の宴に出ていて、大右官長の騎様にはお目にかかっておりません。後から同輩の燕媚と蓉鶴が参りまして、そのどちらかとお間違えでは無いですか?」
「は⁉︎何を言って…?」
確かにあれは翠鳥だった。でも見習いの妓女は水揚げまで古参の妓女について宴席を共にすることが多い。もし翠鳥が嘘をついていても、古参の妓女に確認すればすぐわかる。
…では、あの女は誰なのか?
「あんたはどうであれ、部屋でお待ちの旦那様には関係無いよ。いいかい、すぐに出てくるんだよ!」
そうして一呼吸置いてから紅雀が障子を引く。
「旦那様、翠鳥を連れて参りました。」
おずおずと部屋に入る翠鳥の背に、タンと障子の閉まる音が響く。
「お前が翠鳥か。さっきの太々しさはどうした?」
寝台に腰掛けて酒を飲みながら嚴興が舐めるように翠鳥を見る。
歳の頃は16、7か。かなり華奢な体つきで、肌は透き通るように白く、儚さを醸し出していた。前で組む小さな手は、翡翠色の裳を掴んで震えている。翠鳥にとっては紅雀も怖いが、客の機嫌を損ねることはもっと怖い。ましてや相手は大右官長である。
「翠鳥と申します。先程は私めのような見習いが、騎様に
翠鳥はその場で平伏する。
「ふん。なかなか肝が据わっている女かと思ったがそうでもないな。次回だと?次回というのは、つまり今だ。近うよれ。」
嚴興は手招きし、恐る恐る近づく翠鳥の手を引いて強引に自分の片膝の上に座らせた。
「平凡な女とは思いつつも、顔はなかなかに可愛いではないか?え?」
嚴興が翠鳥の顔を撫で回すが、翠鳥は目を瞑って固まっている。
「おやめください…私はまだ見習いですので…」
「なに?さっきはきちんと挨拶をすると言っておいて何を抜かす?それに今儂がここで水揚げしてしまえば何も問題無いではないか?」
言うや否や、翠鳥を寝台に押し倒す。
「おやめください!旦那様のお相手など務まりません!紅雀姐さんに…」
「紅雀は確かにいい女だが、少々トウが立っている。たまには若い女も欲しいものなのだ。」
そう言って胸元の襟に手をかけ衣をはだけさせる。顔を埋めて首筋をねっとりと舐める。翠鳥はひっと声を上げて、入り口の障子を気にして目をやる。紅雀が立っている影が見えるが中に入ってこない。飛び込んで嚴興の不興を買うのが嫌なのだろう。恐らくこの後翠鳥を待っているのは、紅雀からの凄まじい折檻だ。どうしようもない翠鳥は、諦めたように目を閉じた。
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