雨のち晴れ
華月
第1話 お団子とコーヒー
純喫茶『雨のち晴れ』は、今日も元気に営業中だ。
都内某所。駅からやや離れたところに、店はあるけれど、歩いてもさして遠くはなく、通うのに不便という場所でもない。
喧騒と静けさの、ちょうど真ん中ら辺に店は存在した。
ある雨上がりの午後。
常連の男性が、店を訪れた。
「マスター!ただいま!」
「お帰りなさい!雨、降られませんでしたか?」
マスターこと、雨宮晴(あまみや・せい)も和やかに出迎える。
雨宮はいらっしゃいませと、言わない店主だ。彼の方針でお客様とはゲスト。招いた友人の意味合いが強い。そのため、こんにちは!とか、お帰りなさい!と彼らを出迎える。
「電車での移動が多かったので。会わずに済みました」
彼は、開店当初からのお客様で芹沢という。年は四十代位だろうか。仕事柄、色々な土地に行くらしい。いつも仕立ての良いスーツを着ている。雨宮が知っているのは、そこまでで、彼が芹沢という名であることは知らない。
彼も、店を持つ前の雨宮を知らない。雨宮の見た目、二十代と見るには、落ち着きがある気もするし、三十代と見るには、若そうな印象を与える。
不思議な雰囲気を持つ青年だ。芹沢は常々思っている。
「今日、所沢に行ったんですよ」
芹沢はカウンター越しに、団子を広げた。
「所沢の焼き団子!」
醤油の芳ばしい香りが、ふわっと広がる。
焼きたてで、とてもおいしそう。
話によると、せっかく名物の団子を買ったので、相性抜群の狭山茶で頂こうか、とも思った。
しかし…マスターの、旨いコーヒーで頂くのも趣(おもむき)があって、旨そうじゃないかと、おすそ分けがてら訪れたという。
「かしこまりました」
ここでは豆の選定、焙煎から作業に入る。
煎り立てのコーヒーを頂ける。
雨宮が選んだのは、ブラジル産の豆をベースにしたブレンドコーヒー。フレンチローストにしてコク、酸味、苦味を程よく調和させる。
フレンチローストとは、深煎りの焙煎方法である。深煎りにすることで、お湯の温度を八十度以下まで下げても、おいしく頂けるのだ。
今回は、この八十度以下に狙いがある。
店内に焙煎の良い香りが、いっぱいに広がる。
…団子食いてぇ!
芹沢は胸の内で首を振る。
…いやいや。がまん、がまん!
雨宮が声をかける。
「コーヒー仕上がりに、お時間かかりますから、温かいうちに召し上がっていて下さい」
芹沢は満面の笑みで答えた。
「お気遣いありがとうございます。確かに焼きたてもおいしいし、頂いてきました。しかし、冷めても食感が変わり、おいしいんですよ」
この言葉に嘘はない。しかし、意図は別にあった。
彼は食品専門のイベンターである。今回催事の出店依頼にあたり、持ち帰った場合の味わいの変化を検証する目的があると同時に、日本茶を好む好まぬ関係なく、コーヒーで頂くという新発想、新提案が可能かどうか。お店側もお客様側も受け入れるかどうか、その検証もしておきたかった。
コーヒーが仕上がった。
「大変お待たせ致しました。今回は湯呑みで、お楽しみ下さい」
「湯呑みですか」
…面白いな。
芹沢は手に取った。
とても素朴な、ちょっと歪みがある茶系の湯呑み。手作りだ。
雨宮は、おいしいコーヒーを追及するため、陶芸教室にも顔を出している。取っ手や強度が難しい、マグカップは作れないが、自作で湯呑みや、平皿はたまに店で使う。
「マスターの自作ですか?」
「ええ」
雨宮は微笑んだ。
芹沢は一口、飲んでみた。
「うまいなぁ…」
仕事抜きに、心からそう感じる。
イベンターとして最重要事項だ。
緑茶の、おいしいとされるお湯の温度が、茶葉の種類等にもよるが、だいたい七十度から八十度位。今回の焙煎方法ならば、低温でも充分楽しめる。
団子とコーヒー。湯呑みでコーヒーという、一見相容れない組み合わせでも、調和させることができる。
先入観を取っ払う。それは人も商品も同じではないだろうか。商品を作る人も、扱う人も、買っていく人も人なのだから。
…マスターはそんな、ささやかな願いを一杯に込めたのではないだろうか?
芹沢は思った。
団子とコーヒーを楽しむうちに、ボヤッとしていたアイディアが、頭の中で鮮明に見えてくる。
…良い企画書が書けそうだ!
彼は席を立った。
「ごちそう様でした!いやぁ最高の時間を過ごせました!」
雨宮は頭を下げた。
「光栄です。またのご来店をお待ちしております」
店を出て、少し歩いた。
…おや?雨でも降ったのかな?
道路がうっすら濡れていて、太陽も出ている。太陽を背に、空を見上げる。
…虹だ
彼は携帯を構えた。
同じ頃、雨宮も団子片手に小休止していた。
…ああ、おいしい。
ふっと笑顔が、ほころぶ。
なんとなく窓の外を見上げる。
…虹?
店外に出てみる。携帯のカメラで捉えた。
…あの人も虹を、眺めているだろうか?
雨宮は思った。
…あの人が選ぶ商品は皆、優しい香りがする。きっと、人にも商品にも誠実な方なのだろう…。
そんなことを思いながら、虹が消えるまで、いつまでも眺めていた。
雨のち晴れ 華月 @tsu-ki
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