第41話 折れた心

 イツキが屋敷から出て行ったシャーリーを追いかけると、彼女はいつもの笑顔で振り返った


「あれー? どうして追いかけてくるんですかー?」

「シャーリー」

「もしかして、私のこと好きになっちゃいました? これまであんな扱いしてきたのにイツキさん、ちょっとチョロすぎませんかねー?」


 これまで気付かなかったが、彼女の瞳の奥には暗い闇が宿っていた。

 人を小馬鹿にしたような態度も、それを隠すための殻だったのだろう。


「……」

「……はぁ、そんな目で見るのはずるくありません?」

「そんな目?」

「私のこと、大切に思ってるみたいな目ですよー……」


 そんなつもりはなかった。

 少なくともイツキは、シャーリーに対して家族のような想いを抱いていないし、好意だって抱いていないのだ。

 だがそれでも、もし彼女が言うような目をしているとしたら――。


「お前も、いきなり一人になったことがあったんだな」


 ただの同族意識だろう。


「……まあ、あそこまで話されちゃったら、別に良いですけどね。イツキさん、ちょっと一緒に歩きませんか?」

「ああ」


 イツキに背を向けて歩き出したので、そのまま彼女の横に。

 どこに向かっているのか分からないが、そのままついて行くことにした。


「迷宮って、ロマンに溢れてるんですよ。魔物を倒せば高価な魔石や素材が手に入って、深く潜れば誰もが認めてくれる。何も無かった人たちにとってすべてが手に入る、そんな場所なんです」

「そうかもな」

「だから、いつの間にか手に入れていた大切な物にも気付かず、命を賭けてしまう」


 どんどんと人の少ない方へと進んでいくと、その先には教会があった。


 そういえばこの世界にどんな宗教があるのかイツキは知らない。

 加護を与えてくれている神がいる以上、それにあった宗教があるのはごく当然のことだが、どうにも神に対して崇高の対象という印象はなかった。


 シャーリーは慣れた様子で教会の裏手に入ると、墓地らしき場所が広がっている。


「ここは?」

「冒険者たちが死んだら、ここに埋葬しているんです。と言っても死体が残ることなんてほとんどないので、遺品とかそういうのを入れてるだけですけどね」


 そうして彼女は一つの墓の前に立つ。


「私たちは最強でした。絶対に誰にも負けないって思ってたし、いずれは迷宮だって踏破してしまうんだって、みんなで笑いながら生きてきました」


 ――そして、たった一匹の怪物を前に全滅した。


「一番を求めなければ、きっと生き延びられた。誰かの作った道を歩けば、危険なんてなかった」


 迷宮というのは余りにも魅力的すぎた。

 それゆえに、彼女たちは前に進んでしまった。

 その先に待っている地獄に気付かずに――。


「先にザナトスのクランが辿り着いていたら、全滅していたのは彼らだったでしょうね。そして、私たちはその情報から対策を作って、きっと倒せていたはずです」

「そうかもな」

「運が悪かった、なんて言う人もいましたけど……違うんです。迷宮というのは、そういう場所なんです」


 そうして振り返った彼女は、達観したような表情をしていた。


「私は迷宮を進むことを止めました。だって、進めば必ずその先に待っているのは地獄だから」

「じゃあなんで、イングリッドの部下として迷宮探索を進めていたんだ?」

「上層なんか、大した危険も無いからですよ。情報もあって、同じパターンの敵しか居なくて、たとえ万の軍勢が襲ってきたって私には勝てない程度の、そんな安全な場所だからです」


 その安全な場所で、多くの奴隷が死んできた。

 だがイツキには彼女の言うことも分からなくはない。


 安全な場所で、安定した収益を得られればそれに越したことはない。

 それこそ、彼女なら単独で30層程度なら進むことも余裕だろう。


 そこまで進められる冒険者などほとんどいないのだから、得られる収入も十分すぎるものだ。


 だが――。


「本当に迷宮から離れたいんだったら、この都市から抜ければ良かったんじゃないのか?」

「……」

「なんで心が折れたあとも、迷宮に居続けたんだ?」

「イングリッド様と出会っちゃったからですよ。あの方は、私のことを分かってくれましたからねー……」


 シャーリーはその出会いについて言葉にはせず、ただ思い出すように空を見る。

 先ほどまで快晴だった空は、まるで彼女の心を映しているかのように濁り、そしてポツポツと雨が降り始めた。


 シャーリーはかつて折れた自分をすくい上げてくれた、元気な少女を思い出す。


 ――なんだお主、泣いているのか? そうか……ならとりあえず我が屋敷に来い! 温かいスープを出してやろう!

 ――我はいずれこの迷宮都市で誰も知らないほど名を上げるのだ! まあ、戦えないから誰か人を探さねばならんけどな!

 ――なるほど、迷宮とはとても恐ろしい場所なのか……だったらお主はもう……


「戦わなくてもいい。ただ傍に居るだけでいい。疲れた私には、とても心地の良い言葉でした」

「イングリッド様はまあ、そんな感じだよな」

「頭の悪いおバカさんなんです。何も考えていない、私を使えばそれなりに名声なんて簡単に手に入るのに、そんなこともわからないで……」


 そうだろう、とイツキも思った。

 奴隷から解放するときも、もう少し色々と考えればもっと良い条件で自分を縛れたはずなのだ。


 なのにあのどこか憎めない小さな主は、高笑いをして、脳天気に過ごして居なければならないような、そんな気もした。


「だ、誰が脳天気なおバカだー!」

「「え?」」

「お、お主たち我のことそんな風に思っていたのか⁉ え、ちょ、え? のう、なんかその、酷くない?」


 振り向けば、そこには自分たちの小さな主が立っていた。

 途中の言葉を聞いていたのか、ショックを受けた風でがびーんと効果音が聞こえて来そうな表情だ。


「イングリッド……様? どうしてここに?」

「なんかセレスティアから、我の力が必要なんだと言われて来てみた仕打ちがこれ? ちょっとあやつ性格悪すぎないか?」


 それを聞いて、なるほどと思った。

 シャーリーが戦う気になるとしたら、自分の言葉よりも――。


「ま、まあいい。とりあえずシャーリー」

「……はい」

「我のこと、そんな風に思ってたのかえ?」

「イングリッド様、聞くのはそれじゃない」

「え? でも今一番大事なのは……」


 そう言いつつ、シャーリーの表情を見て、むむむとイングリッドは言葉を変える。


「戦いたいのか?」

「え?」

「また迷宮で、怖い思いをしてまで、戦いたいのか? と聞いておる」

「あはは、そんなことするわけないじゃないですかー。だって私は、もう貴方の部下で、それで……」


 言葉に詰まり、喉からそれ以上出てこなくなる。

 そんなシャーリーにイングリッドは近づくと、小さな身体でそっと抱きしめた。


「分かった」

「イングリッド、様?」

「お主が一人で言えないなら、我が命令してやる」


 そうして彼女目をまっすぐ見つめる。


「戦えシャーリー。そして、この迷宮都市で誰が一番の冒険者なのかを、そしてその主が誰なのかを知らしめてやるのだ!」


 そう言った瞬間、シャーリーはまるで崩れ落ちるように涙を流した。

 だがそれは、降り注ぐ雨に紛れて消えていく。


 しばらくして、雲が晴れて太陽が出てくる。

 そのときにはもう、シャーリーの顔はいつもの笑顔に戻っていて――。


「イングリッド様は私が居ないと何も出来ないんですから、あまり長居はしないようにしますよー」


 照れ隠しのように、そう言うのであった。

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