第36話 対峙

 扉の隙間からメイドたちは見た。

 ベッドに座るカムイ。そしてその膝に頭を乗せてリラックスしている主人であるイツキ。


「な、なあエレン。イツキ様とカムイの距離、近すぎないかな?」


 顔を赤くしながら、赤い髪を団子にしたリズ。

 迷宮にポーターとしてついて行くときは立派な騎士の格好をしているが、今は他と同じくメイドの格好をしている。


 普段は凜としていてイツキに対して敬語をしっかりと使う彼女だが、同僚である他のメイドたちには気さくな言葉遣いをしている。


 それは彼女と同じように扉の隙間から覗き込んでいるのはエレンに対しても同じ事。


「こ、このままだとその……このままだとエッチな展開に……」

「良いことじゃありませんか。イツキ様は主で、私たちは奴隷なんですから、むしろ私はいつでも大歓迎なくらいですわ」

「お、お前とシルヴィアがそういうのを待っているのは知っているが、私はまだ、その……」


 顔を髪と同じように真っ赤にして、照れた顔をする。

 その恥じらいの姿は普段の凜とした様子とは打って変わりギャップが凄い。


 ――可愛いですわね……。


 もしここに男がいれば、獣となって彼女をそのままベッドインさせてしまうような展開。

 女のエレンですら、部屋に持って帰ってしまおうかと思ってしまうほどだ。


 とはいえ、彼女も自分も主の物である、イツキが命令をしない限りはそういうことは許さないのだが。


「まあ、残念ながらしばらくは貴方の想像するようなことにはならないでしょうね」

「そうなのか? でもイツキ様だって男だし……」

「あの方はどこか、私たちとは違う場所を見ていますから」

「……違う場所?」


 首をかしげているリズが若干ポンコツっぽく見える。

 とはいえ、これに気付いているのは恐らく自分とカムイだけだろうという予想があった。


「見なさいなあの愛らしい顔。カムイを信用しきって身を任せる姿は、とっても可愛らしい」

「そうだな。迷宮で戦うときに見せる凜々しい姿も格好いいが、今のあの顔も……」


 カムイの膝枕で安心しきり、眠っているイツキ。

 そんな表情を見せてくれるのは自分たちの前だけだ。


 ――たとえそれが、奴隷という絶対に逆らえない立場であるからこその安心だったとしても……。


 それでも、エレンは誇らしく思う。


「あの人はまさしく天が与えた英雄。でも、英雄だってときには安らぎが必要だと思いませんか? ねえ、リズ元騎士団長?」

「っ――⁉」

「若くして王国の剣を担い、多くの国民の期待を背負った貴方なら、特に分かるのではありませんか?」

「そう……だな」


 女であり、騎士のトップ。

 国の守護者であるべき己の重責は、とてつもない事になっていた記憶がうっすら蘇る。


 エレンから見たイツキは、とても危うい。

 英雄と呼ばれる人間が常人とは異なる雰囲気を纏っているのはよくあることだが、彼の場合はどこか『ズレている』と感じていたのだ。


 それがただ記憶喪失だからなのか、それはイツキが答えない限りは分からない。

 それも教えて欲しいと思うこともあったが――。


「私たちの役目は、あの方の止まり木になること。もし女を求めるなら女として、癒やしを求めるなら癒やしとして、あの方の望むために生きなければならないの」

「……」

「だから、カムイが今やっているのはきっと、イツキ様にとってとても大切なことだから、嫉妬とかそういうことはしては駄目よ」


 そうして二人は扉からそっと離れる。

 リズは少し考え事をしながら、エレンは機嫌良さそうに。


「まあでも、イツキ様は経験とかなさそうだし、誰かがやっちゃったら一発で求められちゃうかもしれないわね」

「なぁ!」

「そのときは、一緒にどう? リズなら私も可愛がってあげるわよ」

「そ、そもそもお前も経験ないだろ! 奴隷館のときに聞いてるんだからな!」

「ふふふ、そうね。だけど商人の娘として、色々と勉強はしてきたわよ。ええ、色んな事をね」


 大人の余裕を見せるエレンに、リズは顔を赤くして涙目になる。

 そんな顔を見て、エレンは満足げに自分の職務へと戻っていった。




 翌日。


 イツキは迷宮探索に行かず、とある場所に向かっていた。


「ここか」


 巨大な塀に囲まれた豪邸。

 百人以上住んでいてもなお余裕のありそうなそこは、この迷宮都市最大のクラン『栄光グローリー』の本拠地だ。


「何者だ⁉」

「ここをどこだと思って――っ⁉」


 門の前には門番が二人。

 不審者がやってきたのだと思ったのか、警戒した様子で声を上げる。


 しかしその正体がイツキだと気付いた瞬間、顔を青ざめさせた。


「お、おま、お前……」

「ここのマスターに用がある」


 すでにイツキが『百獣の王キングビースト』を壊滅させたことは広まっており、次は『栄光グローリー』がターゲットにされている、という噂が迷宮都市には流れていた。


 だからこそ、門番たちは焦る。

 彼らは冒険者であるが、加護を得ることが出来ていない者たちだからだ。


 そして仮に加護を得ていても、すでにトップクラスの実力を持つイツキとまともに戦えるのはここの一軍のみ。

 勝てるはずのない敵がやってきて、怯えるのは仕方が無いことだった。


「案内しろ」




 イツキが屋敷に入ると、エントランスには数十人の冒険者たちが武器を構えていた。

 それをざっと見渡し、彼らが全員加護持ちであることが分かる。


 ――とはいえ、この程度なら勝てるな。


 これは何となくだが、レベル差がある気配はしっかりと掴んでいた。

 それはステータスが見えるからというわけではなく、これまでの戦いで培ってきた経験則。


 だがそれは相手も同じようで、迂闊にイツキに攻撃を仕掛けようとする者はいなかった。


 そして――。


「確かセレスティアと共にやってくるはずだと聞いていたが……まあいい」


 結局、イツキが暴れなかったため、『栄光グローリー』の面々も手出しが出来ないまま奥まで進む。


 そこで待っていたのは、力強い筋肉を纏った、大柄の男。

 瞳は力強い覇気に溢れ、ただ対峙するだけでその強さが分かる。


 ――こいつが。


 現時点で、この迷宮都市ユグドラシル最強がセレスティアだとしたら、最高の冒険者はこの男。


「歓迎しよう」


 最大規模のクラン『栄光グローリー』のマスターにして、『ヘラクレス』の加護を持つ男――ザナトスは、堂々たる風格で待ち構えていた。

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