第35話 休息

 イングリッドの屋敷を出たイツキは、そのまま自分の屋敷に戻る。


「イツキさん!」


 イツキが帰ってきた事に気付いたシルヴィアが、掃除の手を止めて慌てて近寄より、そのまま勢いよく抱きついてきた。

 

 顔に似合わずふくよかな胸が身体に当たり、受け止めたあとはほんの少しだけ身体を離す。

 ハーフアップの金髪が自分の目の前で揺れ、クリッとした碧眼は子どもらしさと女性の間特有の魅力があった。


 そんな彼女は今、心配そうにこちらを見上げている。


「大丈夫でしたか⁉ 私のせいでイングリッド様に怒られたりしてませんか⁉」

「ああ、大丈夫だよ」

「あぁ……よかった」


 最初にメイド服を用意したのはシャーリーであり、上から見ると谷間がはっきりわかる、男を誘惑する作りとなっていて――。


「っ――」


 思わず視線を逸らす。

 イツキは変更させようとしたのだが、ここのシルヴィア含め女性陣からノーが出て変更不可能な物だった。


「そんなに心配しなくても」

「するに決まってますよ! 元を正せば私が捕まったのが原因なんですから!」

「だとしても、それに責任を感じる必要なんてないだろ」


 事の発端はシルヴィアが買い物に行っているとき、『百獣の王キングビースト』の面々に攫われたことだ。


 と言っても、当然ながら彼女に非などあるはずがない。

 悪いのは力を持っていながら、一般人を襲った冒険者たちなのだから。


「とりあえずイングリッド様にはちゃんと話をしてきたから、あとは俺の問題だけだから心配しなくていい」

「でも……」


 うっすら帯びている涙を軽く拭ってやり、笑顔を見せる。


「シルヴィアはいつも笑顔で笑ってくれる方がいいからな」


 イツキがそう言うと、シルヴィアは顔を紅くして照れた雰囲気に。

 

「イツキ様は、優しすぎます……ずるいです」

「……とりあえず、少し部屋で休みたいからご飯が出来たらまた呼んでくれ」

「はい! とびっきり美味しいの、また作りますからね!」


 ――元気になってくれたみたいで良かった。


 そう思ったイツキが自分の部屋に戻ると、そのままベッドにダイブ。

 そして布団を被ると――。


「……………………はっず」


 身もだえた。


「いやいやいや、あんなの俺のキャラじゃないだろっ」


 ――シルヴィアはいつも笑顔で笑ってくれる方がいいからな。


 そんなキザな台詞を言ったことなど、これまで一度もなかったというのに、あまりにも自分とかけ離れた言葉。 


 それが恥ずかしすぎて布団の中で叫んでしまう。

 枕で顔を隠しているため音は外に漏れないが、感情面で言えば爆発しているような状態。


「でもそうしないと、シルヴィアが悲しむから、だから!」


 あああー! 枕に顔を付けて叫ぶ。

 顔は真っ赤に、そして恥ずかしさに死んでしまいそうなほど心臓は早く動いている。


 イツキは元々、どこにでも居る普通の大学生だ。

 特に女関係についてはこれまで縁の無い生活をしていたため、慣れないことをした自覚があった。


 だからこそ、死ぬほど恥ずかしく思っているところで――。


「……びっくりした。なにしてるの?」

「……」


 背後から、そんな声が聞こえて声を止める。

 そして立ち上がると、そこには戸惑った様子のカムイが立っていた。


「カムイか。なんでもない」

「え、でも……」

「なんでもないから」


 彼女を部屋から追い出そうとするが、何故か抵抗をする。

 それどこか、そのまま部屋の中に入ってきた。


「あのなカムイ、男の部屋に簡単に入っちゃ駄目なんだぞ」

「ん」


 ベッドに座ると、彼女は自らのそのまま膝をポンポンと叩く。

 これは膝枕をしてやろう、という彼女の合図。


 疲れているときはこれをして貰えることに癒やしを感じるのだが、今は恥ずかしさが勝っていて逆に警戒をしてしまう。


「ん」


 しかし彼女は許してくれないのか、そのまま無言の圧力でこちらを見てきた。

 どうやら先ほどの奇行を見て、彼女の使命感を燃やしてしまったらしい。


「……」

「……」


 しばらくして、イツキは根負けしたようにカムイの横に座ると、そのまま頭を彼女の横に置く。

 すると頭をなでなでとしてくるが、抵抗はしなかった。


「イツキはいつも、頑張りすぎだ」

「俺は遅れてるから、その分頑張らないと……」


 迷宮都市ユグドラシルにやってきた時点で、何も知らなかったイツキ。

 今も知識などもなく、ただただチート頼りに迷宮を降りていっただけなのでは無いかという焦りもあった。


 なにより、たった一人でやってきたこの世界に出来た家族。

 それを傷つけられることがあるということを知って、少しだけ恐怖も覚えてしまったのである。


「人は何時だって、遅れてるものなんだぞ」

「え?」

「セレスティアだって、イングリッド様だって、シャーリーだって、未来にいる理想の自分よりみんな遅れてるんだ。だから安心して良い」


 安心して良い、というのはどういうことがわからない。

 だが確かに、未来の自分からすれば足りない物などいくらでも出てくるだろう。


「理想の自分より足りない、か」

「ああ、そうだぞ」


 カムイはイツキと同じくらいの年齢のはずだが、どこか達観した雰囲気も感じる。

 それは人とは異なる長寿の生き物であるエルフだからこそなのか、それともカムイだからこそ、なのか。


「人はいつも足りない物だらけだ。だけど、だからこそ持っている物を大事にするし、出来る範囲で頑張れる。イツキが私たちのことを大切に思っているのはちゃんと伝わってくるから、だから私たちもイツキのことを大切に想う」

「でもさ、それは奴隷だからじゃないのか?」

「違う」


 つい、カムイの母性に身を任せていたせいか、普段から心の底に秘めていた想いを吐露してしまう。

 

 イツキが勝手に家族と思っているだけで、彼女たちはみな買われたから仕方なく、契約したから逆らえないから。

 そんな理由で家族ごっこをしていただけなんじゃないかと不安があった。


 しかしそれは、カムイの一言であっさり一蹴されてしまう。


「私たちは主人を選ぶことが出来た。その中でイツキを選んだのは、確かに打算なんかもあったのかもしれない」


 私は無かったけど、と付け加える。


「だけどイツキみたいに優しくしてくれる主人はいない。大切に、家族のように接してくれる主人もな。だからシルヴィアも、リズも、エレンもみんなイツキのことが好きなんだ」

「そうか……」

「ああ」


 ホッとしたと同時にカムイの手に意識を委ねると、だんだんと眠くなってきた。 

 

「だから安心して欲しい。たとえ世界中がイツキの敵になっても、私たちはみんなイツキの家族として傍にいるから」

「……」


 ――一人でいるのは不安だ。


 たった一人、この世界に置き去りにされたイツキにとって、傍に誰かが居てくれるというのはとても嬉しいことだ。

 

 だからこそ、普段以上に意識がから回っていたことを自覚する。


「明日……クランと交渉するんだ」

「うん」

「本当は全員叩き潰して、二度と手出しを出来ないようにしてやるつもりだったんだけど……」


 そこまでしたら、今度こそ戦争になるかもしれない。

 そのとき傷つくのは、力の無い彼女たちの方だ。


「出来るだけ、みんなを守れるように頑張る」


 その言葉に返事はなく、カムイはただ優しく撫でるだけ。


 イツキも、それだけで良かった。

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