第34話 適応
イツキは正直、この世界が嫌いだった。
突然わけもわからぬ内に飛ばされ、盗賊たちに捕まり、そして奴隷にされて命を賭けさせられたのだから当然だろう。
たとえ今、この迷宮都市で最も話題の男になったとしてもそこで得る優越感より、嫌悪感の方が強かったくらいだ。
ただそれでも、人間の恨み辛みのエネルギーというのは無限に続くものではなく、次第にこの世界のことを受け入れ始めていた。
それは単純に、この世界に適応した、と言っても良いかもしれない――。
今、イツキはこれまで誰も見たことのないほど冷たい瞳で、男を見下ろしていた。
「それで、言い残すことはあるか?」
「ひ、ひぃぃぃ⁉ 悪かった! もうアンタにも、あんたのところの奴隷にも手を出さねぇから許してくれ!」
「もう手を出さない?」
イツキの目の前には今、多くの男たちが死に絶えている。
残った男も涙目で懇願をしているが、イツキは許す気などなかった。
なぜなら、彼らはイツキの大切な『家族』を傷つけたから。
「お前、あそこでシルヴィアが泣いてるのが見えないのか?」
「ま、まだアンタをおびき寄せるためだけに攫っただけで、なんもしてねぇよ! 部下たちにもちゃんと言いつけたんだ! だから――」
迷宮都市において、イツキ以上に有名な男はいない。
なにせ常識外れのスピードで迷宮を攻略していき、あっという間に最前線の一歩手前まで来たというのは、他のクランの人間にとって脅威であった。
そして、その分だけ嫉妬をされたり、こうして直接的な攻撃に出る者まで現れる始末。
「なあ、俺なら勝てるって、そう思ったのか?」
「あ、あ、あ……」
こういった手合いは、少し優しくするとすぐに調子に乗って再び同じ事を繰り返す。
だから徹底的にやる。
イツキという人間に、そして家族に手を出せばどういうことになるのかを、思い知らしめてやらなければならなかった。
「許して……あっ?」
男の首を斬る。
なんの感情もなく、淡々と。
元々日本でただの大学生をしていたとは思えないほど、イツキの瞳は冷たく冷え切っており、もし知り合いが今の彼を見ても同一人物とは思えないだろう。
そして血ぬれのままイツキはシルヴィアの傍まで歩くと、先ほどまでの鬼のような姿とは打って変わって優しい笑みを浮かべる。
「……大丈夫だったか?」
「う、うぅぅ……イツキさぁん!」
与えられたメイド服をボロボロにされ、涙で愛らしい顔をくしゃくしゃにしたシルヴィアを優しく抱きしめる。
「さあ、帰ろう」
「はい……」
迷宮都市ユグドラシルで最大規模を誇るクラン『
その一報が巡ったのは、その翌日だった。
イングリッドの屋敷の呼ばれたイツキは、いつものように玉座に座る少女を見上げる形で立つ。
「さてイツキよ。なぜ呼ばれたかわかるな?」
「いや、全然ですね」
珍しく、イングリッドが真剣な表情でイツキを見る。
隣ではシャーリーが、少しだけ困った様子。
「お主が『
イングリッドは新聞を開き、しっかりと指をさす。
そこには丁度昨日のイツキがやったことについて書いてあった。
「どうして、どうして!」
「……」
「どうして我らの手柄にしなかったのじゃぁぁぁぁぁぁ⁉」
ウガーと、両手を挙げて怒り気味なイングリッドに、イツキは呆れた様子で見る。
「俺の家族が手を出されたんだから、俺が落とし前を付けるのが筋でしょう」
「ぬぬぬ! だが我だってイツキの主として面倒見てるじゃろうが! それに、せっかく叩き潰したのに吸収もせずに皆殺しにたら、なんの成果もないでは――」
「あと、今回の件は俺一人でやったことにしないと、イングリッド様が召し抱えた冒険者たちが報復で全員皆殺しにされますよ?」
「……なぬ?」
「せっかく集めたのに、それでも良かったんですか?」
イツキがそう言うと、彼女は隣に立つシャーリーを見る。
その通り、と頷いた瞬間、顔を真っ青にした。
「まあ間違いなく、これから報復活動が勃発するでしょうねー。って言っても、今回の場合はイツキさんに義がありますから、ギルドは出張ってこないと思いますが」
「そ、そうか……まあこの都市の冒険者たちはみんな野蛮じゃもんなぁ。我みたいに文明人なんていない、魔獣みたいなやつらじゃもんなぁ……」
「なので、俺一人でやったことにしといた方が良いんですよ」
実際、イングリッドの抱える冒険者というのは大した実力を持っていない。
これから迷宮探索を重ねていくことで強くなるかもしれないが、今という時点では他のクランの方が上だ。
「それで、これからどうするのだ?」
「今度セレスティアに仲介をしてもらって、手打ちですよ。さすがに次出張ってくるのは、俺一人じゃまだ手に余りますから」
今回イツキが叩き潰した『
しかしその上には、この迷宮都市最強のクランが控えていた。
「むぅ……大丈夫なのか?」
「まあ平気じゃないですかね。一応、噂だけですけど悪い人間じゃないっぽいので」
とはいえ、それなら下っ端たちの手綱もちゃんと握っておけよと思う。
同時に――。
「ちゃんと落とし前は付けさせます」
家族に手を出したこと、許す気などなかった。
イツキがこの世界に慣れたのは、決して迷宮で死闘を繰り返したからではない。
カムイやシルヴィア、リズにエレンといった『守るべき者』がいるからこそ、無理矢理この世界に馴染んだのだ。
だからこそ、たとえ外から見たらただの奴隷と主人という関係であっても、イツキにとっては家族そのもの。
それを傷つけられて、黙っていられる訳がなかった。
「じゃあ俺はいったん帰るので、また後ほど報告しにきますよ」
それだけ言って、イツキは屋敷を後にする。
「のうシャーリー。今の会話で、我はてっきり穏便に終わらせる気で居るのかと思ってたんじゃが?」
「全然やる気満々ですねぇ。ええ、会話の流れ全部ぶった切っちゃうくらい、怒ってるっぽいです」
それを見送った二人は、ただただイツキが敵じゃ無くて良かったと、ホッとするのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます