第25話 誘惑

 イングリッドお抱えの冒険者イツキが、再び最速更新。

 その噂はあっという間に迷宮都市中を回った。


「うーん……これは予想外過ぎました」

「あーはっは、さすがは我がイツキだ! またなにか褒美でもうやらねばならぬなぁ!」


 そんな噂が間違いでないことを知っているシャーリーとイングリッドは、対象的な笑みを浮かべる。


 ――早すぎる。


 イングリッドは大喜びであるが、イツキを管理したいシャーリーとしては内心でかなりピンチだと思っていた。


 なにせ、彼は元々奴隷だった男。

 今でこそ英雄扱いされているが、奴隷として戦わさせられていたイングリッドに忠誠を誓っているなど考えれない。


 となれば当然、いずれは反旗を翻すが、よくて独立するだろう。

 それはまずい。本当に不味い。


「お嬢様。イツキさんのこと、どう思いますか?」

「ん? もちろん素晴らしい忠臣だ。あやつが活躍する度に、我の名声はうなぎ登りだからなぁ!」


 つまり、そういうことである。

 今やイツキという存在は、この迷宮都市で大きくなりすぎた。


 イツキが望めば当然、どこも最高の待遇で迎えるだろうし、独立しようものならこぞって人が集まるだろう。

 そして、イツキが離れたイングリッドの下からは、人がいなくなる。


「うーん……せめて半年はかかって欲しいところでしたねぇ」


 シャーリーはどうするべきか考える。

 報告を聞けば、一人で第20層を突破したらしい。


 もちろんこれまでのイツキを見てきた彼女からすれば、当然だと思っていたが、あまりにもペースが早すぎた。


「さてさて……どうしたものでしょうか」


 隣を見れば、無邪気に喜ぶ主の姿。

 イングリッドは心の底からイツキの活躍を喜んでいるのがわかる。

 それはとても、奴隷を使い潰すような残酷な少女には見えないだろう。


 その表裏のない彼女だからこそ、シャーリーはイングリッドについて行くことにしたのだ。


「イツキさん、許してくれるかなぁ」


 突如現れたら、イレギュラー的な存在。

 シャーリーとしては、出来るなら敵対したくない相手だった。




「というわけで、今日はお互い無礼講で飲んじゃいましょう!」


 イエーイ、とテンション高めでやってきたシャーリーに、イツキは面食らう。


 そのまま彼女の行きつけだという酒場に案内されると、そのまま二階の個室に向かう。

 部屋にはテーブルの椅子が中央にあり、一つだけ奥に続く扉がある。


 そして当然だが、部屋にはイツキとシャーリー以外誰もいない。


「それじゃあ、かんぱーい!」


 と、ジョッキを一気に煽るシャーリーに、イツキはどうしたものか悩んでしまう。


「ああ、おいしー! ってイツキさん、飲んでないじゃないですかー」

「いやシャーリー。どういう状況だ?」

「あのですね。一応とはいえ、私はイツキさんの上司なんですよ。部下が活躍したら労うなんて当然じゃないですか」

「労う……?」


 奴隷時代、どんどん死んでいく人間を笑って見ていた彼女の言葉に、つい訝しげな表情をしてしまう。

 そもそも、シャーリーは自分などよりもずっと切れ者だという認識がイツキにはあった。


 このまま流されて、どんなことをさせられるか。

 悩み、ジョッキを飲む手が止まってしまう。


「あー、その目は疑ってますねぇ……大丈夫ですよー。今日はなーんにも、悪い事なんて考えていませんからー」


 もちろん、嘘である。

 シャーリーに労う気持ちなど欠片もなかった。


 ただ、イツキを敵に回すのはあまりにも危険すぎるので、出来るだけ味方側にしてしまうと思っているだけである。


「ささ、上司なんて言っちゃいましたけど、今日は無礼講です無礼講。言いたいことは聞きますし、なにを話してもいいんですよー」

「……そうか」

「とはいえ、イツキさんが疑う気持ちはよーく分かります。なので今日は私も一肌脱いじゃいましょう!」


 そしてシャーリーは羽織っていたカーディガンを脱ぐ。

 すると薄くピタッとしたドレスタイプのワンピースが露わになった。


「どうです。結構身体には自信あるんですよ」


 細くしなやかな身体に、はっきり分かる胸。色気のある流し目。

 全体像はあまりにも男にとって垂涎物であり、シャーリーは自分が男からどういう風に見られているかもよく分かっている。


 だからこそ今日は、それを武器にするつもりだった。


 それに、イツキだって無理矢理視線を逸らしているが、興味があるのは間違いなさそうだ。


 ――ちゃんと、準備だってしてきましたからね。


 ちらっと見るとのは、部屋の奥にある扉。

 その先にはベッドが用意されており、いざというときはいつでも出来る店であった。


「さあ、まずはぐいっといっちゃいましょー」

「あ、ああ……」


 そうして最初の一杯を飲んだ瞬間、イツキは自分の意識が飛ぶのがわかった。




「えぇ……嘘でしょう?」


 まさかの、たった一杯で寝てしまうとは予想外過ぎた。


 今日はお互いさらけ出し、そして『本気』で本心を追求するつもりだったのに、これはないと思う。


「色々と準備してきたのに……」


 シャーリーはワンピースのスカートをめくり、新調した男受けをする下着を見る。

 これで悩殺してしまえと思ったのだが……。


「いや、これはこれでありなのでは?」


 一先ずイツキを隣の部屋のベッドに置くと、そのまま服を脱がしてしまう。

 そして自分も服を脱ぎ、そのまま眠る。


 勝手に既成事実を作ってしまおうという算段だ。


「ふふふー。意外と責任感が強いのは、これまでずっと見てきたら知ってるんですよー」


 起きたときのイツキの顔が目に浮かび、シャーリーは少し楽しくなってきた。


 そうして裸になった彼女は、ふと部屋に備え付けられている鏡を見る。

 裸の自分と目が合い、動きを止めた。


「でも、ちょっとこれはさすがに恥ずかしいですね……」


 色々と悩み、そして結果彼女は服を着ることにした。

 ついでに裸にしたイツキも元のように服を着せて、一つしかないベッドに潜り込む。


「まあ今日は、この程度にしておいてあげましょうか」


 人のいるベッドで眠るなど、久しぶりだった。

 しかも男など初めてだが――。


「これはこれで、意外と悪くありませんね……」


 思った以上に心地の良い感覚に、シャーリーは微笑み、そしてそのまま寝入ってしまう。


 そして翌日。

 ぐっすり寝過ぎて、起きたイツキの驚いた顔を見損ねたことだけが、この日の彼女の心残りだった。

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