第11話 解放
イングリッドの奴隷が迷宮都市史上最速で加護を得た、という噂は瞬く間に広がった。
元より周囲の賞賛を好む少女である。
イングリッドは名門貴族オーディナー家の令嬢だ。
この都市に来るまで、家の名前を出せば出来ないことなどなかったし、誰もが彼女を敬った。
だというのに、ここに来てからは誰も自分の思い通りにはいかない。
それは彼女にとって初めての経験で、表面上は元気な姿を見せていたが、裏腹に暗雲とした気持ちが燻っていたのをシャーリーは知っていた。
――だから、嬉しくて嬉しくて仕方がないんでしょうねぇ。
ニコニコと笑顔のイングリッドを見て、シャーリーは微笑ましく思う。
煮え湯を飲まされ続けた迷宮都市で、歴史を一つ刻んだ。
迷宮都市の冒険者たちは誰もイングリッドのことなど歯牙にもかけなかったが、これからはそうもいかないだろう。
注目されること、それこそ彼女にとって最も喜ばしいことだ。
だから、流れ続ける噂話に気分を良くして、立役者であるイツキを呼び出すのは当然のことだった。
「よく来たなイツキよ!」
「……」
いつも以上にテンションの高くご機嫌な少女に対し、イツキの雰囲気はあまり明るくない。
彼にとって彼女はご主人様であるが、望んで得た立ち位置でなければ、チートがなければ他の奴隷同様に殺されていたかもしれない相手なのだから当然だろう。
もっとも、そんなイツキの事情は彼女には関係ない。
自分の物が迷宮都市を驚嘆させ、そして一目も二目も置かれる存在になったことが嬉しくて仕方が無かったのだ、とシャーリーに教えられた。
だからこのまま行けば、普通に奴隷どころか特別待遇も受けられるだろう、というのが彼女の見解だ。
それを教えて貰ったイツキは、これを利用しない手はないと思った。
誰にも利用されずに生きて行くにはまだ力も金も名声も足りず、今はまだ雌伏の時なのだから。
「これほど大義、誠に見事じゃった! この迷宮都市は今、我らの話題で持ちきりだぞ」
「そうなんですね」
「うむ!」
――まあなんとも、裏表のない純粋な笑顔だことで。
イツキも彼女と数週間一緒にいるが、このイングリッドという少女に悪意というものは存在しない。
ただ純粋に、子どもなのだ。
奴隷を買う事も、自分のために奴隷が死んでも、それは当然と言うだけで悪いとは思っていない。
「しかしイツキよ、自分の評価くらいはちゃんと知っておかないとダメだぞ」
「俺は奴隷で、自分の部屋と迷宮の往復しかしてなかったから知らなかったです」
「はっはっはー! そういえばそうだったな! すっかり忘れておったわー!」
――いや、全然笑い事じゃないんだけど。
本当に悪意ゼロでこちらを煽ってくる。
あまりにも天真爛漫すぎて、怒る自分の方がおかしいのかと錯覚しそうになってしまうくらいだ。
「ところで、何のご用で?」
「お主に報償を与えようとと思ってな! なにか望みはあるか?」
「なら俺を奴隷から解放してください」
「駄目じゃ」
一蹴。
望みがあれば言えと言っていたのに、まるで取り付く島もない言葉だった。
その瞬間、イツキはシャーリーを見る。
彼女との密約、というほどのものではないが、奴隷解放はすでに約束されていたことだ。
「イツキは我の物だからな。ほれ次、他の物を言え」
「お嬢様お嬢様、ちょっとよろしいですか?」
「うん? なんだシャーリー」
「イツキさんを、奴隷から解放してあげて欲しいんですよ」」
「んんん?」
イングリッドは目を細めて、己の最も信頼する腹心であるシャーリーの言葉に首をかしげる
「駄目に決まっておろう。そんなことしたら、こやつ逃げちゃうじゃないか」
「実はイツキさん、お嬢様のカリスマにもうメロメロで、忠誠を誓いたいそうなんですよ」
「……ほほう」
シャーリーの言葉に、イングリッドは興味深そうにイツキを見る。
その表情は、疑いと同時に少し嬉しそうな雰囲気があった。
――欠片も忠誠誓ってないけどな。
とは言わない。
何故ならここでそんなことを言うメリットがないから。
「イングリッド様に買われなかったら俺、別の人に買われてたかもしれません」
「セレスティアだな」
「あ、はい。そしたらきっと他の奴隷と同じように迷宮で死んでたと思います」」
「でもお主ならどこでも活躍出来たんじゃないか?」
「イングリッド様が特別待遇をしてくれたからですよ。他の奴隷達とは違って、武器も盾も用意してくれて、だから生き残れたんです!」
「ほぉ。そうかそうか、たしかに我は結構特別待遇しちゃったかもなぁ」
イツキの言葉を聞いたイングリッドがいかにも自分の手柄です、と言いたげな雰囲気を出し始めた。
――あと一歩だな。
「聞けばイングリッド様はこの都市で一番のクランを作ろうとしてるとか。なら俺も助けて貰ったこの命を、貴方のために使いたい……ですが!」
イツキは真剣な表情を作る。
忠誠を誓うだけなら奴隷でも構わない、ということを思い出させてはいけない。
「奴隷ではいくら活躍しても、周囲から侮られるでしょう。俺は貴方の懐刀として、この迷宮都市でイングリッド様のために生きたいと思ったのです!」
イツキの言葉を聞いたイングリッドは、少しを顔を伏せてぷるぷると震え始める。
さすがに演技くさすぎたか? と思った瞬間、顔を上げる。
その表情は、とても感動したようなもので――。
「あいわかった! イツキよ、お主は今日から奴隷ではなく、我の忠臣だ! その命、一生を賭して仕えると良い!」
涙を流しながら、完全に信用してきた少女を見て、イツキは思う。
――こいつ、チョロすぎるけど大丈夫か?
数週間ぶりに、迷宮探索に向かう以外で街を歩く。
隣にはシャーリーがいて、楽しそうにしていた。
「いやぁ。本当に面白い寸劇でしたねぇ。あんなので信用するのは、お嬢様くらいですよ」
「……お前さ、なんで俺に協力してくれるんだ?」
「え? 何の話ですか?」
「俺の奴隷解放の件だよ」
ニコニコと、ただ笑いながら、しかしその考えがイツキにはわからなかった。
奴隷からの解放は、ただの口約束。
本当に守って貰えるとは思っていなかったし、なにより彼女にメリットがない。
「別に奴隷のままでも構わない、どころか絶対に逆らえない状態の方がお前らにとって都合がいいのに」
「ああ、なるほど。イツキさんは少し勘違いをしていたんですね」
「勘違い?」
「ええ」
そうしてイツキが売られた奴隷商人の店が見えてきた。
ここで今日、彼は奴隷から解放される。
「お嬢様はとても魅力的な人なんです」
「……はあ?」
「だから、イツキさんも仕えてみたらきっと忠誠を誓いたくなると思いますよ」
奴隷とはいえ、人の命を簡単に使い捨てるよう相手に忠誠を誓いたくなるとは、とても思えなかった。
だがシャーリーは自分の主人の素晴らしさを知っているからか、それは絶対のことだと言い切る。
「だから、さっきイツキさんが言ったとおりなんです。貴方が本当に活躍したとき、奴隷のままだと格好が付かないでしょ?」
「そうだな。けど、俺は」
「いつかイングリッド様から離れて独立する気、ですか?」
「ああ」
シャーリーには嘘を吐かない、と言うより吐けなかった。
今はまだ奴隷の身であり、彼女が本気で追求した場合、逆らえないからだ。
イツキの主人として登録されていたのは、イングリッドではなく彼女≪シャーリー≫だったから。
「まあそれならそれでいいんですよー」
「は?」
「たとえ独立しても、貴方がお嬢様の物だったということは変わらないですし、活躍さえしてくれれば自然と見出したお嬢様の評価も上がるというものですから」
「……なるほど」
もしかしたら、シャーリーの目的はイングリッドとは別のところにあるのかもしれないと思った。
だがそれを深く聞くつもりは、イツキにはない。
「さあ、それじゃあお店に入りましょうか」
「ああ」
「これから、期待してますからね」
そうしてイツキはこの日、奴隷から解放されるのであった。
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