第4話 出会い

 セレスティアと呼ばれた少女が鋭い視線を向けてくる。

 そして檻の方へやってくると、真っすぐ紅い瞳で見上げてきた。


 不味い、と思った。

 この少女は今、自分を殺す気なのだと本能が理解した。


「お、俺を買ってくださいって言ったんです!」

「……そうは聞こえなかったけど?」


 自分より頭一つ以上小さい少女に見上げられながら、イツキは焦りを隠せない。

 なにせ、彼女は腰に差した小さな杖に手を添えていて、きっとあれは人を殺せるものだと思ったからだ。


「貴方、いつからこの都市に?」

「……さっきだ、です。山賊に捕まって売られたばっかりなので」

「そう。そうよね……」


 イツキの言葉に、考えるリィンガーデンは仕草をする。


 それを見ながら、自分が迂闊な発言をしたことに気付いたイツキは、出来るだけ冷静になろうと心を静めた。


「この男、どうして……?」


 リィンガーデンはぶつぶつと呟きながら背を向けた。

 それにホッとしたイツキは、思わず油断する。


「ところでアナタ、アテナってなにか知ってるかしら?」

「結構よく聞く名前の女神だから一応知ってます……けど……」


 見れば、ニヤリと笑う少女。

 馬鹿は見つかったらしい、と言外に聞こえてきた。


 彼女は鉄格子越しにイツキの首を抑えると、そのままキスが出来そうなほどギリギリまで引き寄せる。


「がっ――⁉」


 ――信じられない! なんだこの力は⁉


 まるでゴリラかチンパンジーにでも捕まれたのではないか、そんな抵抗不可能な圧迫感を感じる。


「面白いわね貴方」

「ぐ、が……ぁ……」


 間近で見る少女の瞳は宝石のように綺麗だと思うと同時に、捕食者に対する恐怖が襲う。


「どうして私の加護を知ってるのか、これからじっくりと身体に聞いてあげるわ」


 とても中学生くらいの少女とは思えない、妖艶な瞳を向けて紅い舌をぺろりと出し、イツキ以外に聞こえないように囁く。


 ――怖い。


 このままこの少女に買われてしまえば、骨の髄まで吸い尽くされるのだと本能で理解した。


 加護、というのがなんなのか知らないイツキだが、それがこの世界で大事なものなのだろう。


 なぜ自分にそれが見えるのか、なぜアテナという地球にもいた神の名前なのか、それを考えるより早くセレスティアが動く。


「奴隷商! この男は私が買――」

「わーっはっはっは! 我がきてやったぞー!」

「っ――⁉」


 リィンガーデンがイツキを買おうとした瞬間、商館の扉が勢いよく開く。

 そして高笑いととも、金髪をツインテールにした、いかにもお金持ちという雰囲気の少女が入ってきた。


「奴隷商よ! 今日もこのフロアの奴隷全部、我がまっとめ買いだぁぁぁ!」

「は、はいいいいい! あ、いや……でもイングリッド様、今……」

 

 脊髄反射的に答えた奴隷商は、慌ててセレスティアを見る。

 リィンガーデンに対して下手に出ていた奴隷商だが、イングリッドと呼ばれる少女はそれ以上の存在なのだろう。


「なんだなんだ⁉ 我が買い占めると言ったら買い占めるのだ! ん? もしやそこにいるのはセレスティア・リィンガーデンか?」

「……だったらなにかしら?」


 んんんー? と近づいて来るイングリッドに対し、セレスティアが舌打ちをしたのが聞こえてきた。

 どうやらセレスティアにとって都合の悪い展開らしい。


「ほほう……もしや今、そこの奴隷を買おう見てたのでは?」

「いいえ。ただちょっと見てただけよ」

「ほほう、そうかそうか! なら我が全部買ってもいいな!」


 そうしてイングリッドが奴隷商の方に向かって行くと、セレスティアが振り向く。


「貴方、残念だったわね」

「え?」

「私に買われてれば生き延びれたかもしれなかったのに、よりにもよってイングリッドに買われるなんて……」


 不安を煽る言葉にどう答えればいいか悩んでいると、セレスティアは面白そうに笑った。


「ふふ、だけど困ったわね。このままだと私の大事な秘密がイングリッドに漏れてしまうかもしれないわ」

「な、なんのことかわからないんだけど?」

「そう。ならそれでもいいんだけど……」


 チラッとセレスティアは奴隷商とイングリッドの方を見る。

 勢いよく商談をしている二人は、こちらのことなど見えていない。


「もしあの子にさっきの情報を漏らさないと約束するなら……貴方が生き延びる手助けをしてあげましょうか?」


 面白そうに笑うセレスティアに、イツキはこの悪魔のような少女の手を取っていいものか悩む。


「まあ、約束しないならどんな手を使っても殺すだけだけど」

「取引になってないじゃないですか」

「そんなことはないわ。私が手を下さなくても貴方はすぐ死ぬ。だけど、生き残る手段を上げると言ってるの」


 おそらく彼女は嘘と吐いていない。このままイングリッドに買われれば、知識も力もないイツキはこのまま迷宮に放り出されて死んでしまうのだろう。


 それが、この迷宮都市の日常。


 セレスティアは、そんな自分が生き延びる手段を与えるという。


 そもそも選択肢など、イツキにはなかった。

 先ほどのアテナという情報がどんな重みをもっているのかわからないが、自分の命を助けるだけのなにかがあるのだというのであれば……。

 

「……わかった」

「いい子ね。それじゃあちょっと待ってなさい」

「え?」


 セレスティアは商談をしている二人のところに歩いて行くと、イツキを指さしてなにかを言っている。


 それを聞いた奴隷商はお腹に手を当て胃が痛そうにし、イングリッドは興味深そうにイツキを見た。

 そうして近づいてきたイングリッドが、まじまじと見てくる。


「ふぅむ……こんな凡愚に『あの』セレスティアがどうして執着してるのかわからぬが……」


 どうやらセレスティアが自分を買おうと交渉してくれたらしい。


 イツキからすればどっちもどっちな気がしたが、それでも無邪気に奴隷を選ぶイングリッドよりはセレスティアの方が利己的でマシな気がした。


「人が欲しがってる物を手に入れるのは、最高に気持ちがいいな! よってお主は我のものだ!」

「……え?」

「セレスティアには絶対にやらんのだぁ! はーっはっはっは!」


 そうして高笑いをしながら再び奴隷商の方に戻り、入れ替わるようにセレスティアが近づいてくる。


「と、いうわけよ」

「いやいやいや! 話が違うんじゃ――」

「しっ――」


 結局イングリッドに買われてしまう、と思ってつい叫びそうになると、彼女に口元を指で塞がれる。

 小さく冷たい指が唇に当たり、イツキは反射的に言葉を止めてしまった。


 セレスティアは奴隷商と契約書を交わしているイングリッドを見て、薄く笑う。


「これで貴方はまとめ買いの中の奴隷から、『特別な奴隷』になったわ」

「……あ」

「あの子がどんな対応をこれからするかはわからないけど、ちょっとは運命が変わったと思わない?」


 ――思う。


 たった一言二言で、イツキの立場は明らかに変わったのだ。


「さて、ここからは貴方次第よ。どうせならこの迷宮都市を面白くして欲しいものね」


 再びセレスティアに引き寄せられ、顔を近づけられる。

 まるで龍だ、と思わせる力強い瞳。


「貴方が何者かは知らない。だけどいつか私の前に立ち塞がるなら、そのときは遊んであげる。だから――」


 ――生き残りなさい。


 彼女はそう言うと手を離し、店から出ていった。


「セレスティア・リインガーデン……」

 

 ただそこに在るだけで跪きそうになる覇者の風格を持ち、自身よりも小さな身体なのに、どこまでも大きな龍を連想させる少女。


 去っていく少女の背中を、イツキは最後まで目が離せなかった。




 イツキにとって彼女との邂逅は、これから始まる異世界生活において切っても切れないものとなるのだが、今はそんなことを考える余裕はなかった。


 なぜなら――。


「さあ! 貴様はもう我の物だ! 他の奴隷はまとめて屋敷に送ってもらうが、貴様は我と一緒に帰ってもらうぞ!」

「は、はい……ご主人様。その、これからよろしくお願いします」

「うむ!」


 これからは、このワガママそうなお嬢様の奴隷として、迷宮を生き延びなければならないのだから。

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