二の二 真浦

 真浦は古くから鉄の名産地として知られている。よい鉄の採れるところには鍛冶師が集まるようになり、真浦は鍛冶の町として発展した。町人のほとんどは鍛冶師である。

 伊佐那は真浦を目指していた。真浦に住む刀鍛冶、曽久に野火の手入れをしてもらい、彼の母親で医師の叉和に鬼の腕を再びつけてもらうつもりでいる。

 曽久は名刀鍛冶としてその名を知られている。彼の打つ刀は硬い鱗に守られた龍の体を一振りで切り裂く。並みの刀であれば、龍の二匹、下手をすると一匹でも切れば使い物にならなくなるが、曽久の刀は手入れさえ怠らなければ一生使えると言われている。殺された村人一人につき龍千匹を殺すには曽久の刀でなければならない。大金を払って伊佐那は曽久の刀を買ったのだった。

 

 夜が明けた。沢づたいに伊佐那は沙智を連れて山のふもとを目指した。沢の水の流れが穏やかになるにつれ、林の木々が姿を消し、目の前が急に開けた。沢の水は里を流れる小川となり、畦道の脇へと導かれ、田へと引き込まれていた。

 伊佐那は里山の麓近くの水車小屋を目指した。水車小屋脇にある土壁の建物が曽久の鍛冶場、少し離れた場所にある茅葺の家屋が叉和の営む養生所である。

 鍛冶場の戸口に向かって歩いていくと、突如、若い女が飛び出してきた。女は戸口を塞ぐようにして足を止め、穴のあくほどに伊佐那の顔を見つめた。

「歌名女、誰だい?」

「曽久、俺だ、伊佐那だ」

 伊佐那は奥にいる曽久にむかって声をかけた。女は、はたはたと走り去っていった。

「伊佐那か、生きていたのか」

「毎度、毎度、その挨拶はどうにかならないのか。生きているに決まっている。お前の打った刀を使っているんだ」

「刀は道具にすぎない。使い手次第だ。伊佐那もわかっているからこそ、鬼の腕をつけたのだろう。ん? 腕はどうした」

 伊佐那が片腕を失っていると曽久は目ざとく気づいた。

「訳ありだ。さっきの女は?」

「歌名女。女房だ」

 照れ臭そうに曽久は言った。刀鍛冶としての腕はたつが女にはからきし歯がたたず、四十過ぎてなお独り身を貫いてきた曽久にはもったいない若い女だった。

「お前が女房か」

「母さまを手伝ってくれている。そういうお前こそ、子ども連れだが?」

 所帯をもったからか、子どもの沙智を目にして曽久は相好を崩した。

「沙智だ。おかみとの見習いだ。もっとも、今は身の周りの世話をさせているだけだが」

 伊佐那は腰に差していた野火を抜いた。鞘には新たな傷がついている。龍の爪痕だ。

 伊佐那から野火を受け取り、鞘から刀身を抜いた曽久は刃を見るなり眉をしかめた。鬼の爪がかけられた刃は見るも無残な刃こぼれを起こしている。

「ひどい有様だな。何を切った?」

「鬼だ」

「鬼? 滅んだはず……」

 何事かを察した曽久は口をつぐんだ。

「いいだろう。『野火』は磨いておこう。さっさと母さまのところへ行け。鬼の腕をつけ直してもらいに来たのだろう? 母さまにどやされる覚悟をしておいた方がいい。伊佐那は龍よりも母さまに先に殺されるんじゃないかと思っているよ」

 そもそもは名刀鍛冶とうたわれる曽久に刀を打ってもらおうと真浦を訪ねて、彼の母親で医師の叉和を知ったのだった。

 叉和は古今東西の珍しい物を収集していた。医学に関する物が主で、道具、書物、薬草、標本……渡来の物も多い。その収集物の中に鬼の腕があった。

 酒に浸けて鬼の気は抜いてあるものの、体を離れてなお「生きて」いるのだという。長い間、酒に浸かっていたらしく、見た目は逞しい肉付きの男の右腕としか映らなかった。とうの昔に滅んだはずの鬼の腕を、叉和は流れ者の古物商から高い値で買ったらしい。腕を失った人間の体に今もって生き続ける鬼の腕を移すことができたら人助けになるだろうと考えたのだとか。

 鬼の腕と聞いて伊佐那は別のことを考えた。人知の及ばぬほどの力を持つ鬼の腕を己れの体に移したならば、天下無双のおかみとになれはしないか。

 「目を離すな」と、叉和からはきつく言われていた。伊佐那の肉体から精気を吸い上げ、鬼は生気を取り戻す。伊佐那の精気を断つために、鬼の腕は時々は外しておかねばらなない。だが、あまりに長い間、身から外しておくと、伊佐那の精気を苗床に鬼は生気を育み、鬼としてよみがえってしまう。

 盗まれた鬼の腕は、かなりの間、伊佐那の体を離れてしまっていた。その間に、毛が深く生え、爪が鋭く伸び、鬼は元の姿を取り戻しつつあった。まじない師が鬼を封じるために使っていた札を貼りつけられておとなしくなっているものの、札を剥がせば再び暴れ始めるだろう。

 鬼に戻りつつある腕を目にすれば叉和は激昂にするに違いない。そう思うと、抱えている腕も重いが気も重いのだった。


 襤褸包みをほどき、転がり出て来た鬼の腕を目にしたとたん、叉和は大声で歌名女を呼びつけ、急いで酒を持ってくるようにと命じた。それから、近くにあった適当な壺をかきよせ、中身を板間にぶちまけ、腕をおしこめた。腕をおしこめ終えたその時、歌名女が酒を持ってきた。鬼の腕に怯え、歌名女は酒壺を投げ出して逃げていってしまった。伊佐那がとっさに壺を受け止めていなかったならば板間に飲まれてしまったであろう酒を、鬼の腕の入った壺にそそぐようにと叉和は叫んだ。壺の縁まで酒がそそがれると、叉和は壺の口を封じた。

 そうしてからようやく叉和は板間に腰を落とした。さきほどまでの険しさは幾分和らいでいるものの、眉間には皺が寄り、伊佐那を睨みつける目には殺気がこもっていた。

「忠告は忘れたのかえ?」

「話せば長い」

「あの札がなかったら、おぬし、鬼に殺されておって今ごろ生きておらん」

 伊佐那は鬼に絞殺された理津とかいうまじない師の成仏を心ひそかに願った。

 鬼の腕の入った壺に目をやり、叉和はふうとため息を漏らした。

「腕をつけ直してもらうつもりでおるじゃろうが、鬼の生気が戻りすぎておる。しばらくは無理じゃろうて」

 伊佐那は唸った。

「どれくらい待つ?」

「さあな。酒に酔わせて今一度、惚けさせてみるが、半月といったところか」

 野火の研磨もあることだ。伊佐那は待つと決めた。

「では、待たせてもらおうか」

「そうするがいい。そうして、本当に鬼の腕を移すかどうか、今一度、じっくり考えな」

「まぁた、その話か。例の件なら百も承知だと言ったはずだぞ」

「あの時のおぬしは、わしの忠告の意味がよくわかっていなかったし、何が何でも鬼の腕が欲しかったから、承知したと言っただけなのだろうて」

 殺された村人一人につき龍を千匹殺す。

 そう誓いをたてたものの一匹にでも手こずる日々が続いた。それがおかみとの現実だった。龍を殺すどころか己れが生き残ることがせいいっぱいの日々。

 伊佐那は良い刀を求めた。龍の鈎づめに堪え得る刀、龍を切っても切っても刃こぼれしない刀。そして曽久へたどり着いた。曽久は言った。「刀は打ってやれるが、よい刀となるかどうかは使うものの腕次第だ」と。その言葉の通り、曽久の刀をもってしても龍千匹は不可能な所業に思えた。

 おのれの剣術を鍛錬すればいいのだが、それでは龍千匹の前に寿命が尽きる。

 伊佐那は焦っていた。

 鬼の腕なるものがあるという話は知っていた。はるか昔に滅んだ鬼。その鬼の腕が今なおどこかにあると言う。その腕をおのれのものとして用いることが出来たならば、あるいは……。

 夢物語のように聞いていた鬼の腕が叉和のもとにあると知り、伊佐那はめぐり合わせの運を喜んだ。

 叉和は、鬼の腕を人の体に移せば人の精気が鬼に吸われ鬼がこの世によみがえってしまうと危ぶみ、伊佐那の体に移すことを渋った。伊佐那の精気が吸い取られるからと脅し、考えを翻意させようとした。

 伊佐那は意に介さなかった。

 殺された村人一人につき龍千匹。

 復讐心が勝った。

 後先考えず、伊佐那は自ら右腕を切り落とした。

 伊佐那の命を救うため、いたしかたなく叉和は鬼の腕を移した。まんまと伊佐那の思惑に嵌ってしまったため、叉和は激怒し、悔しがり、そして悲しんだ。

 鬼の腕を得て悦に入る伊佐那にむかって、叉和は、くれぐれも扱いに注意するようにと警告したのだった。

 今また同じ警告を叉和は口にしていた。鬼の腕は人の精気を吸う。だから、ずっと身に付けていてはならない。身から離す時は目は離してはならない。鬼に戻ったら最後、宿主を殺すだろうと。そして、こうも言った。鬼の腕を身に付けている間、精気を吸い上げられるだけではなく鬼の生気が伊佐那の体に移る。伊佐那はいずれ鬼と化すとも。

 叉和の言った通り、伊佐那は叉和の忠告に真剣には耳を傾けてはいなかった。望んでいた鬼の腕が手に入りさえすればよい。鬼と化すと脅かされようとも、ただの脅かしよと聞き流してしまっていた。

 鬼の腕を得てからの伊佐那は凄まじい勢いで龍を狩った。鬼の腕の生命力は尋常ではなく、龍の鈎づめに切り裂かれようとも、傷口はまたたく間にふさがった。無尽蔵の生気を得て伊佐那は龍を狩り続けた。その生気の源が鬼であり、おのれが鬼になりつつあるとも、今はわかっている。

 あのまじない師は伊佐那が鬼になりかけていると気づいただろう。獣たちは伊佐那の体から鬼の臭いを嗅ぎ取っている。

 伊佐那の体を離れた鬼の腕が鬼としてよみがえりつつある姿を目の当たりにし、鬼と化す日がそうは遠くないと知っても伊佐那の意は変わりなかった。

 鬼の腕をおのれの体に移す。

「おぬし、何故、おのれの身を削ってまでして龍退治にこだわる?」

 叉和は半ば呆れていた。

「龍は村を全滅させた。ならば俺は龍を全滅させてやる」

「龍を全滅させるなど、鬼の所業じゃ。おぬしはもはや鬼じゃて」

 叉和の言う通りだ。鬼の腕欲しさに右の腕を切り落としたその時から、いや、龍に襲われた時から伊佐那は人ではなくなった。殺された村人一人につき龍千匹の誓いをたてた時に鬼となったのだ。

「鬼が鬼の腕を持つんだ。構わないだろ」

 叉和はもはや何も言わず、悲し気な面持ちで白髪頭を横に振ってみせるだけであった。

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