第二章

二の一 追尾

 一歩、二歩、三歩進んでは伊佐那は足を止めた。

 背後に続く小さな足音も止んだ。

 鼻の頭を掻き、伊佐那は再び歩み始めた。

 小さな足音も再び背後で聞こえ出す。

 進んでは止まりを繰り返すこと三度、伊佐那はくるりと背後を振り返った。

「おい、小僧。なんでついてくる」

 足音の主は沙智だった。

 沙智とは理津の小屋の前で別れた。都を出、伊佐那は叉和のいる真浦へ向かった。鬼の自我がよみがえりつつあるため、もはや伊佐那自身では腕を右腕に取りつけることは出来ない。医師である叉和の助けが必要だ。一刻の猶予もない。

 沙智が後をついてきているとは気づいていた。洛中を行く間は、たまたま行き先が同じなのだろうと考えた。門を出てからはついていてきると確信に変わった。気づかぬふりで街道を行く今も、距離を保ちながら沙智はついてきていた。

「あんた、おかみとだろ」

「龍を狩る頼み事でもするつもりか?」

「なあ、おかみとにはどうやったらなれる?」

「龍を殺せば誰でもおかみとだ」

「あんたはどうやっておかみとになった?」

「そんなことを聞きに俺の後をついてきたのか」

「おかみとになりたいんだ」

 沙智はきっと唇を結んで立っている。華奢な体つきだ。年頃は十を超えたぐらいだろう。野火と同じ背丈か少し高いくらいか。刀を扱うどころか、提げることすら難しそうだ。

「お前なんか、龍に食われるのがおちだ。悪いことは言わねえ。都へ帰んな」

 伊佐那は峠を越える山道へと入っていった。日が沈む前には峠を越えてしまいたい。沙智を振り切ろうと足取りを速める背中に、はたはたと、小さな駆け足が追いついてきた。

「都に戻っても、くず山暮らしだ。くず物を拾って一生終えるなんて、まっぴらごめんだ」

「龍に食われるよりましだ」

「みんな、龍に食われた。父さんも母さんも。寝ていただけだったんだ。昼間の畑仕事に疲れ切ってさ。いくら頑張っても、龍が全部台無しにする。それでも父さんと母さんは働いた。夜はぐったりだ。でも夜なら、夜だけ、ゆっくり休めたんだ。龍は夜には襲ってこないと聞いていたから。でも、そいつは夜にやってきた。戸口ががたついて、強い風が吹きつけているとばかり思っていたんだ。そしたら、龍が戸口を破って家の中に入ってきた。父さんは鍬で龍にむかっていったけど、食われた。母さんはあたいを水甕に隠して、囮になって食われた。その龍は村を襲った。生き残ったのはあたいだけだった――」

 誰の彼の話も似たりよったりだ。珍しくもなければ悲しくもない。沙智の身に起きた出来事は細かい点を除けば伊佐那の身に起きた出来事と同じだ。

「なぜ、おかみとになりたい?」

「金になる」

「金儲けが目的なら別の道を行け。商いなんかどうだ? あの相盛とかいう親爺を出し抜くなんざあ、お前には商いの才があるとみた」

「商売人なんか、つまんねえ。儲かっているように見えてさ、実のところ、自分のところに留まる金ってのはあんまりないんだ。相盛みたくくずを買うんにしても金が要る。金の方が先に出て行くんだ。あたいは金が欲しい。使い切れないほどの金が。父さんや母さんを食った龍を殺して金が儲かるって言うなら、なおさらおかみとになりたいんだ」

 沙智は地面を何度も蹴りつけた。

「なあ、あたいを弟子にしてくれないか」

「断る」

 伊佐那は逃げるかのごとくに足を速めた。沙智が小走りで追ってきた。

「子守はごめんこうむる」

「自分の面倒ぐらい、自分でみれるって。それより、あんたの方が自分の面倒見切れてないんじゃねえの? 片腕だけだと、何かと不便だろ? 身の回りの世話をしてくれる人間がいてもいいんじゃないの? 義手の手入れだとかさ」

 と言うなり、沙智は、伊佐那が抱えていた包みを奪い取った。鬼の腕を包んだものだ。

「それに触るんじゃない!」

 伊佐那は沙智の腕を引きちぎらんばかりの勢いで包みを奪い返した。伊佐那の見幕に沙智はひるんで後ずさった。

「ただの義手ではないと、お前にももうわかっているだろう」

「何なんだよ」

「鬼の腕だ」

「鬼? とうの昔に滅んだろ? なんでそんなものがあるんだ?」

「どこのどいつだかが切り落とした腕らしい。詳しいことは知らんし、どうでもいい。俺の体についている間はおとなしくしてるが、俺からあまり長く離れていると鬼だったと思い出して、人とみれば誰かれ構わず襲い掛かる。あのまじない師の最後を見たろ。ああはなりたくなかったら、その腕に無暗に触るな」

 沙智はこくりと頷いてみせた。

「あんた、鬼の腕を義手として使っているのか」

「べらぼうな銭をふんだくられたな。龍の二、三匹もの報酬があっという間に吹っ飛んだわ」

「なんだよ、知ってたら、相盛の奴からもっとふんだくってやったのに。理津も知っていたんだな。だから、他の部分はないか、探してこいって言ったんだ。なんだ、それなら、理津にももっとふっかければよかった」

 肝の据わった小僧だ。鬼の手と知っても怯えていない。

「お前、やはり、商いの道へ行け」

 なかば呆れ気味に伊佐那は言い捨てた。

「やだね。そうやって、あたいを追い払うつもりだろうけど、もう決めたんだ」


 伊佐那は先を急いだ。沙智はその後を追ってきた。ついてくるなとは伊佐那はもう言わなかった。伊佐那が行く道を沙智が追うというのなら、させておけばよい。それは沙智の選択だ。沙智の首に縄をつけて伊佐那が引いているわけではない。

 山道を行く伊佐那の両脇には背の高い木々が迫る。空は暗く陰っている。昼間でも薄暗い峠道だが、日がすでに暮れかかっている。

 日が沈む前に峠を越したかったが、仕方がない。

 日の入り後の最後の光が消えていこうとする中、伊佐那は山道を外れ、林の奥へと進んでいった。獣道を行って目指す場所は沢である。

 眼下に沢を見出す場所にたどり着くと、伊佐那はあたりの落ち葉をかき集め、その上に腰を落とした。

「おい、小僧」

「沙智って名前がある」

 呼びつけられた沙智が飛んできた。

「身の回りの世話をすると言ったな。さっそく、世話してもらおうじゃないか。林へ入って、薪を集めてこい。今晩はここで野宿する」

「わかった」

 沙智は喜び勇んで林へと入っていった。くず物の山で鍛えられたものか、地の起伏も下草も沙智には苦にならないようで、またたく間に木の枝を集めてきた。

 薪をくみ上げると、沙智は火を起こした。慣れた手つきだと伊佐那は感心した。

 火が落ち着くと、沙智は懐から包みを取り出して広げた。中身は白米の握り飯と干し肉だった。

 伊佐那の腹の虫がこらえきれずになった。

「食うか?」

 沙智が差し出した握り飯と干し肉に伊佐那は食らいついた。猪の干し肉だ。

「どこで手に入れた?」

「理津だ。死人はもう飯を食わん」

 逞しい子だ。

 伊佐那は沙智に野火をわたした。

「お前にもさっきから聞こえているだろう、森の獣たちの声が。奴らは火を恐れる。俺は寝るが、お前は火を絶やさないよう一晩中起きて見張っていろ。中には火を恐れない獣もいる。夜を恐れなくなった龍のようにな。襲ってきたら、野火を使って撃退しろ。おかみとになりたいっていうんなら、それくらいできるだろ」

 腕を枕に伊佐那は横になった。

 焚火が爆ぜる音にまじって獣たちの荒い息遣いが聞こえる。炎の縁近くまで彼らが迫ってきている。腕の発する鬼の気配をかぎつけてきたのだ。

 野火を手に焚火の番をする沙智の気がぴんと張りつめている。

「怖いか」

 沙智は頭を横に振って強がってみせた。

「なら、お前は今晩死ぬ」

「どういうことだよ」

 沙智が野火の柄をぐっと握りしめている。

「強い奴は怖がりだ。怖くないと強がる奴はただの阿呆だ。阿呆は死ぬ。怖いのなら怖いでいい。阿呆は相手の強さを推し量ることができないから怖がらないのだ。だから無茶をして死ぬ。恐怖は知恵を授ける。勝てない相手にどうやったら勝てるかを考えるようになる。お前、龍が怖いだろう?」

 沙智は押し黙ったままだったが、伊佐那は沙智の恐怖心を読み取った。

「それでいい。龍を恐れる奴は生き延びる。いくら金が入るといったって、生き残ってなきゃ、使えんのだからな」

 沙智が欠伸をした。自分では気づいていなかったようで、欠伸をしたことに驚いていた。

「白飯を食うからだ。いいか、野宿をする時、龍を狩る時には白飯は食うな。眠ったが最後、お前が食われる」

「そういうことは食う前に言ってくれよ」

「食う前に言っても聞き流して、俺のせっかくの忠告なぞ身にしみなかっただろうが。大事なことは身をもって知るのがいいんだ」

 口答えこそせずにいたが、沙智は明らかに気を害していた。

「俺は、ああしろだの、こうしろだの、うるさくは言わねえ。先に言ったところで人間てのは聞かねえもんなんだ。かといって、人様がああだ、こうだというのを黙って聞いているだけでも身につかねえ。どうやったら、おかみとになれるって聞いたな? こうすればなれるってものじゃねえんだ、おかみとは。言ったろ、龍を殺すものがおかみとだと」

「……伊佐那は、今はもう龍が怖くないのか?」

「怖いというより、憎いだけだ」

 恐怖を感じたのは初めて襲われた時だけだった。後は憎しみだけだ。すべてを奪っていった龍に対する憎しみだけが伊佐那を駆り立てる。龍には恐怖を感じる心さえも食われてしまった。由良には向こう見ずな阿呆だと言われたが、恐怖を感じなくなった己れは確かに阿呆だ。火を恐れなくなった獣も、夜を恐れなくなった龍も、みな、阿呆だ。

「初めて龍を殺したのはいつ?」

「十三。刀なんか持っていなかったから、鉈をふり回したんだっけか」

「よく食われなかったな」

「運が良かっただけだ」

 そう、運が良かっただけだった。相手は人の狩りが下手な龍だった。伊佐那の振り回す鉈を恐れておらず、伊佐那もまた、龍の鈎爪を恐れていなかった。阿呆同士が対峙して、より阿呆な方が勝っただけだ。

「運だけで、ここまで生き延びれるかよ。腕もいいんだ、伊佐那は」

「鬼の腕……だがな」

 伊佐那は苦笑いを浮かべた。

 獣が仲間を呼ぶ遠吠えが近くに聞こえ始めた。耳をそばだてた沙智が震えている。

「怖いか」

 沙智はうなずいた。

「それでいい。お前は今夜、生き残ることができる」

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